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夢の続きが始まりました

2000年、歌手デビューが決まった直後まさかのレコード会社倒産。挫折から22年の時を経て夢の続きが始まった。

【 親孝行の大切さ 】を広めています

2025-09-06 17:28:06 | お母さん・親孝行

【 親孝行の大切さ 】を広めています。

オリジナル曲【母よ】に込めた思い。

親孝行したいけど照れくさい…と思っている人に
読んでもらいたいです。  ↓

https://odsvo.muragon.com/entry/3.html?fbclid=IwY2xjawEhiJ9leHRuA2FlbQIxMAABHfQSD7hqzOjdDk1e8qcFHV_0vNmpI8mF8FgmhjeyZ1Ur1HEJewrGJULJBA_aem_pQEcGyf9f4szl2HXwxsvCg


【 最終章 】石川善一:回覧板 18(晴れ舞台)

2025-09-06 13:29:10 | お母さん・親孝行

2023/12/27
石川善一53才です。

今日は有給をとったが、朝8:00に目覚ましをかけた。
仏壇のある母の部屋を徹底的に掃除して、
チリ1つない状態にする為だ。
 
今日12月27日は母の命日。
お別れしたあの日から、ちょうど20年目になる。
 
あれから…もう?…
時の流れが驚くほど早く感じる。
20年前の記憶は、まるで昨日の事のようだ。

現在このムラゴンブログ
●夢(目標)・未来 : PVランキング : 3位
●思い出・過去 : PVランキング : 3位
●シンガーソングライター : PVランキング : 3位

天国の母にいい報告ができるのが最高に嬉しい (^o^)
読みに来てくれた皆さん、本当にありがとう。
……………………………………………
母は2003年の12月1日に入院し、そのまま家に帰ってくる事なく、
12月27日…病院のベッドで68年の生涯を終えた。
入院した12月1日の留守電のメッセージは今も残してある。
「もしもし…お母さん発作が起きそうだから病院に行くね」
…苦しんで病院に行った訳ではない…。
…良かった。
……………………………………………
母は3つの病気をかかえていて、その1つが糖尿病だった。
甘いモノが好きなのに我慢せざるを得ない。
 
私は昨日の会社帰りにこのお菓子を買った。
【CRISP CHOCO】

【CRISP CHOCO】は8つにセパレートできるお菓子。
母は、「1日ひと切れだけ食べて後は明日のお楽しみ (^o^) 」
…と言っていた。
……………………………………………
2003年12月27日。
20年前の今日この日…母は天国に旅だった。
母の部屋のテーブルに【CRISP CHOCO】が残されていた。
8つのうち、6つが残っていた。
多分、入院した12月1日の2日前…
11月29日に母はこのお菓子を買ったのだろう。
2切れ食べて後は明日のお楽しみ\(^O^)/
母はきっと、そう思っていたはず。
だが………母には残りを楽しみに食べる明日は来なかった。

こんな事になるなら…我慢しなくて良かったのにね…。

私は泣きながら初めて【CRISP CHOCO】を食べた。
母と同じ2切れを食べ終わった時、
残りは天国で食べさせてあげたいと思い、棺に入れた。
ごめん…2つ食べちゃった…
俺のオリジナル曲のカセットテープも入れておくね。
チロちゃんも入れておくね(第三章(母)参照)
……………………………………………
【CRISP CHOCO】は20年たった今でも売られている人気商品。
たまに買って仏壇に供えている。
しばらく供えた後に私が食べるのだが、
母が買っていたのがうなずける、おいしいお菓子なのだ。
 
「…1日ひと切れで我慢していたんだよね」
「今日は全部たべていいからね」
「…ん…何…?」
「ヨシカズも食べなさい\(^O^)/」
…「じゃ、一緒に食べよう」
 
母のアルバムを見ながらそんな会話をした。
BGMは母が好きだった前川清さんのBESTアルバム。
その後は石川善一BESTを流すよ。
……………………………………………
母が天国に旅立った時、私は33才。
まだパソコンを持っていなくて…エクセルも使った事がなかった。
母の仏壇に手書きで書いたオリジナル曲【母よ】の歌詞カードを置いている。

右下には日付けが書いてある。
2003年12月31日。
…私はこの歌詞カードを母が天国に逝ってわずか4日後に書いたようだ。

この時、自分がどんな気持ちで書いたのか覚えていない。
でも、きっと…
…年が明ける前に…母がこの世に存在した2003年のうちに、
母への感謝と愛を残そうとしたのだろう。
……………………………………………
昨年に引き続き、【夢の続きが始まりました】のおかげで、
たくさんの人が母に会いに来てくれるはず。
「母さん…皆、俺の友達なんだよ (^o^) 」
「会った事がなくたって友達なんだ…こんなにたくさん…凄いだろ」

そして今年はいつもと違う事がもう1つ。
「あのネクタイをしめたよ」
   (回覧板17(心残り)参照)

「お別れしたあの日から、ちょうど20年だね」
あれから…もう?…
33才だった息子は53才になりました。
 
「写真を撮ってガッカリしちゃった…おじさんだね (>_<) 」
「おかしいなぁ…鏡で見るより老けてる… (>_<) 」
「母さんから皆に言ってよ」
「ヨシカズは写真うつりが悪いだけです」…って(笑)
……………………………………………
ただただ悲しみにふけるだけだった今日この日は、
20年の間に少しずつ変化していった。
気付けば、母にこの1年を報告する日に変化した。
そして、読者の皆さんに母を紹介する日に変化した。
きっと母は皆さんをもてなそうとするだろう。
「大丈夫だよ母さん…皆、母さんに会いたいと思って来てくれたんだ」
皆に囲まれた輪の中心で母が笑っている。
今日2023年12月27日のこのブログは、
母さんの【晴れ舞台】に変化したんだよ。

母さん…
俺…【夢の続きが始まりました】…いっぱい書いた。
いろんな事を書いてきた自伝ブログ:【夢の続きが始まりました】
もしかして俺の夢の続きの終着点は、
母さんの【晴れ舞台】を作る事だったのかもしれない。
 
それでもいい…それでいいから…………会いたい
母さん…もう一度会いたい。
1分だけでいいから…
1秒でもいいから………会いたい

そうだ!!!…この投稿にサブタイトルを付けよう!!!
今の俺が母さんにしてやれる親孝行。
今の俺が作ってやれる母さんの【晴れ舞台】
母さんに捧げるこの投稿の、もう1つのタイトルは…
 
「 夢の続きが始まりました【第九十章 (会いたい) 】」だよ。
……………………………………………
そして…
これまでに2回、【夢の続きが始まりました】を完結させたけど…
…タイトルを…【トピックス】や【回覧板】に変えてきたけど…
やっぱり…
…やっぱりココまでを【夢の続きが始まりました】って決めたよ。
そしたらたくさんの人が母さんに会いに来てくれるから寂しくないだろ。
……………………………………………
人生って不思議だね。
俺、歌手デビューも、
このブログを出版する事も、
ドラマ化や映画化も、
派遣社員から抜け出す事すら叶ってない。
でもね、母さんの【晴れ舞台】が作れて嬉しいんだ…満足なんだ。
……………………………………………
1年半前…2022/7/15
オリジナル曲を宣伝する為に書き始めたブログは自伝小説に変化した。
そして今…その自伝小説:【夢の続きが始まりました】は、
【親孝行の続きが始まりました】に変化したんだね。
俺…書き続けたんだ。
楽しかったけど大変だった。
でもね…書いて良かったよ (^o^)
俺、これからいろんなサイトを見つけて、
【夢の続きが始まりました】を発信していくよ。
そこでもきっと読んでくれる人が現われて…母さんの【晴れ舞台】に辿り着く。
たくさんの人が母さんの友達になってくれるはずだよ。
……………………………………………
母さん…俺、母さんの子供に生まれて良かった。
幸せだったよ。

