お昼までの仕事をしゃかりきに終え
新幹線に乗って向かった先は

博多座

中村勘九郎襲名披露公演
夜の部の演目の一番目は俊寛。
2011年の秋に硫黄島のほんものの海岸で勘三郎がやった俊寛。
さすがに島まではいけなかったけど
翌日にあった鹿児島市内での公演を見に行きました。
本当は春にするはずったのが、突発性難聴のために延期になった分でした。
2006年の勘三郎襲名披露公演も博多座に昼の部、夜の部それぞれ見にいきました。
歌舞伎に詳しいわけでもないけれど、
なんだか勘三郎さんのパワーに惹かれてました。
あの人をみると「生」という字が浮かびます。
太い筆で墨で大胆に描いた「生」というイメージを勝手にもってました。
そんな勘三郎さんが亡くなったのは
とてもとてもショックでした。
勘三郎さんがもうこの世にいないということが
不思議でしょうがない・・。
仁左衛門さんの俊寛はもちろん勘三郎さんのとは違うけど
ところどころで不思議なくらい頭の中に勘三郎さんの俊寛がよみがえってきて
そのあとの口上も含め
泣きながらみた歌舞伎でした。
でも休憩中はこんなのみたり

お菓子やらめかぶやら紅茶やらお茶やら、
かなり試食しまくって
終わった後には新幹線の最終時刻まで

水炊きで満腹
福岡には6年間住んでいましたが
水炊きを食べに行くという感覚がなく
食べに行く鍋は「モツ」か「しゃぶ」でしたが
いやいや水炊きおいしかった~~!(^^)!
新幹線に乗って向かった先は

博多座

中村勘九郎襲名披露公演
夜の部の演目の一番目は俊寛。
2011年の秋に硫黄島のほんものの海岸で勘三郎がやった俊寛。
さすがに島まではいけなかったけど
翌日にあった鹿児島市内での公演を見に行きました。
本当は春にするはずったのが、突発性難聴のために延期になった分でした。
2006年の勘三郎襲名披露公演も博多座に昼の部、夜の部それぞれ見にいきました。
歌舞伎に詳しいわけでもないけれど、
なんだか勘三郎さんのパワーに惹かれてました。
あの人をみると「生」という字が浮かびます。
太い筆で墨で大胆に描いた「生」というイメージを勝手にもってました。
そんな勘三郎さんが亡くなったのは
とてもとてもショックでした。
勘三郎さんがもうこの世にいないということが
不思議でしょうがない・・。
仁左衛門さんの俊寛はもちろん勘三郎さんのとは違うけど
ところどころで不思議なくらい頭の中に勘三郎さんの俊寛がよみがえってきて
そのあとの口上も含め
泣きながらみた歌舞伎でした。
でも休憩中はこんなのみたり

お菓子やらめかