結~つなぐ、ひらく、つむぐ~

身近な自然や社会との関わりを通して、マイペースで、新たな自分探しに挑戦しながら、セカンドライフ、スローライフを楽しむ。

「板敷川」上の「板敷橋」を一日で修繕した…「一日橋」の由来

2014-06-15 | 歴史

 那覇市上間、国道329号線「上間」交差点近く、「HondaCars沖縄」前に、「旧一日橋跡」の説明板が設置されています。国場川に架けられた橋跡で、かつて、「板敷川」に架けられていた「板敷橋」と呼ばれ、、南風原間切や東風平間切と首里を結ぶ重要な橋でした。一日橋の名は、損壊した橋を一日で修繕したという伝承に由来するとされていますが、板敷橋からの音韻転訛との説もあるようです。

01-0612 上間交差点

02-0514 上間交差点

03-0612 上間交差点

04-0612 上間交差点

05-0612 上間交差点

06-0612 旧一日橋跡

07-0612 旧一日橋跡

08-0612 旧一日橋跡

09-0612 旧一日橋跡

「旧一日橋跡(キュウイチニチバシアト) 那覇市上間 一日橋交差点…国場川(こくばがわ)に架けられた橋跡。琉球王国時代は、この一帯の川は板敷川(イチャジチガー)と呼ばれていたため、橋も板敷橋(イチャジチバシ)と呼ばれた。 橋は、南風原間切(はえばるまぎり、現南風原町)や東風平間切(こちんだまぎり、現八重瀬町、やえせちょう)と首里(しゅり)を結ぶ重要な橋で、古くから木橋が架けられていた(架橋年不明)。成化(せいか)年間(1465~87年)、東風平村(現八重瀬町字東風平)の国吉(くによし)という者が、洪水のたびに橋が損壊するのを見て、土台に石組の防水基(ぼうすいき、潮切、しおきり)を築き、堅固な橋としたので、時の国王尚真(しょうしん)より褒賞(ほうしょう)されたという(『球陽、きゅうよう』尚真王附条)。 しかし、依然として橋は木製であったため、1689年、石橋に改修された。石橋の完成を記念して、橋を見下ろす識名(しきな)台地に、『板敷橋記(いたしきばしき)』碑が建立された。 一日橋の名は、1511年、尚真王の養父花城親方守知(はなぐすくウェーカタしゅち)の葬送に際し、損壊した橋を一夜二昼の一日で修繕したという伝承(『球陽』尚真王35年条)に由来するとされるが、板敷橋からの音韻(おんいん)転訛との説もある。 1945年(昭和20)の沖縄戦当時、一日橋一帯は、首里から南部へ避難する要衝(ようしょう)にあたっていたため、多くの犠牲者を出し、橋も破壊された。終戦直後、米軍により鉄橋が架けられたが、その後、橋より50mほど上流に架けられていた沖縄県営鉄道(軽便鉄道)与那原(よなばる)線の鉄橋跡を利用して、那覇と与那原を結ぶ道路(現国道329号)が開通し、一日橋として架け替えられた。 設置 2014年3月 那覇市歴史博物館」

10-0612 戦後の一日橋

11-0612 板敷橋記碑

12-0612 国場川

13-0612 国場川

参照(国場川 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%A0%B4%E5%B7%9D

14-0612 一日橋

15-0612 一日橋

16-0612 一日橋

17-0612 一日橋

18-0612 一日橋

19-0612 一日橋

20-0612-329号線

21-0612 旧一日橋周辺

22-0612 旧一日橋周辺


最新の画像もっと見る

コメントを投稿