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“ 嵐が吹き消した 恵みのろうそくを 再び取り上げ、それに新しい明かりを灯さなければならぬ。” 教皇ヨハネ二十三世

file.no-70 『Star Trek VOYAGER』

2007-04-09 22:35:44 | ドラマ
『宇宙・・・それは最後のフロンティア』
・・・とは、アメリカで全7シーズン放送されたSFドラマ『Star Trek THE NEXT GENERATION』のオープニングでのモノローグである。
こちらのドラマは、日本でも『新スタートレック』と邦題が付けられ、主に深夜枠ではありましたが放送されました。
私も、中学生の頃にビデオで観たり、一度寝て、深夜零時過ぎに起きてリアルタイムで観て、早朝まで起きたままで学校に行ったりした覚えがあります。

『スタートレック』シリーズは、『スタートレック』、『新スタートレック』、『ディープスペースナイン』、『ヴォイジャー』、『エンタープライズ』(全て邦題)と1966年の本国での放送以降、テレビシリーズが5本と劇場映画10本が製作・公開されております。日本でも、順次公開され根強く人気があり、ノベライズも邦訳され刊行されたことも。
時代は、24世紀の未来。人類は宇宙に進出、異星人と交流を持ち、「宇宙連邦」という惑星連合を形成。各惑星間の抗争を根絶するのに成功し、案外平穏に生活している。
銀河系の四分の一の範囲の、それも自領域ではあるが、『パクス(平和)』を実現していることが、なんだかパクス・アメリカーナを意識しているようで面白い。
小説を読んでいると、「カネ」という概念をすら克服したらしく、貧困や格差というものを超越している。努力し、向上心を維持し続ける人間社会。

その連邦の宇宙探査、外交、防衛を担う組織が、「宇宙艦隊」である。軍人が外交までやるところが、大戦前の砲艦外交を髣髴とさせてユニーク。
実際には、作中では「艦隊の誓い・規約」という連邦の方針があり、かなり理性的に宇宙艦隊の士官は行動する。外交の際にも、相手の文化・慣習を重視し非礼とならぬように事前のシュミレーションを怠らない。また敵対勢力と紛争が起こっても、武力行使を極力避け、相手が撃ってきたらやり返すという、観ていて歯痒くなるほど。現実の合衆国を、正反対にした行為を行なう惑星連邦という組織が、このドラマの目玉のひとつだと思います。
物語は、そんな艦隊の、とある船のクルー達の惑星探査とそのトラブルの記録によって展開されていきます。

いわゆる特撮系のドラマは、日本のものは観ないのですが、アメリカのこういったドラマはなかなかスケールが大きく、その広い世界が気に入って観ていました。

今回は、『新スタートレック』ではなく、そのシリーズの後継である『ヴォイジャー』について。
『ヴォイジャー』は、シリーズ四作目にあたり、1995年から2001年まで本国で放送されました。
あらすじは、宇宙艦「ヴォイジャー」とそのクルーが、とある生命体によって、地球のあるアルファ宇宙域の反対側、デルタ宇宙域のとある惑星に転送されたところから始まる。
故郷は、約7万5千光年の彼方。ヴォイジャーの最高速度でも70年以上かかるという距離。
ヴォイジャーのクルーは、絶望せず、故郷を目指し孤立無援でデルタ宇宙域を旅していく・・・というお話。

キャラクターは、シリーズ唯一の女性艦長ジェインウェイを始め、もとゲリラのチャコティ副長。刑務所帰りの操舵士パリス中尉、短気で諍いの相手は殴りたおそうかという機関主任のトレス中尉。デルタ宇宙域に転送された際に、クルーが死亡し、欠員を補充しようと犯罪者を収容、クルーにさせるという設定がとてもユニーク。
正規のクルーと、途中乗艦のアウトローの集団が、呉越同舟として関係がスタートし、それをまとめあげるジェインウェイ艦長の姿や、幾多の困難な事件を経、彼らがやがてはひとつの共同体としてまとまっていく様子も好ましい。

この『スタートレック』シリーズの総指揮を取っていた人間は、人間には希望ある未来があり、それを映像として具現化したいと考えていたそうです。
たしかに、このドラマを観ていると、ただSF的な面白さというよりは、人間の尊厳や自由や義務とは何なのか。あるいは、守るべき信念とは何なのか、といったことにまで考えさせられます。
例えば、作中で、ヴォイジャーは同じようにデルタ宇宙域を彷徨う連邦艦イクアノックスと遭遇します。
彼らは、ヴォイジャーが守り通してきた「艦隊の誓い」を破り、異種生命体を次々と殺戮していた。あまつさえ、ヴォイジャーから推進機関を強奪することさえやってのけた。
ジェインウェイ艦長は怒り、こう言う。

“そうよ、私は怒ってる。すごく怒ってる。彼は宇宙艦隊の艦長よ。なのにこの制服が象徴する全てを放棄した。彼は今も、自分が地球へ戻るために罪のない生命体を殺してる。見過ごすわけにはいかない。どんなに時間がかかっても、彼を捕まえてみせる。どんな犠牲を払っても。これを復讐と呼ぶなら、勝手に呼びなさい。”

越えてはならぬ一線があり、それを越えるかどうかは、まさしくその人の理性や信念による。それを考えさせられるエピソードでした。

しかし、故郷への旅路というものはかくも困難なものか。
ヴォイジャーは、放送した全七シーズンで好戦的な敵対勢力と戦い未知の宇宙域を調査しつつ、少なからぬクルーを失いながら、最終話『道は星雲の彼方へ』では見事地球へ帰還します。
地球を目の前にして、ブリッジで艦長が、「・・・故郷へ」と言う瞬間のクルーの表情は、胸に迫ります。
皆が、眼にじわっと涙を浮かべながらも、頬を紅潮させながらも、弾む気持ちを抑えながら目の前の地球をじっと見つめる。
帰りたいと願い、帰ってきたと喜ぶ。
そのような強い望郷の念を持てる場所。それが故郷。

アンジェラ・アキさんの歌に「Home」がありますが、かくも強い帰属意識を持つのがアメリカ人なのでしょうか。
翻って、我々日本人はどうでしょうか。無論、皆育った家、街には強い愛着がありましょうが、日本という国そのものに対しては?
「艦隊の誓い」ではありませんが、私たちもなにかしらの信念、理念をもって生きていたいと思わせられる。ヴォイジャーとは、そのようなドラマです。
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