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東近江市主催シンポジウム 「木地師文化」を東京都内から発信

 「木地師」と漆の文化をひもづける公開シンポジウム「木地師と漆―未来を紡ぐ伝統文化」が9月18日、東京国立博物館平成館大講堂で開かれた。
東京都内外から約160人が参加し、漆をはじめ木地師を起点に広がるものづくりのネットワークに関心を寄せた。

↑写真:滋賀報知新聞より

 木地師発祥の地とされる東近江市が主催。木地師文化のさらなる発信とブランド力の向上にと、都内で開かれている「全国漆器展」を主催する日本漆器協同組合連合会らの特別協賛で開催した。
 東京藝術大学の三田村有純名誉教授の基調講演や、小椋正清東近江市長や日本漆器協同組合連合会の土田直理事長など各界の有識者らを交えたパネルディスカッションが開かれ、木地師文化の今後の展望や課題について意見を交換した。
 東近江市の担当者は「首都圏でも木地師文化に関心を持つ人も多く、発信力に意義のある開催となった」と振り返った。

<滋賀報知新聞より>

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木地師」とは、
トチ・ブナ・ケヤキなど、広葉樹の木を伐採し、轆轤(ロクロ)と呼ばれる特殊な工具を使って、盆や椀、コケシなどを作る職人たちのことで、地域によって「木地師・轆轤師・木地屋」と呼ばれた。

 9世紀に近江国蛭谷(現:滋賀県東近江市)で隠棲していた小野宮惟喬親王が、手遊びに綱引轆轤(紐錐轆轤)を考案し、周辺の杣人に木工技術を伝授したところから始まり、日本各地に伝わったと言う伝説がある。 蛭谷、君ヶ畑近辺の社寺に残っていた『氏子狩帳』などの資料から木地師の調査、研究が進んだ。
 木地師は木地物素材が豊富に取れる場所を転々としながら木地挽きをし、里の人や漆掻き、塗師と交易をして生計を立てていた。中には移動生活をやめ集落を作り焼畑耕作と木地挽きで生計を立てる人々もいた。そうした集落は移動する木地師達の拠点ともなった。  
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