20年前に悲しいお別れをしたけど、
それまであなたと過ごした33年間の記憶は、まるで昨日の事のようだ。

石川善一…53才
10年後?…20年後?…30年後?…
分らないけど、俺が天国に逝く日が来たら…
また母さんの子供にしてね。
そしたらいっぱい親孝行するからね…
それまではこっちの世界で【夢の続きが始まりました】を
できるだけ広めて親孝行するからね。
……………………………………………

皆さん、親孝行をして下さい。
【照れくさい】を捨てて下さい。
読者様の中には私のように親を亡くされた方もいるでしょう。
でも…、会えなくたって親孝行ができるという事を知って下さい。
 
あなたの心に【晴れ舞台】をつくり、
あなたの天国の大切な人を招待してあげて下さい。
いつでも親孝行はできるのです。
そして、この投稿を何度でも読みに来て下さい。
あなたが、もう1度コレを読もうと思った時…
それはあなたが親孝行について考えたい時だと思うからです。
あなたが親孝行したい…と思った時だと思うからです。

さあ、始めて下さい、親孝行を。
つくり上げて下さい、
あなたの心の【晴れ舞台】を。
あなたの【親孝行の続きが始まりました】を。
…………………………………………… 
母さん…
母さんは俺の心の中の【晴れ舞台】にいるよ。
このブログの【晴れ舞台】にいるよ。
これからも、まだ、いつまでも…

【母よ】   
  (1995年2月22日 完成曲  作詞作曲:石川善一)

幼い頃 父にしかられた
僕の代わりに殴られた母
かばってくれたその荒れた手がやけに大きく感じた
転んで傷だらけで泣きじゃくる
僕をそっと抱きしめてくれた
あなたがつけたバンドエイドが魔法の薬に見えた
あなたに愛を注がれてばかり
ありがとう…ぬくもりを優しさを

* 母よ
これからもまだいつまでも元気でいておくれ
自分の体を大事にしておくれ
母よ
大人になった僕の事あなたにとっては
ずっと子供だろうけど
心配しないでいいよ

TV見ながらうたた寝してる
きっと仕事が辛かったんだろう
最近少し白髪が増えた
無理はしないでいいから
「気持ちは若いつもりでいるけれど歳には勝てないね」
…と 笑ってた

母よ
これからもまだいつまでも元気でいておくれ
そんなに自分を犠牲にしないで
母よ
あなたの丸めた背中に目頭が熱くなる
僕ができる事ならば
何でもしてあげるから

* 繰り返し
……………………………………………

 

 ♩♩♩ 【 夢の続きが始まりました 】 ♩♩♩  【完】

 

① 【夢の続きが始まりました】はこちら↓
https://odsvo.muragon.com/
② 【石川善一オリジナル曲BEST】はこちら↓
https://youtube.com/playlist?list=PLs17csMUXKMKbEN5JRFHLP68bbgQnaUbM&si=-_vI-M2TrXk68P-L


「 夢の続きが始まりました【第八十五章 (虫の知らせ) 】」

2025-05-25 18:48:11 | お母さん・親孝行

2023/5/6
石川善一52才です。

第六感と言うべきか予知能力と言うべきか…。
私の人生の所々に現われる、いわゆる【虫の知らせ】
前もって何かを感じるわけではなく、
後になってから、あれは【虫の知らせ】だったんだ…
というタイプの不思議な現象。
 
↓コレは、ライブハウスの【バックステージパス】です。 

演者が会場と外を自由に行き来できる入門証みたいなもので、
布製のシールになっています。
私がホームにしていた、
厚木ライブハウス【FUZZY】の閉店ラストステージのモノです。
このライブに母を招待し、
ずっと聴かせられなかった【母よ】を披露しました。
それまで母は何度も私のライブに来たがっていたのですが、
心臓が悪かったので、連れて行く事はありませんでした。

ライブハウスFUZZYの最終日は火曜日だったのでチケットが余りました。
母は、「余ってるならお母さん行きたい (^o^) 」
「心臓…大丈夫だから」
 
…ずっと断り続けていたのに………私は何故かすんなり、
「じゃぁ久々に招待するよ (^o^) 」

1995年、母が初めて入院した時に作った【母よ】という曲。
照れくさくて8年も聴かせられなかったこの曲を、
ライブステージからなら聴かせられる!!!

