↑2012年100畳の大凧飛揚風景
↑東近江大凧会館に保管されている2012年の「100畳大凧」
伝統文化継承と安全管理体制
「伝統文化の継承という観点から積極的に支援したい」との小椋正清東近江市長の答弁があったのは、今年3月10日の市議会。市民の復活を望む声に後押しされた。
東近江大凧保存会の山田敏一会長は「10年間100畳大凧の製作・飛揚が無く、このままだと伝統文化や大凧を揚げる技術が途絶えてしまう。」と、語る。
一方で保存会はこれまで、成人式などの節目で「20畳敷大凧」を製作し、技術継承に苦心してきた。 只、圧倒的なスケールの100畳敷と20畳敷では、製作も飛揚技術も難度に開きがある。 例えば、100畳敷は縦13m、横12mもあるため、骨組みは竹をつなぎ合わせてつくるが、竹の重さやしなり具合を見定め、凧の上下どちらに配置するかを決めないといけない。
更に、風の力で壊れないよう強く固定するだけでなく、風圧のバランスをとるため、ほぼ同じ大きさ・重さで反発力やクセが同じような竹を選ばないといけない。これは熟練の技と長年の勘が求められる。
また、担い手の高齢化も進む。東近江大凧保存会の会員数は、17人で、平均年齢は60代前半。
そして何より求められるのは安全管理の徹底だ。100畳敷大凧の飛揚をめぐっては、2015年5月31日に大凧落下による死亡事故が発生した。
同市事故調査検討委員会は事故から約1年後の2016年3月、報告書を小椋市長に提出した。
この中で事故要因を、立ち入り禁止エリアが十分でないなどと安全対策の不徹底や、関係者と責任者の危機認識の薄さを指摘し、「十分な安全管理体制が構築されるまでは実施を見合わせるべき」と提言した。これを受けて、100畳敷大凧の飛揚は10年間中止されてきた。
小椋東近江市長は今回の復活に向けて、「(事故を教訓に)あらゆる場面を想定して実施しないといけない」(5月29日の記者会見)と述べている。
同市と大凧保存会は今後、100畳敷の飛揚の場所、時期を含めて協議を続けるとしている。
<記事・写真: 滋賀報知新聞より>
【ブログ筆者コメント】 ブログ筆者が小さい頃は「100畳の大凧」が普通だった。飛揚は元陸軍八日市飛行場跡地(現在は工場、宅地、田畑んど)や、聖徳中学校のグラウンドなどで行われていた。しかし、大きくなって地元を長年離れていたので2012年の愛知川河川敷での飛揚事故のことは当時知らなかった。昔は今ほど建物が多くなかったのが現在では聖徳中のグラウンドでは同じ100畳の大凧でも飛揚は難しい。
東近江市内を広く探せば飛揚可能な場所はあるだろうが元々は旧八日市市(特に中野地区)を中心に行われてきたもので関係者はできれば旧八日市に近いところでやりたかったに違いない。現に20畳の大凧は成人式が行われる八日市文化芸術会館と徒歩の場所にある聖徳中学のグラウンドで行われている。
これからは安全確保の観点から成人式直後の飛揚とは切り離し、より安全で東近江市外の人々も飛揚観覧や自らも飛揚に参加仕組み作りをするなど全東近江市の文化行事に昇華、衣替えをするなど時期を迎えている。また、保存会の高齢化問題も東近江市外の若者も含めた組織造りも必要であろう。それにはお爺ちゃんパワーの保存会にはこれからも頑張って貰うことになる。