佐々木 司さん寄稿
登頂後はその日のうちにC2(6200m)まで下山し、翌日の9月26日にBC(4800m)まで下山した。
27日未明から天候は大荒れとなり、雪が降らないと言われていたマナスルBCもテントが埋まるほどの雪が降り、周囲では雪崩がたくさん発生していた。28日には大雪の中、BCを出発し麓のサマ村(3500m)まで下山した。サマ村に着いて緊張が解けたのか、ロッジからマナスルを見た時に「あの山頂まで行ったんだな」と初めて実感が湧いてきた。
↑サマ村にあるロッジから見たマナスル
9月30日、ヘリとバスを乗り継いでカトマンズのホテルに着いたのは22時。ゆっくり風呂に入り、ベッドでぐっすり眠った。翌朝、ホテルで朝食をとっていると以前から交流があったネパール人の友人ウダヤさんから「外務大臣とアポが取れ、自宅に招待されたから今から行きましょう」と電話がかかってきた。
今回はマナスルに登頂するだけでなく、西堀榮三郎記念探検の殿堂がある東近江市とネパールの新たな繋がりを探れないかというテーマを持っていた。事前にそのことを伝えていたウダヤさんの紹介でネパールの要人との面談が実現した。
↑ナラヤン外務大臣
↑スニル大統領補佐官
10月1日のナラヤン外務大臣に続き、2日はスニル元経済産業石油大臣・現大統領補佐官と、3日はネパール航空CEOと、次から次へと紹介して貰った。その中で、東近江市の子どもたちがネパールに行き、登山やハイキングをしながらネパールという国を見て体験してもらうような交流をしてみたい。それならばこの様な場所を見学したり、この様な体験をしてはどうかというような話ができた。
最終日10月4日、カトマンズから約20km離れたカカニの丘に行った。ここからは晴れていればマナスルを含むヒマラヤの山々が見渡せる。そのカカニの丘に「西堀榮三郎の功績を記念した石碑」が立っている。その石碑の文字が風化して薄くなっていれば、マジックでなぞって濃くして欲しいと探検の殿堂の角川館長から言われていた。実際に文字が薄くなっていたのでマジックで塗っていると、近くで遊んでいた子どもたちが興味深げに寄ってきたので「この石碑はネパールと日本のお友達を記念して建てられた大切なものだから、ここの字が薄くなっていたらこれからは君たちが濃くしてね」と言ってマジックをあげてきた。
多くの日本人がヒマラヤは何となくイメージできるけれど、どこにあるのか、どんな国かはよく知らない。実際は同じアジアの国。直行便を使えば7時間程で行ける近い国だ。
私がネパール、ヒマラヤに行って見たものや得られた経験を自分だけのものにせず、周囲を巻き込みながら形にして今後の繋がり、交流に発展することができればと考えている。
【写真提供・佐々木司】
1975年 大阪府堺市生まれ
2012年 SEA TO SUMMIT大山(鳥取)大会出場
2017年 鈴鹿10座エコツアーガイドクラブ所属
2019年 ヒマラヤ・ヤラピーク(5732m)登頂
2022年 ヒマラヤ・アイランドピーク(6160m)登頂。会社員を経て滋賀県東近江市の布引の森に勤務
2024年 東近江市永源寺高野町に移住。ヒマラヤ・マナスル(8163m)登頂
<記事・写真: 滋賀報知新聞より>
【過去ログ】
マナスル遠征記(上) ”身近に感じたヒマラヤ”
http://www.shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0042258
マナスル遠征記(中) ”登頂へ”
http://www.shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0042340
【滋賀・近江の先人第68回】初代南極探検隊越冬隊長・西堀栄三郎(東近江市)
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/35d22101204663f67ab85ea74254c7c0
西堀榮三郎記念探検の殿堂 https://e-omi-muse.com/tanken-n/