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夢の続きが始まりました

2000年、歌手デビューが決まった直後まさかのレコード会社倒産。挫折から22年の時を経て夢の続きが始まった。

石川善一:回覧板 12(学び)

2025-07-26 21:15:03 | 学童保育・生徒

2023/11/25
石川善一53才です。

誰もが昔は子供だったのに、
自分が大人になると、子供ってどんな感じだろう…?
…ってなりますよね。(^_^;)
特に独身の人は、子供と関わる機会もなく、
●手がかかる存在
●めんどうな存在…みたいに思う人もいるでしょう。
私の場合は元々、子供が好きだったようで、
面白そうな存在って感じでしたけどね(笑)
……………………………………………
1991年10月
私は学童保育の先生になりました。
そこには子供が200人以上いました。
16校の学校に迎えに行き、夕方まで遊び、
帰りは自宅まで送迎する仕事です。
私は当時21才です (^o^)

「新しい先生だ~\(^O^)/」…と
子供達の方から寄って来てくれて、
初日から楽しかった事を覚えています。
 
私は200人…覚えられるかな…?
………ビックリする事に、あっという間に覚えました。
しかも、学校、学年、家、親御さんの顔まで覚えたんです。

甘えん坊もいますが、しっかりした子もいます。
トランプ、おままごと、お絵かきをして遊びました \(^O^)/
私はたくさんの子供の宿題も見ました。
転んだ生徒の手当てもしました。
毎日一緒にいて色んな事を教えました。
…教えたというより、勝手に子供が吸収してくれる感じ…かな。
……………………………………………
私が務めた学童保育には犬が5匹と、
勝手に住み着いたネコがたくさんいたのですが、
私が入社した時に1年生だったハヤテ君はネコが大好き。
めっちゃ可愛がる優しい少年です (^o^)
動物って優しい人間が分かるって言いますよね。
ハヤテはいつだってネコまみれ(笑)
「おすわり」とか「待て」を教えてましたが…
…言うことをきくようになったんです(笑)
他の誰が言ってもきかないのに、
ハヤテだけがネコを操れるようになりました(笑)
……………………………………………
1年が過ぎハヤテは2年生。
ハヤテは、同じ学校から学童保育に入ってきた、
新1年生の大輔の面倒をよく見てくれました。
仲良し師弟関係の誕生です。
……………………………………………
学童保育では月に数回イベントがあり、
高学年は手伝ってくれる文化がありました。

●「今日のイベントは、大縄とび~\(^O^)/」
高学年は、縄跳びを回転させる役割りを引き受けます。

●「今日のイベントは、かき氷~\(^O^)/」
高学年はシロップをかけたり、氷を削ります。

ハヤテと大輔は
「大きくなったら僕も手伝いたい (^o^) 」

*左の赤Tシャツ=石川 (^o^)
 ……………………………………………
時は過ぎ、ハヤテ6年生、大輔5年生。
「今日のイベントは、どんど焼き~\(^O^)/」
丸めたお餅を棒に刺す手伝いや、
校庭に、薪を置く作業を高学年がしてくれます。
ハヤテと大輔も大活躍 \(^O^)/
 
私は新聞紙に火をつけ、イザ、点火。
一見、危険なイベントに感じるかもしれませんが…
「あちち…あちち~ (>_<) 」
火に近づけないんですよ(笑)
皆、お餅を焼くのに大苦戦(笑)

危険なのは火が弱まったイベント終盤です。
火の勢いはないのに焼けた炭がある。
職員はホースで消火の準備を始めます。

高学年は見回りを始めます。
火の周りに書いたラインの中に低学年が入らないかパトロール。

すると大輔が走り出しました。
危ない低学年を見つけたのでしょうか…?
その時、大輔は勢いあまって転倒したのです。
ラインの外側で危険ではなかったものの
ハッとした私は大輔に次の言葉を発しようとしたのです。
 
「 !!! 何やってんだー危ないじゃないか !!! 」
 
…しかし、その一瞬先に言葉をかけたハヤテ。
 
ハヤテが大輔にかけた言葉は、
「 !!! 大丈夫? !!! 」
 
…私はショックを受けました。
大輔をしかろうとした私に対し、ハヤテは大輔を心配したのです。
 
…ハヤテ…きみが正解だ。
私はハヤテに救われました。
ありがとう…俺を止めてくれて。
 
大輔だって一生懸命やってくれてたんだ…なのに私は…(>_<)
26才の、先生と呼ばれる私が、12才の生徒から学んだのです。

子供って凄いんですよ (^o^)
確かにまだ成長過程ですけど、大人と違って純粋。
そして、いい意味で単純。
ハヤテは単純に大輔が心配だったのです。
元々、優しい少年だったハヤテ。
初めて会ったあの日から5年経った時、
私はハヤテから優しさを学びました。
……………………………………………
8年間の学童保育時代には、子供から学ぶ事がたくさんありました。
気付かされる事もありました。
毎日の生活と、様々な心の動きを共にし、
互いに成長できたと思っています。
だからこそ私は、子供達を単なる生徒としてではなく、
友であり兄弟として見る事ができたのでしょう。

