藤井 彦四郎(ふじい ひこしろう、1876年(明治9年) - 1956年(昭和31年)は、近江商人。日本の化学繊維市場の礎を築いたパイオニアの1人。
1876年(明治9年)、三代目藤井善助の次男として滋賀県神崎郡北五個荘村大字宮庄(現東近江市)に生まれる。
滋賀県商業学校(後の滋賀県立八幡商業高等学校)に入学するも中退。
朝鮮元山の近江商人宮原商店に奉公し修業を積む。その後、京都に戻り、長兄と共に父・藤井善助の家業を手伝う。
父・善助の死後、分家し、1907年(明治40年)に糸商「藤井彦四郎商店」(現・藤井株式会社)を創業する。
藤井彦四郎は、フランスにおいて人工絹糸(レーヨン)が発明されたことを知ると、フランス、ドイツから見本品を輸入し「人造絹糸」と名付けて宣伝活動を行った。
大正期になると帝国人造絹絲(現・帝人)や旭絹織(現・旭化成)などにより人造絹糸の国産化が図られるが、藤井は工場経営は行わず毛糸事業に重点を移し、共同毛織、共同毛糸紡績(現・倉敷紡績)を興して「スキー毛糸」のブランドで成功を収めた。
藤井協成会は藤井彦四郎が私財を投じ1936年(昭和7年)12月に設立。地域の教育振興や文化の向上、社会福祉の増進に関する事業の助成・補助を目的とする。毎年、教育関係機関などに要望に応じた寄贈を行っている。
2019年も故郷五個荘の3幼稚園に寄贈している。
以下、その模様は滋賀報知新聞サイトへ。
藤井彦四郎が1934年(昭和9年)に滋賀県東近江市宮庄町に建築させた迎賓館は、「五個荘近江商人屋敷 藤井彦四郎邸」として名勝となっている。
<Wikipedia引用>