映画『ブレイブ・ストーリー』。今夏、公開されたこの映画を、私は年の瀬も迫った今になって観ました。DVDを購入したのです。のみならず、原作小説も購入しました。愛蔵版を。いわゆる、ハマッたのです。
今回は、長かったので、Ⅰ、Ⅱ(Ⅱについては、こちら)に分けました。
映画『ブレイブ・ストーリー』
2006年 7月公開
小中学生にとっては、この映画はぜひ観るべきものだと思います。しかし、高校生以上にとっては、そう薦めはしません。
アニメ大好きな人にとっては、この映画も、ただの愛玩物としかならないでしょうから。
同人誌・・・アニメやマンガをパロディにしたもの・・・の新刊をネットで見たのですが、ブレイブストーリーの主人公の少年二人、ワタルとミツルが『恋仲』で、小学生なのに『性行為』をしているものが発売されていました。人の好き好きだとは言いますが、さて、いかがなものか・・・。
さて、映画の粗筋は述べませんが、大略は、「現実の運命を受け入れない少年達が、〈 幻界 〉ヴィジョンと呼ばれる世界に渡り、そこの《 運命の女神 》に、現実世界の自分たちの運命を変えてもらう」というものです。
(最初、現実に耐えられなかった少年の引きこもり映画だと思っていました。今から考えると、すごい勘違いでしたが。)
父親に殺された妹を。父親との離婚に耐えられず自殺を図った母親を。自分達二人に降りかかった、過酷な運命を変えるために彼らは〈 幻界 〉の女神が座す、運命の塔を目指す。
〈 幻界 〉で出会う人々は、あるいは彼らの仲間になる。二人は、それぞれ別の願いを持つゆえに、ライヴァルとなる。塔に至るためには、五つの宝玉が要る。
五つ目の宝玉を手に入れることは、、〈 幻界 〉の滅亡と引き換えなのだと知った時、ワタルとミツルは異なる選択をするのです。
そして、塔の試練を、ワタルは乗り越え、ミツルは乗り越えられなかった。
運命の女神の前に、ワタルは進み、願いを口にする。
かなえられる願いは、ひとつのみ。彼は、母親を救ってもらうのか、それとも・・・?
演者の力量、映像技術、音楽の質、たいへんに素晴らしいと感じます。Aqua Timezという歌い手が居たということを知りもしました。
二時間の物語のなかに、観る者に強く語りかけるモノがありました。
例えば、ミツルの願いは、殺された妹を救うこと。幼稚園児らしい年頃のようでしたが、その年で実の父に殺された彼女、むごい運命です。
その願いの為に、彼は宝玉を探し、障害となる〈 幻界 〉の住人を焼き殺し消滅させる。
最後の宝玉は、〈 幻界 〉と〈 魔界 〉を隔てる押さえであり、それを手に入れるということは、〈 幻界 〉が魔界に呑まれ滅びるということ。ワタルは躊躇するが、ミツルは宝玉をその手に掴む。
・・・ここは、自分のためなら、他の何も踏みにじっていいのか。他人を思いやるべきではないのか。といったことを、観る者に訴えかけています。知性をさほど持たない子どもたちにとって、ぜひ観るべき映画だと、私が思う所以はここにあります。
運命の塔で、試練に敗れたミツルは、ワタルの前で死んでしまう。
「どこで間違えたんだろうな」と呟き、これで最後だと言うミツル。
「最後なんて言うなよ。 一緒に帰ろう? 帰ったら、学校行ってサッカーやって、ゲームして、中学にだって・・・」と言うワタル。
「俺はひとりでいい・・・」と答えるミツル。
ワタルは「ふざけんな!絶対、連れて帰るからな!」と叫ぶのだが、彼はもう消えていこうとする。
死の瞬間に、彼に訪れたのは、妹の想い出。ミツルの誕生日を家族みんなでお祝いする想い出。
光の粒となっていくミツル。行くなと、ワタルは哀願する。
「行かないで ミツル! ねえ ミツル! ミツルーっ!!」と。
このシーンや物語の結末は、映画と原作とは大きく変わっておりました。もう、びっくり。
このシーンは、映画版のほうが好ましいと思います。願いをかなえる女神とのシーンは、原作版のほうがよかったですが。
映画と原作、感動の程度は、どちらがより多いか。
映画化の良否は、ファンの方たちの間では問われそうですが、先入観なしに観た者にとっては結構なお味でございました。
('07/05/04一部改訂)