東近江市永源寺地区の出来事を伝える情報紙「広報e−NET6500」の編集に、創刊間もないころから携わっていた今若茂さんが1月、69歳で亡くなった。穏やかな人柄で、撮影や取材、機械修理などを幅広くこなした。
情報紙は同月、創刊100号を迎え、編集仲間からは感謝と惜しむ声が上がっている。
↑写真:中日新聞より
今若さんは東近江市永源寺相谷町出身。高校卒業後に趣味でカメラを始め、機関車などの撮影に熱を上げた。
情報紙は、2005年の旧永源寺町の合併を機に設立された永源寺地区まちづくり協議会が発行。
今若さんは創刊号のスタッフ募集記事を見つけ、3号から加入。5号には「自分の興味のあること、好きなことをしながら勉強でき、皆さんの役に立てるのなら」と動機をつづり、「発刊を楽しみにしてもらえる情報紙をお届けできるよう心掛けたい」と意気込んでいた。
当時を知る福井均さんは「情報紙が立ち上がってすぐに飛び込んできてくれた。カメラやパソコンが得意で心強かった」と回顧。一眼レフからコンデジ、最近はドローンまで操り、多彩なアングルと確かな技術で、地元住民や移りゆく町の表情を捉え続けた。
地元の千草街道を歩くイベントでは、先回りして参加者の表情を撮った後、列の後ろに回って別アングルを収めた。「まめに動くし、かなりの枚数を撮ってくれる。どれもきれいな写真で、選ぶのが大変だった」と編集仲間の木村与志雄さんは振り返る。
手先が器用で、機械の修理や操作方法の指導もしてくれた。パソコンを直してもらった木村さんは「分解して部品は取り寄せてくれて、おかげでスイスイ動くようになった。嫌な顔せず、頼りになる人だった」。
当時を知る福井均さんは「情報紙が立ち上がってすぐに飛び込んできてくれた。カメラやパソコンが得意で心強かった」と回顧。一眼レフからコンデジ、最近はドローンまで操り、多彩なアングルと確かな技術で、地元住民や移りゆく町の表情を捉え続けた。
地元の千草街道を歩くイベントでは、先回りして参加者の表情を撮った後、列の後ろに回って別アングルを収めた。「まめに動くし、かなりの枚数を撮ってくれる。どれもきれいな写真で、選ぶのが大変だった」と編集仲間の木村与志雄さんは振り返る。
手先が器用で、機械の修理や操作方法の指導もしてくれた。パソコンを直してもらった木村さんは「分解して部品は取り寄せてくれて、おかげでスイスイ動くようになった。嫌な顔せず、頼りになる人だった」。
↑写真:中日新聞より
仲間でやりとりするグループラインへの最後の投稿は、昨年12月18日。1〜100号までの表紙を一覧にまとめた、100号の記念誌で担当したページのデータだった。
福井さんは「これが遺作になってしまうなんて」と惜しみつつ、「茂さんのような写真はなかなか撮れないが、また頑張って作ります」と遺志を受け継ぐ。記念誌下巻の表紙には、今若さんがドローンで上空から撮影した永源寺の風景が写っている。
広報e−NET6500