■「映画史への招待」 四方田犬彦 著 (岩波書店)
本書に於ける、欧米中心の映画史を見直そうという提言には、画一化された制度から映画を解き放ち、改めて多様化へと映画を再出発させる目的が垣間見られます。一般公開された作品へ観客動員数が加味された従来型の映画史では、欧米の映画だけが、あたかも正統であるかのような誤解を招き易かったのは事実です。しかし実際、何を機軸にして映画史を再編するべきなのかは案外と難儀な話で、画一化された制度からの逃走は、つまるところ無数の映画史が出現する事を意味します。本書が上梓されたのは1999年。それ以降、ネット社会の拡大によって、映画を《見る》環境や《語る》環境は自然と多様化してきています。制度化されることのない素朴な映画史も、どんどんブログなどで展開され始めています。あとは、それをどう多様性のある映画史として共有できるかです…。本書は、無数に広がる映画史へのアプローチだけを示して、締め括っています。言わば、読者を映画史の作成へと導く為のものでした。
このような提言によって行なわれる見直し作業で危惧する点は、結局は、四方田氏を始めとする一部の評論家の映画史だけが特権化されてしまうのではないかという事です。と言いますのも、映画を擁護する事よりも、評論家への依存によって、自己の価値判断を容易に放棄している映画ファンを、ネット上では間々見掛るからです。
本書に於ける、欧米中心の映画史を見直そうという提言には、画一化された制度から映画を解き放ち、改めて多様化へと映画を再出発させる目的が垣間見られます。一般公開された作品へ観客動員数が加味された従来型の映画史では、欧米の映画だけが、あたかも正統であるかのような誤解を招き易かったのは事実です。しかし実際、何を機軸にして映画史を再編するべきなのかは案外と難儀な話で、画一化された制度からの逃走は、つまるところ無数の映画史が出現する事を意味します。本書が上梓されたのは1999年。それ以降、ネット社会の拡大によって、映画を《見る》環境や《語る》環境は自然と多様化してきています。制度化されることのない素朴な映画史も、どんどんブログなどで展開され始めています。あとは、それをどう多様性のある映画史として共有できるかです…。本書は、無数に広がる映画史へのアプローチだけを示して、締め括っています。言わば、読者を映画史の作成へと導く為のものでした。
このような提言によって行なわれる見直し作業で危惧する点は、結局は、四方田氏を始めとする一部の評論家の映画史だけが特権化されてしまうのではないかという事です。と言いますのも、映画を擁護する事よりも、評論家への依存によって、自己の価値判断を容易に放棄している映画ファンを、ネット上では間々見掛るからです。
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