母が15年ぶりに来たライブで歌いました。
でも…まさかそれが…
母が【母よ】を聴く最初で最後になるなんて思ってもみなかった…。

【バックステージパス】に書かれた2003年10月28日…
母が天国に逝ってしまったのは、2003年12月27日。
このライブのちょうど2ヶ月後でした。
ピンピンしていたのに急に心臓が悪化してしまったのです。

チケットが余ったのも、すんなり招待したのも、
後になってから【虫の知らせ】だと思いました。
きっと不思議な偶然があったからこそ最後の親孝行ができたのでしょう。
 
母の前世は犬だったんじゃないかと思っています。
犬のように愛情と優しさに満ちた人でした。
ちなみに私は戌年(イヌ年)です。
ん~、関係あると言えばあるような…ないような(笑)

ライブ当日は驚く事に、来ないと思っていた友人達が勢揃いしたんです。
仕事をうまくこなして駆けつけ、当日券を買ってくれました。

バンド時代のシゲちゃん&アスちゃんもいます (^o^)

学童保育の生徒達もいます (^o^)
中学生になった生徒も来てくれました。

この時はこれが自分の最後のライブとは思っていませんでしたが、
その後の生活がバタバタして、
気付いたらこれがラストライブになっていました。

私はライブ2ヶ月後の母の死で、
ホームヘルパー2級の資格を取るために、短期の学生になりました。
老人介護の仕事で親孝行の続きをしようと思ったからです。

しかし残念ながらその業界の待遇は予想以上に厳しく、
派遣社員に逆戻りする事になります。
でも新しい派遣先で素敵な彼女ができました。
彼女は、ひとまわり歳下の同じ戌年(イヌ年)でした。
人生って不思議。
つながっているんですね (^o^)

研修で3日間行った老人ホームのお年寄りは皆、素敵な人でした。
面白いおじいちゃん。
可愛いおばあちゃん。
ただ、うまく歩けないだけです。
うまく食べられないだけです。
それを介助するスタッフは大変なのに待遇が割に合っていない現実 (>_<)
待遇改善を希望する思いは、
【第五十四章 インフルエンサー】で発信できました。↓
     https://odsvo.muragon.com/entry/88.html
人生って不思議。
つながっているんですね (^o^)

そんな全てが【虫の知らせ】みたいに私に降りてくるなら、
悲しみも苦労も無駄ではないし、派遣社員から脱出できないのも
色んな経験を積む為なんだと思えます。

…………………………………………………………     

↓この写真に写っているちっちゃな子供は、
すでにオリジナル曲【母よ】の歌詞を思っています。
まだ作詞作曲の能力が備わっていないだけで
【母よ】の歌詞を思っています。

この子が成長し、33才になった時、
母への思いをメロディーに乗せて伝えられました。
たった1回…たった1回でしたが母に【母よ】を届けられた2003年10月28日。
ラストライブのこの日は私の大切な1日です。
この日があって良かった。


