昔は四季の節目を節分としたがいま節分と言えば立春の前日だけを言うようになった。俳句の世界では節分は冬の季語。節分といわず鬼やらいといったり追儺(ついな)といったりもする。
鬼やらひけふ横雲のばら色に 森澄雄
もうあしたから春やでというひびきを覚える日。以前にも同じようなことを書いた覚えがある。
庶民の節分といえば豆まき、巻きずしの丸かじり、鰯の丸干しの軒先吊るしくらいしか知らない。平安朝の昔は大晦日の夜、宮中で大舎人が鬼を追い払う儀式が行われ鎌倉末期まで続いたという。その後は各地の社寺で追儺の儀式が行われ日取りも節分の夜に変わったそうや(角川「俳句歳時記」)。
冬とはいえ、きょうは春隣や。千里南公園の出足も多い感じがした。牛首ヶ池のカルガモたちの遊泳(写真上)にも丘の空海歌碑(写真下)にも春隣を実感した。阿字は密教の死生観をあらわすことば。
阿字の子が阿字の古里立出でてまた立ち帰る阿字の古里
よう分からんけどなんとなく分かればよかろう。夕方、巻きずしを娘の家まで届ける。夕飯に巻きずし4本も食べた。
歌碑の丘登れば見渡す春隣 龍尾
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ノーやん
fm
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