私は石川先生です。
でも大半の男の子は私を【監督】と呼びました。
ドッジボールのチームを作り、
男の子の中で【監督】という呼び名が浸透したからです。
中には【監督】を変化させ【クントカ】と呼ぶ子もいました。
 【クントカ】と最初に言ったのは、ハヤテです(笑)
 
女の子の大半は私を【イッシー】と呼びました。

私はせっかく先生になったんだから【先生】って呼んでほしいな…
最初はそう思いましたが、あだ名で呼ばれて良かったです。
なぜなら私は生徒を友のように…兄弟のように感じていたからです。
子供達から見た私も、きっと単なる先生ではなく、
友であり兄だったのではないか?…と思うと嬉しくなります。
……………………………………………
大人は子供に教える立場です。
でも逆もあるんです。
今回のエピソードは私が子供から学んだ特に印象深い出来事です。
 
大人になると汚れてしまいます。
本音と建て前を使いこなします。
誰でもそうです。
 
私は学童保育の先生でいた8年、いい意味で退化したのかもしれません。
自然に子供の世界に入る事ができた事によって…
…退化する事によって…子供から学ぶ事ができました。
それはすなわち、退化ではなく進化なんだと思います。

世の中のお父さん、お母さん。
子供の世界を覗いてみて下さい。
もしかして叱る前に【学び】があるかもしれませんよ。
……………………………………………
ん…?
あれ…?
計算してみると…

おいおい…ハヤテ…現在39才かよ (>_<)
おいおい…大輔…現在38才かよ (>_<)
 
私に色んな事を気付かせてくれた純心な少年達よ。
クントカね…デビュー失敗しちゃったけど歌の宣伝やってるよ。
今度はお前達がこのブログに気付く番…かな(笑)
ほら、
↓ココをクリック…な (^o^)
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石川善一 Original Song ベスト


「 夢の続きが始まりました【第八十二章 (生徒) 】」

2025-05-20 17:41:05 | 学童保育・生徒

2023/5/1
石川善一52才です。

若い頃、学童保育の先生でした。
私の夢は歌手でしたが子供達との日々は楽しく、
夢と現実の狭間で揺れていました。
8年後デビューが決まり、
頑張ると約束したのに…レコード会社が倒産。
あれから22年。
封印していた歌の配信を始めました。
大人になったかつての生徒に届きますように。

女の子がお絵かきしていました。
「上手だね (^o^) 」
「イッシーも一緒に描こう (^o^) 」
私はいつもお決まりの
カエルさん、わんちゃん、男の子&女の子のイラストを描きます。
 
気付くと、テーブルにはお絵かきする子が10人に増えていました。
最初の子がおもむろに【イッシーへ♥】と書き足し、
「イッシーにあげる~ (^o^)♥」
「ありがと~、じゃ、イッシーの絵もあげる~ (^o^) 」
 
他の9人もおもむろに【イッシーへ♥】…
私はまた描きます(笑)…次の子にも描きます。
次の子にも…次の子にも描きます(笑)
 
あれッ…帰る時間だ~ (>_<)
「え~まだもらってないよ~ (>_<) 」
「明日あげるからね (^o^) 」

…私は家に帰って残りの子の分を描いてました(笑)
プライベートでも学童保育の先生してましたが、
ぜんぜん苦じゃなかったです。

私は貰った絵の裏に、
その子の名前と学年と日付けを書いてファイルしていました。
今も家にあります。

近くの山にお花見です

ドッジボールが得意な私は男の子の中では先生というより
リーダーみたいな雰囲気です。

高学年は生徒と言うより妹です (^o^)

甘えん坊もいっぱい (^o^)

「イッシー、へん顔して~」

夏休みには宿題を見ました。

ご飯も一緒に食べます (^o^)

毎年恒例キャンプです。
川遊びは楽しみながら監視します。
膝より深い所には行かせません。
親元離れてお泊まりだけど
友達も先生もいるから寂しくな~い (^o^)

みんな可愛い生徒です。
みんな弟、妹です。
みんな私の子供です。
みんな私の友達です (^o^)

