この茶巾さんも、ひとの子だと今回つくづく感じてしまった。 65歳になっても不幸が襲うと、へたへたと腰砕けになってしまっている。 でも子々孫々に伝えたい。 しばらくは書く気にもなれないが、また必ず甦って死ぬ迄元気な様子を、君達に見せたいと思っている。 しばらくは小休止する。 しかし必ず、スケベジイサン・ウィル・リターンだ。
この茶巾さんは、恥ずかしながら国技館観戦は約20年前と含めて、たった2回でしかないので、余り偉そうにもの申せる立場にはない。 しかし午後1時半にお茶屋を経由して枡席に着き、弱いくせして私にとってはただ酒だからと、チビリチビリと酒を飲んでいると、4時半頃になると「満員御礼」の紅い旗が降りてきたのには驚いた。 何故なら枡席はチラリホラリしか空いていないので、これは予約者が未だ来ないのだなと合点出来るが、上段の椅子席は相当空いていたからだ。 そしてこの茶巾さんが推測した通りに、最後の横綱白鳳戦が終わる迄、椅子席は3割以上空いたままだった。 まあこの頃には、枡席を見回すと全席埋まっている様に見えた。 すると何だろう。 枡席のお客はカウント出来る観客だが、椅子席のお客はカウント外、すなわち人間と見なしていないと云うことかと、この茶巾さんは驚いてしまった。 前回の観戦と違って、今回は我々を接待してくれたご夫婦と、隣の桝席に付いた人達が同じ山口県出身だと知ってから、実に仲良くなれたのは、テレビを通して観戦しているのと大違いだ。 しかし「八百長問題」をやっとクリアーした様に見える相撲協会に対して、今度は「満員御礼問題」をこの茶巾さんに看破させられているのだ。 それ故私が中入り後に、元横綱貴乃花が審判長として西の花道から先頭に立って現れてきたから、彼にこの問題を直訴してやろうと思ったら、我々の招待者や隣の枡席の人達から、「酒が入った興業は、すべからくアバウトだ」と、押さえ付けられてしまった。 そう言えばさっきから通路を挟んだ前の席で、化粧はさして厚くはないが、男性2人は私と同年代以上なのに対して、女性は30歳そこそこと20歳半ばが、いつの間にか狭い枡席に混じっていたので、押さえ付けられた後の関心がこの一点に集まってしまった。 前の席はママとチーママだと想定してみた。 今日はお店が休みだから同伴ではないなと、この茶巾さんが鋭く分析してみる。 同伴が無いとすると、相撲が退けたらどうするのだ。 特にチーママはこの茶巾さんの好みで、もし想像した通りになるとするなら、もう絶対に許せない。 大体において、国技は神聖なものである。 それを「満員御礼問題」と言い、前桝で私に涎を垂らさせる「枡席問題」と言い、テレビ観戦では知り得ない様々な問題を、まだまだ提起しているではないか。 それ故横綱戦の後、座布団を土俵に投げる観客が居なかったから、この茶巾さんは前席の禿チャビン二人を、回し蹴りで土俵下まで投げ飛ばしてやったのだ。 何? 中日の相撲の結果はどうなったかですって? そんなの観ている暇など無かったですよ。
日曜日の今朝は目が覚めた瞬間から、まるで小学生の様な夢気分である。 それと言うのも得意先から接待されて、夫婦して大相撲中日を枡席から観戦することになっているからだ。 あちらもご夫婦で見えるとのことで失礼の無い様にと、昨日は必死にテレビで大相撲観戦していた。 そして中日の今日また琴欧州が負けたなら、「やい、ブルガリア・ヨーグルトなど全然役に立たんのか!」と、全国放送どころか各国にも放送されているNHKからこの茶巾さんの大声が流れたら、メーカーだけでなくブルガリア政府も放ってはおけまい。 大体琴欧州はルックスが良いと思って、自惚れ過ぎていたのだ。 「たにまち」から接待されて、「あら、他のお相撲さんと違って、俳優さんの様なお顔をしていて、もう私ぞっこんになってしまったわ」と、あっちの道だけは既に横綱級なのを、この茶巾さんは神楽坂や向島の馴染み(勿論貧乏人で酒に弱い茶巾さんは、料亭では一度も会ったことがないが)芸者衆から、情報を聞き出しているのだ。 何々? あんたがどうして、一流所の芸者衆と面識があるのかですって? そりゃ蛇の道はヘビですよ。 このあたしが向島界隈を歩いていたとしよう。 向こうからは三味線のお稽古を終えて、ホッとした芸者衆が歩いてくる。 こちらは琴欧州より更にルックスが良い上に、苦み走った顔立ちと、教養がびっしりとお脳を満たされている様は、様々な業界人と接している一流芸者達なら、一見してこの茶巾さんのスキルを見抜いてしまうのだ。 それ故直ぐにも、この茶巾さんは「その道の横綱」と言わずもがな、なってしまうのだ。 その一流芸者の一人が、「あちきが主の次に惚れている、琴欧州が今場所は元気が無いのです(何故か一流芸者と言うと、吉原言葉が出てくると思っている)」と、私の枕元で悩みを打ち明けたのだ。 満員御礼の出た昨日は、私が用事があって出向くことが出来なかったから、四人ばかり神楽坂芸者を偵察に行かさせたのは、テレビ観戦していたひと達はお分かりだろう。 しかしあろうことか琴欧州は、昨日から休場してしまっている。 テレビに映った丸髷に、こってりとブルガリア・ヨーグルトを塗り込んだ顔が、琴欧州がいつも土俵以外で相撲を取っている芸者さんだ。 勿論あたしの好みじゃないが琴欧州が体調不良で、あの道でも相撲が取れないとなると、西の横綱であるわたしが彼女と相撲を取ってやる必要があるのかなと感じているのだ。 しかし辛いな。
