5年前に訪れた茅葺き屋根の近くのカタクリポイントに寄ってみた
う~ん、咲いていないか。午前にビジターセンターで教えてもらった際には「曇っていると花が閉じてしまう」というものだったが、その通りかな。
これを撮る10分前位からは青空が見えていたが、すぐに開くわけ無いよね。
ビジターセンターに寄りトイレを借りて、係員さんにお礼を言った。
さて、後は下山するだけなのだが、同じ道を戻るのはつまらない。それに富士峰園地そばで開いたカタクリを見つけられないか。わずかな期待があった。
14:08 再びスパッツを付け、ステッキを出した。
このネットの内側だよな
う~ん、葉だけかな・・・
あら、あった~ヾ(^v^)k
周りを探したが、この一株だけだった。とにかく開いた株を見つけることが出来、ラッキーだ。
これを撮影した数分後、男女のグループが同じ株を見つけ喜んでいた。ただし、彼らはケーブル駅方面へと向かったため、この後丹三郎尾根を下るのは私だけになった。ここを通るのは5年前にスミレが沢山咲いていた為、今回もそれを期待したのだが・・・
お、ツチグリ!
14:35 そうそうこの標柱も懐かしいね。16時頃につけるかな。
どうやら周囲に誰も居なかったので、今度はラジオクラウドをスピーカーにして歩くことにした。
ここで取り上げたいのは荻上チキSessionー22の29日金曜日、
映画『記者たち〜衝撃と畏怖の真実〜』がきょうから全国公開
イラク戦争当時、アメリカで一体何が起きていたのか?
の回だ。以下は抜粋
2001年の「9.11アメリカ同時多発テロ」の翌年、当時のブッシュ大統領は、イラクのフセイン政権について「大量破壊兵器を保有している」とする非難声明を発表し、アメリカの世論は、開戦に向けて盛り上がっていきます。
多くのメディアが大統領を追認する報道を続ける中、大統領の発言に疑念を抱き、真実に追った記者たちがいました。彼らの奮闘を描いているのが、きょう全国公開された映画『記者たち〜衝撃と畏怖の真実〜』です。イラク戦争の開戦から16年、現地では今なお多くの国内避難民が帰還できず、人々はISの残党によるテロに怯え、混乱が続いています。
今夜は、映画『記者たち』の公開をきっかけに、改めて、イラク戦争当時、アメリカで一体何が起きていたのか?また、当時のイラクの状況はいかなるものだったのか?そして、『スタンド・バイ・ミー』や『最高の人生の見つけ方』などで知られる名匠ロブ・ライナー監督は、なぜ、この映画を撮り、我々に何を伝えたかったのか?監督のインタビューを交えて、専門家とともに考えます。
チキさんと神保哲生さん達のまとめによると
ブッシュ政権がイラクに戦争を仕掛けた際に小泉純一郎政権は世界に先駆けてアメリカを支持した。その後、何故支持したのか、野党が追及した際に外務省から出て来たのは弁当箱(黒塗り)でたった17ページしかないものだった。つまり、根拠などないままにアメリカに追随したのだ・・・
おいおい、今と変わらないじゃ無いか(`‐●_‐´怒)ムッ
運転中もそうだが、Sessionの特集は長時間かけないと全部聴くことが出来ない。これはイイ機会だった。
その後は淡々と
飯盛杉
ナガバノスミレサイシンかな。ヒナスミレ
丁寧に探したつもりだが、キレイなをスミレを見つけることは出来なかった。この時は何故なのかと思っていたが、こうしてレポを作りながらちゃんと記憶を見れば、スミレがいっぱい有ったのは4月12日。2週間もずれていれば当たり前だよね。( ̄。 ̄;)
一旦林道に出てすぐ先から登山道へ。すっかり忘れていた( ̄。 ̄;)
大久保ベンチ。ここでコーヒーブレイクをとったのだが、今日はペットボトルのお茶のみ。そして行動食は食べきってしまい、アメしかなかったので、結構ハングリーだった。
15:44 獣害防止柵へ。ここを出てスマホの電波オフを解除したところ、次の古里駅発は15:50、その次は16:14だった。これなら急ぐ必要は無い。スパッツを外し、ステッキをしまった。
吉野街道へ
16:00頃青梅街道の角にあるセブンで肉まんを買った。ハラが減っていたので美味しかった~
古里駅。トイレで小用、スゴくキレイになっていた。個室を覗いてみるとウォシュレット! これは次回以降利用価値があるぞ
16:14の青梅行きに乗り込むと、これは空いていた。ラッキーだ。
青梅では東京行きがやって来た為、国分寺到着の1分前にアラームをセットして眠ることが出来た。
17:50帰宅。
標高差はともかく2月17日以来久々にしっかり歩いた。満足!