「 夢の続きが始まりました【第八十一章 (母さん) 】」

2025-05-19 17:41:28 | お母さん・親孝行

2023/4/29
石川善一52才です。

私は【母さん】と呼びたかった。

本人に向かって1度も呼んだ事がないのだ。
 
母は、息子に1度も【母さん】と呼んでもらえないまま、この世を去った。
 
物心ついた時、私は母を【ママ】と呼んでいた。
母も、
「ママがやってあげるね」
「ママにも見せて」…のように、
自分の事を【ママ】と言っていた。

幼稚園 …………「ママー (^o^) 」
1年生 …………「ママー (^o^) 」
2年生 …………「ママー (^o^) 」
 
私は小学3年生で初恋をした。
 
授業参観に来た母は、帰り際に「ママ先に帰ってるね」
…私は凄く嫌だったのだ。
好きな子がいる前で、石川君はママって呼んでるんだね…と
知られるのが恥ずかしかったのだ。
もしかして、赤ちゃんみたいって思われちゃったかな…?
顔を真っ赤にして怒っている私の雰囲気に、母は気付いたのだろうか…? 
「お母さん買い物してから帰るから、カギで入っててね (^o^) 」…
 母が自分の事を【ママ】から【お母さん】に
切り替えたその瞬間を覚えている。
 
それから私は母を【ママ】と呼ばなくなった。
【母さん】に切り替えたかったのだ。
でも…タイミングがつかめず…。
 
愚かな【照れくさい】が発動してしまった私は、その後、
「ねえねえ」、「あのさぁ」、「ちょっとちょっと~」…
母を呼ぶ時はそんな感じになってしまった。
母は何年も…ずっと何も言わなかった。
 
20才の時、母は、
「ケイ君(いとこのお兄ちゃん)、最近「おふくろ」って呼ぶようになったんだって」
「あんたも、ねえねえとかじゃなくて「おふくろ」にすれば?(^o^) 」
…「うっせーよ」…。
呼び方についての話は、後にも先にもその1回だけだった。
 
私が33才の時、母は天国にいってしまった。
1度も息子に【母さん】と呼んでもらえないまま…。
 
母は発作の後、脳死(植物状態)になり、その状態で2週間生きた。
何であの時【おふくろ】だったのか?…
【母さん】だったら良かったのに…。
いや、母のせいではない。
自分の【照れくさい】がいけなかったのだ。
私は意識のない母の手を握って初めて【母さん】と呼んだ。
植物なんかじゃない…生きてる…人間だよ。
…何十年ぶりに握った母の手のぬくもり。
…………………
今私は、毎朝お線香を焚くとき、
【母さんおはよう】と言っている。
母親に対する【照れくさい】は、私にとって邪魔でしかなかった。

今の若い世代では、
成人しても人目を気にせず【ママ】と呼んでいる青年がいる。
彼らが正解なのだ。
皆さんには、母親に対する【照れくさい】を捨てて、
たくさんの親孝行をしてほしい。

*【母よ】フルバージョンはこちら↓


【 母よ 】( 歌詞付き )

2025-05-06 19:47:59 | お母さん・親孝行

2000年、歌手デビューが決まった直後、
まさかのレコード会社倒産。
挫折から22年の時を経て、夢の続きが始まった。
オリジナル15曲が世界配信。
現在52才。作詞作曲:石川善一

【 母よ 】

幼い頃 父にしかられた
僕の代わりに殴られた母
かばってくれたその荒れた手がやけに大きく感じた
転んで傷だらけで泣きじゃくる
僕をそっと抱きしめてくれた
あなたがつけたバンドエイドが魔法の薬に見えた
あなたに愛を注がれてばかり
ありがとう…ぬくもりを優しさを

* 母よ 
これからもまだいつまでも元気でいておくれ
自分の体を大事にしておくれ
母よ 
大人になった僕の事あなたにとっては
ずっと子供だろうけど
心配しないでいいよ

TV見ながらうたた寝してる
きっと仕事が辛かったんだろう
最近少し白髪が増えた
無理はしないでいいから
「気持ちは若いつもりでいるけれど歳には勝てないね」
…と 笑ってた

母よ
これからもまだいつまでも元気でいておくれ
そんなに自分を犠牲にしないで
母よ
あなたの丸めた背中に目頭が熱くなる
僕ができる事ならば
何でもしてあげるから

* 繰り返し