全員が私の歌を聴いています。
学童保育の校歌を作って、全員が歌えました♪
忘年会ではライブをしました。
その年に作った新曲と、アレンジした童謡、学童保育校歌の3曲です。
 
「イッシーは歌手になるんだよね~ (^o^) 」
 
…もしデビューしたら…
「僕の先生だったんだよ~」と自慢させてやりたかった私。
………………………………
2000年…歌手デビュー決定からの挫折…。
約束を守れなくてごめんね。
23年も経ってしまったね。
君たちはもう30~40歳代になっているんだね。
もう1度聴いてくれないかイッシーの歌を。
見つけてくれないかイッシーを。
皆の事、忘れてないよ。
「夢の続きが始まりました」が…オリジナル曲が…
かつての生徒に届きますように。

石川善一 Original Song ベスト


「 夢の続きが始まりました【第七十章 (秘密特訓) 】」

2025-05-06 19:52:19 | 学童保育・生徒

2023/3/19
石川善一52才です。

学童保育に、運動大好き、活発な女の子、ノンちゃんがいた。
私が先生になった時、2年生だった。
 
ドッジボールが得意だった私は、
「ノンちゃんもおいで (^o^) 」
男子に混ざって元気に走り回るノンちゃん。
勢いあるボールもキャッチしようとするのだ。
アウトになっても、外野から懸命に当て返そうと全力で投げるが、
弱いボールだから取られてしまう。
それでも、いつも、めっちゃ楽しそう (^o^)

ある日、ノンちゃんは私に
「特訓して!!  (^o^) 」と言った。
低学年の方が下校時間が早い。
そこに目をつけたノンちゃん。
高学年が帰ってくる前の秘密特訓が始まった。
 
男子に劣らない能力を身につけた頃、ノンちゃんは5年生になっていた。

ノンちゃんのお父さんは私に言った。
「最近、娘とどう接していいのか分からなくて…」
「石川先生には懐いてるし…どうしたら懐いてもらえるんですかね?」
 
簡単な事だった。
私は子供達とは、先生と生徒ではなく、
友達or兄弟…みたいに思っていただけだったからだ。
 
物怖じしないノンちゃんは5年生になっても
「セーラームーン歌ってよ」と言うと歌ってくれる子だった。
 
私は当時ヒットしたポップな演歌:オヨネーズの【麦畑】を真似て
【イチャイチャ夫婦】というデュエット演歌を作った。

「なぁなぁ、ノンちゃん、忘年会でデュエットしようぜ」
…「やるやるー」\(^O^)/

忘年会の出し物なので、
ネタばれしないように教室の隅っこで秘密特訓が始まった。
 
男性パートも女性パートも両方、私が歌ってるカセットテープを聴きながら、
「ノンちゃん、こっち覚えて!!」
 覚えのいいノンちゃんは、「振り付けもやろうよ (^o^) 」

私はノンちゃんが考えた振り付けの秘密特訓をさせられた (笑)

忘年会は大成功。
ノンちゃんは楽しそうに歌いながら、
私と老夫婦役の振り付けをこなした。
 
後日…
「お父さん、お父さん…ノンちゃんと、どうたらこうたら…どうたらこうたら」
…と説明し、
「ノンちゃんに【イチャイチャ夫婦】のカセットあげたから、
          家でお父さんもデュエットしちゃって下さい (^o^) 」
 だが…ノンちゃんから、お父さんと歌ったよ…という報告はなかったのだ。
 
思春期の娘と距離ができてしまうのは、お父さんあるあるですね。
頑張れー!! お父さん達!!
 
*上に乗ってるのが今回の主人公ノンちゃん2年生。
 下はチイちゃん1年生*

↓この絵は31年前にチイちゃんからもらった絵です。


「 夢の続きが始まりました【第六十三章 (文化) 】」

2025-04-28 18:14:49 | 学童保育・生徒

2023/2/27
石川善一52才です。

皆さんお馴染みの童謡【カエルのうた】です。
シンセサイザーでオリジナルアレンジしました。
学童保育の子供達に聴かせたら大喜びでした (^o^)
気楽に聴きながら読んで下さい (^o^)

毎年恒例の忘年会では、クイズやゲーム、劇をやり、
最後は私が作った学童保育の主題歌ライブ♪
おまけとして童謡をアレンジして披露していました。
いっぱい作ったのに残っているのはコレだけです。

6年生は司会進行やクイズを考えたりしてくれます。
ペットボトルをゴムボールで倒すボーリング。
そんなゲームでも大盛り上がり。
6年生は球拾いやペットボトルを立て直す係をやってくれます。

