”スローライフ滋賀” 

【身近な昔探訪】第184回・東近江・御代参街道(本町通り)にあった写真館「朝陽写房」

 
↑かつて「朝陽写房」が入居していたビル(現在の「荒松」)

 写真館「朝陽写房」は御代参街道(本町通り)南入り口の「荒松」通称「荒松デパート」の2階にあった。
筆者は「朝陽写房」のあった場所である「荒松」、通称「荒松デパート」の記憶は薄かったが「朝陽写房」と言えば「卒業アルバム」と言われるほど記憶に強い。
 店の歴史は不詳だが「朝陽写房」は昔から学校関係では東近江・湖東地域中心に、保育園から大学まで約50校 と取引しているという。
 また、「朝陽写房」と太宰治の愛人だった「山崎富栄」の母方と関係がある「クローバー美容室」とは姻戚関係であったといわれる。
 「朝陽写房」がいつまで本町通りにあったか不明だが現在は東近江市八日市東本町10−5、ガスト前に移転して今も営業している。

↑現在、「朝陽写房」が入居しているビル(八日市東本町)

コメント一覧

Unknown
あらまつ 元は、丸松
最上部2葉の写真のうち、左側の写真には、長田おもちゃ屋の手前に、はっきりと「あらまつ」の看板が見て取れる。ただ、ここは元々、荒松ではなく、丸松呉服店であり、ビルも丸松ビルなどと呼ばれていた。丸松百貨店という言い方も聞いたことがある。

どこかで書いたが、この丸松の南側、金屋?大通りの北サイドの路側には、バラック建築の店が10軒近く続いていた。大判焼きの店、中古衣料の店などが並んでいて、その撤廃(撤去)には既得権も絡んでしばしの時間を要した。

大通りで思い出すは、昭和30-40年代、八日市空港絶対反対の立て看板。

びわこ空港ではない!(びわこ空港はバブルの名残の中、各県に空港をみたいな話が日本中で盛り上がり2000年に事実上頓挫した話)それ以前の昭和の中期にも一部でこういう話が出ていたのである。政治家という人々は常に夢を語って人々を巻き込む人種であって、例えば近畿日本鉄道が新幹線への対抗上、鈴鹿山脈にトンネルを掘って名古屋と結び、八日市に中間駅を設ける話とか(昭和初期の名古屋急行電鉄の話とか国鉄の弾丸列車構想とか何度も繰り返されている「夢」と思う)、今も、びわこ京阪奈線(近江鉄道-信楽鉄道-JR片町線)とか・・・

もう一つ、ハート食堂の焼きそばも良かったが、その手前の筏食堂のべっとり焼きそば。テイクアウトは経木で包まれていた。一般的に強い印象を残す店には万善とか甘党の店(南町)のようだが、行ったことはあるが個人的に印象は少ない。

おっと、忘れてはいけない! 太平楽(がらや、文栄堂の向かい)!!! 「素そば」は一種の絶品、うどんつゆに中華そばだけ。
Unknown
ABCの
朝陽写房はABCの左となりにあって、ABCでは公民館、村川などが有名だが、シャボラン(朝陽写房ランチ)もあった。内容は公民館か村川のどちらかと同じだったと思われ・・・現社長Hさんに聞けばわかる
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「八日市の今昔物語」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事