加藤智大容疑者のいう「理解者」とは?●携帯サイトの書き込みから浮かび上がる犯人像!
■ [2218]06/04 00:58
A 俺がなにか事件を起こしたら、みんな「まさかあいつが」って言うんだろ
[2219]06/04 00:58
B 「いつかやると思ってた」
そんなコメントする奴がいたら、そいつは理解者だったかもしれない
(『中日本自動車短期大学』「道草」より
http://m1aya.tblog.jp/?eid=187051)
■6月5日06:17
C 作業場行ったらツナギが無かった/辞めろってか/わかったよ
『asahicom』
http://www2.asahi.com/special2/080609/TKY200806090216.html
上にあるC「分かったよ」は、前記のとおり、投げやりな自己充足的な理解方法であります。
無論、こんな公式的なコメントの類で、何かが分かったかというとそれはありません。ですから、掘り下げる必要が出てきます。
思考の過程を省略しますと、智大容疑者はいつも晴れ晴れとした心を持したいと願っている典型的な日本人のひとりで、ちょっとしたことで躓き、心がいじけそうになると、会社を辞めることで晴れ晴れとした心(この場合は、せいせいとした心?)を取り戻し、以って、自己回復を遂げていたところ、職転々が常習になり、しまいに、いじけた心に乗っ取られたということではないでしょうか。
つまり、いつも晴れ晴れとした心を持したいと願っているから、自殺を企てたり、路上デビューをはたして、負け犬根性といいますか、いじけた心を回避していたのではないでしょうか。
(ゴミの吹き溜まりのような)ネクラがダサくて嫌だからネアカに徹するために、路上デビューを果たした?
このように考えることができれば、デビュー直前の携帯サイトへの書き込みも、ネアカゆえの精神的な露出症といえるのではないでしょうか。
A文とB文は対句といいますか、非理解者と理解者を対立させています。強いて感情を読み込むと、恐怖と甘えになりますが、犯行前夜の意識状態の常として、恐怖の意識が抑え込まれていると見ています。
職場に限らず、この広い世界の中で一人としてオレのことを分かってくれようとしない現実認識に基づいた諦め、絶望感が吐露されているかと思うと、一方で、永遠なる理解者の存在(母神)を希求していると思いました。
いずれにしろ、オモテに対する現実認識は、小学生以下。
アタマの引用の携帯サイトへの書き込みは、産経新聞記事によると、《秋葉原で忍者姿の痴漢が刀振り回し大惨事!≫とのスレッドタイトルで、≪6/5以降絶対事件起こるだろうから先に立てとくね≫という掲示板のものと思われますから、5日の「作業場行ったらツナギが無かった/辞めろってか/わかったよ」という態度は、予定通りの計画的な面が否定できなくなります。
■いつも携帯片手に掲示板「2ちゃんねる」をチェック。自らのハンドルネームを持ち、頻繁に書き込みを行っていたようだ。
2ちゃんねるのゲーム機を議論するスレッドに5月27日、≪秋葉原で忍者姿の痴漢が刀振り回し大惨事!≫とのタイトルで、≪6/5以降絶対事件起こるだろうから先に立てとくね≫と、今回の犯行予告を思わせる書き込みがあった。加藤容疑者は急にキレることがあったというが、6月5日は容疑者が激昂して会社を飛び出した日だった。
(「秋葉原通り魔の素顔…ロリコン、スピード狂 携帯片手に2ちゃん書き込み「2Dしか興味ない」
06/09 19:27更新iza)
以下、断片的な分析ノート。
・自殺未遂者の含蓄のある言葉(タテマエとホンネが代わる代わる)
6月7日19:36 「死ぬ気になればなんでもできるだろ」/死ぬ気にならなくてもなんでもできちゃう人のセリフですね
似たようなことを書いていると思いきや、違っていました。これも対句形式で、本気で死のうとしている人間は、視野狭窄に陥り、「死ぬ気」云々なんて考える余裕はない、とでもいうような言語外の意味をにじませています。
文末の「ね」の使い方に、加藤容疑者のべったりとした依存的且つひねくれた性格がよく表われていると思います。
・スポーツカー購入に伴う借金の状況(タテマエとホンネが代わる代わる)。
6月7日15:35 大きい車を借りるにはクレジットカードが要るようです/どうせ俺は社会的信用無しですよ
仮に、車の価格が777万円とすると、600万円は頭金で支払い(当然、頭金は両親が立替え?)、残りの177万円について年率5%の利息計算で3年間の分割払いとしますと、この場合は、月々5万円程度のローンが負担になります。
『ニッサン』のHPより「お支払い精算シュミレーション」を参照。
画像も、ここから借用。
URA:http://www.nissan.co.jp/GT-R/BVC/index.html
事故さえ起こさなければ、廃車処分でなく売却することもできたわけですが、それでも寮費がただ同然の会社を選べば、派遣労働者でも十分に返済が可能です。
ですが、家賃は5万円、ローンの支払いが月々5万円、この上に、オタク的なざるのような消費生活を改めずにいると、結局は、家賃とローンの両方が払えなくなって夜逃げ同然に寮を飛び出して、雲隠れ。
残った債務は、保証人となった親に回るわけですから、単なる親不幸の息子というよりは、容疑者は復讐しているとしか受け取れません。
・女性願望と挫折ならびに責任回避の状況(支離滅裂)。
[2438]06/05 05:19
彼女がいない、ただこの一点で人生崩壊
[2698]06/06 03:09
彼女がいれば、仕事を辞めることも、車を無くすことも、夜逃げすることも、携帯依存になることもなかった
希望がある奴にはわかるまい
スポーツカーの購入は、女の子を作る手段ではなかったのか?
