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【滋賀・近江の先人第269回】群馬で成功した・初代矢野久左衛門(滋賀県日野町)

 初代矢野久左衛門の遠祖は近江佐々木氏に仕え、主家没落後、初代矢野喜兵衛(天和3年〔1683〕没、釈正休)に至り、現滋賀県蒲生郡日野町に移住。これが宗家、矢野新右衛門であり日野町における第一祖である。

喜兵衛(新右衛門)に二男児があり、嫡子久左衛門は家を弟、新右衛門に相続させ、自らは別に一家を建てた。即ち家祖「矢野久左衛門」である。元文元年(1736年)9月没、釈宗玄。

 矢野本店は、享保2年(1717年)創始者である初代矢野久左衛門が近江国蒲生郡日野町から来住し、
 二代目久左衛門(宗仙)、寛延2年(1749年)上野国桐生新町二丁目(現群馬県桐生市本二丁目)に店舗を開き、清酒醸造と質商を開業、商号を近江屋喜兵衛と称した。以後、荒物商、味噌醤油醸造、呉服太物商、質商と業務拡張し店舗数5店に及んだ。

明治初年、荒物業部門独立し、近江屋矢野支店と称する。同時に薬種・染料の販売開始。爾後、味噌醤油醸造、酒類販売部門は矢野本店と称する。
太平洋戦争中は店員大半の応召等により殆ど休業状態にあったが、終戦後直ちに再開し現在、「株式会社矢野」に至る。


 矢野本店は、享保2年(1717年)創始者である初代矢野久左衛門が近江国蒲生郡日野町から来住し、寛延2年(1749)二代久左衛門が桐生新町二丁目に店舗を構えたことに始まる。清酒・味噌・醤油の醸造業のほか質商として家業を広げ、明治期以降は荒物・薬種・染料・呉服・太物・銘茶部門を扱うようになった。また昭和2年(1927)十代久左衛門が五丁目に桐生最初の百貨店である矢野呉服店を開業するなど、桐生の商業発展に大きく貢献し、今日に至っている。
現在の店舗は大正5年(1916)に建築され、出桁造で二階正面には格子戸が残り、江戸風の商家構えとなっている。
店舗に隣接して二階建土蔵造の店蔵がある。一階は中央で間仕切られ二部屋とし、二階は一部屋となっており倉庫として使用していた。現在、矢野本店は桐生市指定文化財となっている。

 尚、現在は「株式会社矢野」として群馬県みどり市に「化学品専門商社」として存在している。

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