金曜日には朝7時前に、京成線高砂駅で成田空港行きスカイライナーをやり過ごしていると、その車窓はほぼ満員だったので、韓国など近距離に金土日と海外旅行に出掛けるのだと、こちらはお仕事の車内から円高の影響を感じていた。 帰宅して夜NHKのテレビを観ていると、大阪市でまだ充分に働けるのに意欲を失って、生活保護を受けている世代が取り上げられていた。 ある生活保護者は、127000円/月の支給を受けていて、これは最低賃金保障法に基づく126000円/月より多いと聞いて、この茶巾さんは驚いてしまった。 そして現実に50歳そこそこのひと達は、「もう嫌な仕事には就きたくない」と、大阪市職員達の説得にも関わらず、「僕ちゃん、生活保護の道の方が良いもんね」と、保護費からビデオデッキなどを買い漁って、一日中室内に籠もっているケースも多いと言う。 そんな話しを聞くと、「この茶巾さんは、この9月1日に高齢者の65歳になったと言うのに、それでも老骨に鞭打って働いているのだぞ」と、そんな連中を片っ端から回し蹴りで薙ぎ倒したくなる。 「もう希望する先では就労出来ない」→「だからやむを得ず最低限生きていく為に、生活保護を受けている」→「やることもないからビデオを見ていても、法律違反ではあるまい」との論理は成り立つのか。 このツケは間違いなく後世のひと達が、負担させられるのだ。 政界や行政者達は自分が悪者になりたくないから、彼らをド突いたり出来ないでいて、結果的に後世のひと達から悪者扱いされることが分からないのだ。 だからこの茶巾さんが、敢えて悪者になってやろう。 引き籠もったばかりでまだ体力のある連中は、例え強制的にでも自衛官達が指導して、「東北被災地」の復興に割り当てるべきだ。 そして長いこと引き籠もって、働く体力も失ったと言う連中は、尖閣諸島にでも飛ばしたら良い。 こんな過激な茶巾さんの構想には、善意で炊き出しなど振る舞っている人達は、当然反対するだろう。 では聞こう、善意とは何だ。 五体満足でいながら何時までもひと様の善意に甘えている連中と、その連中に一時的な炊き出しなどして自己満足している連中と、共通点が無いかと真剣に考えて欲しい。 私は内房線に乗ると、とある駅で下車する40歳前後の青年が、ひとの1/4程度の速度でホームを歩いているのをよく見掛ける。 彼を観て「人助けとは何ぞや」と思う、この茶巾さんの論理が間違っているかと考えて、昨晩はぐっすり眠れなかったぞ。 やい、どうしてくれるのだ。
昨日も日中空を見上げると、まるで真夏であるかの様に積乱雲が上下に厚く積み重なって、浮かんでいるのが見られた。 そして積乱雲を眺めていて思い出したのが、また小学生の当時のことだ。 夏休みに筑波山麓にある父の故郷に一週間程泊まりに行くと、毎日の様に小田山の手前にある150m程の小山に登った。 山頂付近の岩に腰を下ろして、東京方面まで続く平坦地を眺めているのが楽しかった。 遠くの方に薄く霞んだ街並みが見える。 その先では今頃父母達が、汗をかきかき働いているのが想像される。 手前に目を移してくると、あちこちの集落は大きな木々に囲まれていて、その外側は黄金色に変色した稲穂が一面に見える。 その黄金色は積乱雲の動きによって、黒っぽくなったり白っぽくなったりと、様々に変わる。 更には風が悪戯して、まるで海面のように向こうからこちらへとザザーッとうねるのだから、午前中は1時間近く見飽きることなく眺めていたものだ。 昼食時に叔父の家に帰ると、伯母と畑で取ったナスが朝と同様にみそ汁の中に浮いている。 当時の私は、このナスのみそ汁が大の苦手だった。 しかし優しい伯母や土浦一女の一年生だった次女の手前、そのナスを無理にも呑み込んでいた。 何故なら昼食を食べ終えると、元々駅前の旅館だったその家の二階で、伯母と次女の間に挟まれて毎日昼寝をするのだが、村一番の才色兼備と言われていた次女に嫌われたくなかったのだから、小4にしてはずいぶんとませていた気がする。 しかし次女の体を撫でて伝わってくる風は、何となく甘酸っぱい気がしたものだ。 しかしその次女は、結婚した後一男一女を設けて40歳程して亡くなったのだから、美人薄命といっても過言ではないだろう。 彼女は当時から人柄も良く、誰からも愛される娘だった。 だから三女が同じ一女の受験に明け暮れているのを良いことに、私はよく遊んで貰った甘い思い出が積乱雲の流れと同時に、電車内で目を瞑っていると脳裏を過ぎっていった。 特にお盆の時には彼女に手を引かれて、先の山の頂にあったお墓に出向いて行ってお迎えした時に、提灯の灯りだけが頼りだったから、彼女の手をギュッと握っていた感触まで思い出してしまった。 ところが昨晩蒲団に入っていると、「よく私のことを思い出してくれたわね」「こちらでまた一緒に遊びましょうよ」と言われた気がして、慌てて目が覚めてしまった。 回想も過ぎたるは、かなり危険な様だ。