出会いスポットで駐車でもしていれば、物好きなギャルが寄ってきて「乗せて」というであろうから、ガールハントなんて楽勝と誰もが思うところ、死ぬつもりで事故を起こしてスポーツカーをフイにしたあと、出会い系サイトに猛アクセスを試みるとは、支離滅裂の極み。
結局、自殺をするために新車を買い入れ、事故って死ねれば本望と思ったか、生還してみると、重いローンの支払いが残っていて、厭世的気分に陥るところ、お得意の回避行動をとって、遁走。
・願望の挫折によって憎悪するのではなく、自己否定感情に囚われやすい性格者。
[2251]06/04 05:57
つまり、悪いのは俺なんだね
この論理は、次のような対句形式に置き換えられますから、「おなかが痛い。だけどぼくが悪いんじゃない。痛いのは、おなかのせいだ」といったも同然です。自己の身体に対して、管理能力がゼロの若者の用いる論理ということです。
[2487]06/05 07:05
また俺が悪いのか
[2489]06/05 07:07
見事にはめられた
課題に対して、突破力がまるでありません。ただ回避行動があるのみ?
女性願望の挫折は、携帯サイトの出会い系に猛アクセスを試みての挫折の結果とすれば、サイト管理者の運営方法に疑問を持ったり、憎むなどの態度があってしかるべきだが、そういうのがまるでありません。
憎しみとは、言い換えれば、行動の原動力や起爆剤となるはずが、抑圧しています。一方で、「悪いのは、オレのせい」と口にするも「見事にはめられた」とガイシャを装っています。ホンネは、こんな俺を作った親が悪いと責任転嫁の論理にしがみついています。
・優秀な弟のこと
[2248]06/04 05:53
中学生になった頃には親の力が足りなくなって、捨てられた
より優秀な弟に全力を注いでた
高校デビューした同級生の口実が、これでしたね。
ノート総括は、コレ●
・社会に対して度し難く甘えたい願望を持っている。
・ウラの侵攻に対してオモテが守りきれず、ウラが占領してしまう凶悪犯か?
良心が未熟。この意味では、加藤智大容疑者は発達障害の可能性が出てきます。
なお、言葉に関しては、自分で言うのもなんですが、得意な分野です。ホントは、この研究に没頭したいのですが、夢も希望も・・・ってな調子だから、志を折りました(T▲T;
下の引用は、自己紹介の意味を兼ねて(^_^
●表現の心理学とは、a句とb句の間にある<くらい>関係に隠されたダイナミックな心理的メカニズムを明らかにする立場である。
この場合の関係概念は、次のような三種類の逆接の用法から類推している。
A 彼は猛勉強したが、大学は落ちた。(「明るい」論理的関係)
B 彼は猛勉強したが、大学は合格した。(「くらい」心理的関係)
C 雨がはげしく降っているが、歩いていこう。(「つよい」意志的関係)
上にあるAとBの文例は、清水幾太郎の著書『論文の書き方』(岩波新書)にて拝見でき、特にBのような順接の働きはガの用法にはないから「ノデ」や「カラ」を使えと述べているが、「ボクハ落チルト思ッテイタノニ」というツブヤキを挟むと前後の意味がつながることから、「心理的用法」として区別し、ほかの用法とあわせて逆接のガの三大用法と称している。
表現の心理学があるとすれば、表現の論理学があってもおかしくないわけで、この場合はa句とb句の間にある<明るい>論理劇に隠されたダイナミックな論理的メカニズムを解明する立場となる。
では、両者に共通するものとは何か。それは、一口にいえば、越え出るものを指す。
だから、心理学では「良心」が暴露の対象とされ、論理学では「超論理」、言い換えると、「論理の逸脱」が暴露の対象とされることになろう。
「小説」という言語表現は、全体が明るい論理的関係で覆い尽くされていると考えられがちだが、よく調べてみると、その中に、部分の<暗黒>と線の<逸脱>を隠し持っていることに気づかされる。
で、暗黒部分を調査すると「心理劇」が隠されており、同じように逸脱部分を調査すると「論理劇」、つまり、「超人化」が隠されているというわけ。 ●弊著「逸○論」より抜粋