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安里橋跡、牧志長虹橋、仲島小堀跡…浮島だった那覇

2014-05-18 | 歴史

 モノレール牧志駅の北西、「崇元寺橋」近くに、「安里橋跡」があります。かつて、「浮島」だった那覇と安里を結ぶ橋が架けられ、「長虹堤」の起点となっていました。

01-0515 崇元寺橋

02-0515 崇元寺方面

03-0515 美栄橋方面

04-0515 安里橋跡

05-0515 安里橋跡

06-0515 安里橋跡

07-0515 安里橋跡

08-0515 安里橋跡

09-0515 安里橋跡

「安里橋跡(アサトバシアト)…安里川(あさとがわ)に架けられた橋跡。崇元寺(そうげんじ)が近くにあるため、崇元寺橋ともいう。当初の架橋年は不明だが、安里の対岸に浮かぶ『浮島(うきしま)』だった那覇(なは)と安里(崇元寺前)を結ぶ「長虹堤(ちょぅこうてい)」の起点となっていることから、1451年の長虹堤築造当時と考えられる。 もとより石橋であったが、1670年に水害で破損し木橋に架け替えた。しかし1677年に再び損壊したため、橋脚を高くし、新たに欄干(らんかん)を取り付けるなど橋の偉容(いよう)を誇ったという(『安里橋之碑文、あさとばしのひぶん』)。橋は三連アーチの石造橋で、長さは約72mであった。 崇元寺において中国からの使者『冊封使(さっぽうし)』が、先代国王を弔(とむら)う儀式である「諭祭(ゆさい)」を行う際には、国王が橋のたもとまで出向いて、冊封使を迎えたという。 1945年(昭和20)の沖縄戦の際、米軍の進攻を遅らせるため日本軍により爆破された。戦後になって再建されたが、元あった場所より50m程上流に架け替えられた。2004年(平成16)に架け替えられた橋(崇元寺橋)の欄干は、戦前の安里橋の欄干がモチーフになっている。 設置2014年3月 那覇市歴史博物館」

10-0515 崇元寺橋

11-0515 崇元寺橋

12-0517 安里川

13-0517 前島南公園

14-0517 牧志長虹橋

 琉球王国時代に、いくつかの島からなる那覇と首里の交通の便を図るため、安里崇元寺から久茂地にいたる海中道路(長虹堤)を築いたことに驚きました。長虹堤の築造が、その後の那覇発展の契機となりました。

15-0517 長虹の由来

「長虹の由来…那覇はむかし浮島ともいわれ、いくつかの島からできていて、王都である首里との交通は安里川をへだてていたために不便をきたしていた。 1451年、尚金福王は国相懐機に命じ、安里崇元寺から久茂地にいたる長虹堤と称する海中道路を築かせた。 長虹堤の築造によって、首里への往還が便利となって、那覇発展の契機となったのである。」

16-0517 牧志長虹橋

17-0517 牧志長虹橋

18-0517 牧志長虹橋

19-0517 美栄橋方面

 「仲島小堀跡」付近は、久茂地川が漫湖に合流する河口で、人工の溜め池(仲島小堀)が作られ、泉崎村から仲島遊郭への出入り口には、「仲島小矼」が架けられていました。

20-0514 仲島小堀跡

21-0514 仲島小堀跡

22-0514 仲島小堀跡

23-0514 仲島小堀跡

「仲島小堀跡(ナカシマグムイアト)  那覇市泉崎1-9…この地にあった人工の溜(た)め池跡。 かつてこの一帯は、久茂地川(くもじがわ)が漫湖(まんこ)に合流する河口で、土砂が堆積した中州は「仲島(なかしま)」と呼ばれ、その後の埋立により陸続きとなった地域である。 河口(かこう)の水が湾入(わんにゅう)していた所は、17世紀中頃、泉崎村(いずみざきむら)在住の唐人(とうじん)の薦めにより、火難封じの風水として、土俵をもって潮入口を塞ぎ、溜め池(小堀、クムイ)とした。小堀は王国時代から養魚場として使われ、後に泉崎村の管理地となり、池から上がる収入で小堀の浚渫費(しゅんせつひ)に充てたという(『南島風土記、なんとうふどき』)。 仲島小堀では、その後も鯉(こい)や鮒(ふな)が養殖されていたが、昭和初期には埋め立てられ、1937年(昭和12)埋立地に済生会(さいせいかい)病院が建設された。 一方、仲島には、1672年に「辻(つじ)」(現那覇市辻一帯)とともに遊郭(ゆうかく)が開かれた(仲島遊郭)。歌人として有名な遊女(ゆうじょ)「よしや」(吉屋チルー)は、この仲島で生涯を閉じたとされる。また、泉崎村から仲島遊郭へは小矼(こばし、仲島小矼)が架けられており、遊郭への出入り口であった。仲島遊郭は1908年(明治41)に辻遊郭に統合・廃止され、小矼も埋立・道路拡張により消失した。 遊郭廃止後、埋立により住宅地として発展した泉崎は、沖縄戦後の区画整理により、往時の街並みとは異なった住宅地となった。 設置2014年3月 那覇市歴史博物館」


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