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【滋賀・近江の先人第253回】・滋賀県初の女性知事・嘉田由紀子(埼玉・大津市)

 嘉田 由紀子(かだ ゆきこ、1950年5月18日 - )は、政治家、農学者、環境社会学者、文化人類学者。院内会派「碧水会」所属の参議院議員(1期)、地域政党チームしが代表。滋賀県知事(第8代)、日本未来の党代表、びわこ成蹊スポーツ大学学長などを歴任。


来歴・人物
 埼玉県本庄市の養蚕農家に生まれる。父親の渡辺康雄は本庄市議会議員も務めた。埼玉県立熊谷女子高等学校時代に生徒会長を務め、小田実の「なんでも見てやろう」を読みアフリカへ憧れを抱く。
 中学校の修学旅行で訪れた比叡山や琵琶湖に憧れ、京都大学農学部へ進学。当時女性部員がいなかった探検部へ、当時の部長の嘉田良平とともに入部許可を求めて、口論の上で入部する。3回生の時にタンザニアで半年間生活した。22歳のときに嘉田良平と結婚。
 1973年、京都大学農学部卒業。同年、大学院農学研究科へ進学し、アメリカ・ウィスコンシン大学大学院へ、アフリカやアジアの経済発展を社会開発や環境の面から研究するため留学するも、指導教官より日本の農村研究を促され、1974年、一時帰国して琵琶湖湖畔における農村生活の形態変化について研究しながら海外での調査研究も継続する。
 1981年3月、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。京都大学より農学博士(論文名『琵琶湖の水問題をめぐる生活環境史的研究』)を授与される。

 同年4月、滋賀県庁に入庁し、まだ準備室だった「滋賀県立琵琶湖研究所」の研究員として採用される。琵琶湖周辺の農村生活、ホタルダスや水環境カルテなどを調査研究する。

 1996年開館の滋賀県立琵琶湖博物館に構想段階から深く関わり、後に滋賀県知事の座を争うことになる國松善次とは同僚である。
 2000年、京都精華大学人文学部環境社会学科教授となる。滋賀県立琵琶湖博物館研究顧問、京都精華大学人文学部教授を歴任した。

滋賀県知事へ
 滋賀県では、栗東市に建設が予定されていた新幹線新駅(名称は南びわ湖駅)の是非が大きな問題となっていた。住民投票条例案の条例制定請求が提出された2006年1月31日、滋賀県議会で傍聴をした際、「この住民投票条例案は受け入れられない」という言葉が響いた時、「こんなに滋賀県民がおかしいと思っているのに、どうなんだろう」と思ったのが知事選へ出馬しようと思った最初のきっかけだという。同年3月30日に出馬を決意し、4月18日に正式な出馬表明を行う。
 選挙戦では「もったいない」を合言葉に、新幹線新駅の建設凍結、滋賀県内に計画されているダムの凍結見直し、旧志賀町に予定している廃棄物処分場の中止などを訴えた。

滋賀県知事として
 知事当選により、この時点で大阪府の太田房江、熊本県の潮谷義子、千葉県の堂本暁子、北海道の高橋はるみに次ぐ全国で5人目の女性知事となった。
 当選以降、自身が公約で主張した「新幹線新駅・産廃処理施設・ダム事業の凍結、見直し」政策を進め、新幹線新駅関連・廃棄物処分場については2007年(平成19年)度における関係予算をつけないことが決まり、これらの事業を事実上中止することができた。

新党を結成、代表に就任 - 辞任へ
同年11月27日、新党日本未来の党を結成すると発表した。この政党の結成を受けて、小沢一郎は、自身が代表を務めてきた国民の生活が第一(以下、生活)を解党した上で、党ごと合流することを決定した。翌28日、減税日本・反TPP・脱原発を実現する党共同代表の山田正彦や生活の広野允士参院議員会長など所属議員8名で総務省へ政党届出を行った。
「小沢一郎さんを使いこなせずに官僚を使いこなすことはできません。」と述べる。
同年12月16日に執行された第46回衆議院議員総選挙において、日本未来の党は公示前の62議席から約7分の1にあたる9議席に大きく減らした。嘉田は開票センターでの記者会見で「十分時間が取れなかった。政策が浸透していなかった」と述べたが、記者の質問を聞き逃し「ごめんなさい。もうろうとしていまして」と取り繕うという場面もあった。
総選挙後、小沢との対立が表面化。嘉田は未来の党を離党し阿部知子衆議院議員と新たに政治団体として日本未来の党を結成した。また、未来の党は生活の党に改称した。
2012年12月26日に党代表と県知事の兼務解消を求める決議が滋賀県議会で可決されたことを受け、2013年1月4日に党の代表を辞任することを正式表明した。

知事引退

嘉田は日本未来の党代表辞任後も次期知事選への立候補については明言を避けていた。こうした中2014年3月、前回知事選時に嘉田を支援した民主党の滋賀県連代表・三日月大造が嘉田の意向表明を待たずして同年6月の次期知事選への立候補を表明、嘉田の去就に注目が集まった。
同年4月26日、嘉田と三日月が同席した集会において候補者一本化の合意を発表、その結果は5月7日に発表し同時に新政治集団「チームしが」を発足させるとした。
4月29日、『嘉田が関係者に知事選不出馬の意向を示した』という報道がなされ、嘉田本人は『いかにも決定したような内容であり、このような憶測記事を出すことには強く抗議をします』と発表。
5月7日、正式に不出馬を表明し二期をもって知事を引退した。
10月、びわこ成蹊スポーツ大学の3代目学長に就任。
2017年衆院選で落選、

2019年参院選で当選、現職

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