映画なんて大嫌い!

 ~映画に憑依された狂人による、只々、空虚な拙文です…。 ストーリーなんて糞っ喰らえ!

晩春 ~映画の読解 (11)

2010年11月25日 |  晩春
     ■『晩春』 (1949年/松竹) 小津安二郎 監督


 《ミシン》や《御手洗》越しのカット、或いは、《壺》のカットもそうですが、《亡き母(妻)》を擬人化させたような描写は、他にも随所で見られます。中でも強く印象に残るのは、巌本真理のヴァイオリン・リサイタルを聴きに行った服部(宇佐美淳)のカットに続く、彼の誘いを断った紀子(原節子)のカットです。丸の内の舗道を一人歩く紀子を、まるで見詰めるように1本の樹木が映し出されます。画面を左右に二分割するその樹木は、一見、左から右へ心境の変化を表す一つの区切りのようです。ところが、そのような解釈を打ち消すかのように、二人のサラリーマンが紀子同様、樹木の背後を横切ってしまいます。その瞬間、まるで娘の様子を木陰から心配そうに見守り続ける《母》のような気配が樹木からは漂い始め、見事に異化されていました(※写真:8)。

                         (※写真:1) 
                         (※写真:2) 
                         (※写真:3) 
                         (※写真:4) 
                         (※写真:5) 
                         (※写真:6) 
                         (※写真:7) 
                         (※写真:8) 


 『伊勢物語』の主人公のように、愛する妻(坪内美子)を京都に残し、ひとり東京へ出張して来た小野寺(三島雅夫)は、周吉と方位の談義を交わします。それも、「第九段:東下り」を連想させる「東」の方位です。

26=夜 鎌倉 曾宮の家
 小野寺 「ここ海近いのかい」
 周  吉 「歩いて十四、五分かな」
 小野寺 「割に遠いんだね、こっちかい海」
 周  吉 「イヤこっちだ」
 小野寺 「ふウん―八幡様はこっちだね?」
 周  吉 「イヤこっちだ」
 小野寺 「東京はどっちだい」
 周  吉 「東京はこっちだよ」
 小野寺 「すると東はこっちだね」
 周  吉 「いやア、東はこっちだよ」
 小野寺 「ふウん、昔からかい」
 周  吉 「ああそうだよ」
 小野寺 「こりゃア頼朝公が幕府を開くわけですよ、要害堅固の地だよ」

                         (※写真:9) 

 ここで交わされる会話の内容を、よくよく確認してみますと、周吉の指差す方角では、さっぱり方位を解しません。鎌倉から見た「東京」と「東」の位置関係は、寧ろ逆です。仮に、小野寺が指した「海」や「八幡様(鶴岡八幡宮)」の方角が確かならば、彼が指差した先が「東」で、周吉が指差した先は「西」の方面に当たります。このような周吉の方向音痴、或いは方位に頓着しない様子が、娘の紀子と助手の服部との相思相愛な関係に気付けなかった彼の鈍感な一面とも共通しているようです。ただ、周吉の鈍感な一面が、娘の結婚話に対しても無自覚なままであったという訳では、決してありません。結婚への決意を紀子から伝えられた直後に見せる周吉の表情が、それを何より物語っていたからです(※写真:10)。三輪秋子(三宅邦子)との再婚話を紀子に問い詰められた際の、周吉の複雑な表情を併せて想えば、《亡き妻》へ詫びる気持ちがそれとなく窺えます。無論、リンゴの皮を剥く最後の場面でも同じ事が言えるでしょう(※写真:11)。

 (※写真:10)       (※写真:11) 

 余談になりますが、小津監督の“慟哭”の指示を笠智衆さんが断ったというラスト・シーンは、結果として“居眠り”というもう一つの結末を齎してしまったようです(※写真:11)。もしも、笠さんが慟哭していたならば、『秋刀魚の味』のようなとは言わないまでも、フルショット(全身像)あたりの、もう少し引きの画面サイズになっていたのかも知れません……つづく


                                                      人気ブログランキングへにほんブログ村 映画ブログへ

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 晩春 ~映画の読解 (10) | トップ | 晩春 ~映画の読解 (12) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

 晩春」カテゴリの最新記事