一人っ子も、母子家庭の子も、そこに集まった子供達は皆、兄弟みたいです。
たった5才の違いでも1年生と6年生ではかなりの差。
お姉ちゃんは1年生の鼻水を拭きます (^o^)

1年生にとって体格差がある、お兄ちゃんお姉ちゃんは絶対的存在で、
縦社会になりますが、私が務めた学童保育の1年生は、
「お兄ちゃん怖そうだから」…ではなく、
【お世話になっている大好きなお兄ちゃんだから言うこと聞くね】
…という理想的な縦社会でした。
6年生も昔、お世話してもらった事を覚えていて、
こんな上級生になりたいと思ったのでしょう。
 
私は8年務めましたが毎年、理想の文化は引き継がれ、連鎖していきました。
 
低学年は6年生を、●●ちゃん、●●君と敬意を込めて呼びます。
私は先生ですがイッシーでした(笑)
新1年生は入学時、石川先生と呼びますが、
あっという間にイッシーに変わりました (笑)
だいたい毎年、一ヶ月で私は「先生」ではなくなっていました。
これも文化ですね (^o^)

ライブは毎年3曲。
■アレンジ童謡■その年に作った新曲■学童保育の主題歌。
ヒーロー調のアレンジで、
園長先生の事を歌詞に書いた校歌は全員、歌えました。

*補足*カエルのうたは、オーディションに出した事はありません(笑)


「 夢の続きが始まりました【番外編 (学童保育) 】」

2025-04-16 19:12:32 | 学童保育・生徒

2023/1/25
石川善一52才です。

●1991~1999年 (21才~29才まで)
  8年務めた学童保育の主題歌 「おいちゃんのうた」を作った。

● 現在では学童保育の認知度は高いが当時は存在せず、
   日本で初の学童保育と聞いている。
● 株式会社としての民間学童保育 第一号で、私はその初期の職員だった。

● 夫婦で起業し、
   社長の愛称は 「おいちゃん」
   奥さんは 「K子先生」
● 生徒は200人前後。
● 卒業と入学で毎年50人くらい入れ替わったので接した生徒は500~600人。
● 当時は中型犬5匹と、勝手に住み着いた猫が10匹以上いた。
● 送迎用のワゴン車が1号車~7号車まであり、16校の生徒が集まっていた。

● 新1年生が入ると 「おいちゃんのうた」 を歌おう会というイベントがあった。
● 教室の壁には歌詞が書かれた模造紙が貼ってあった。
● 「おいちゃんのうた」 なので、
     おいちゃんが歌うと勘違いされるのは、あるあるだった。
● 低学年が聴きたいと言うと6年生が曲をながした。
● 60分カセットに繰り返し録音した歌が流れた。

● 夏には祭りがあり10分テープを原価で販売した。
● B面には学童保育と関係ない私のオリジナル曲をいれた。
● 自宅で100本のカセットに録音していたが、毎年必ず完売していた。
● 1つ持っていればいいものをB面の曲を目当てに毎年買ってくれる生徒もいた。

● 冬には忘年会があり生徒の出し物や、ゲームをしながらお菓子を食べた。
● 最後に必ず「おいちゃんのうた」とB面の歌のライブを行った。
 毎年、大合唱になっていた。
● 生徒で歌えない子はいなかったと思う。
 私の最大のヒット曲である。
● 当時はカセットテープだったので、もう持っている生徒はいないだろう。

● 3年前に学童保育に久しぶりに顔をだした。
● 驚く事においちゃんもK子先生も的確に私の時代の生徒の話をした。
● その中の生徒の一人が一時期、先生になっていて、私が居ない時期の
 学童保育でも「おいちゃんのうた」がアカペラで歌われていたという。
● 後日CDを渡しに行くと、
 K子先生は再び学童保育の主題歌として流すと言ってくれた。

● 私は「石川先生」・「イッシー」・「監督」と3つの呼ばれ方をしていた。
● ドッジボールチームを作り、3ヶ月に1度の検定で1軍、2軍を決めていた。

● どうしても1軍に入るのは5、6年生になる。
● 運動神経抜群のお兄ちゃんに憧れる1年生は、自分はドッジボールしていないのに
 お兄ちゃん達のまねをして私の事を「監督」と呼ぶようになった。
● いつしか「監督」は男の子の呼び方で、
「イッシー」は女の子の呼び方というルールになった(笑)

● とにかく楽しかった学童保育時代。
 私は今も昔も生徒達を友達であり弟、妹と思っている。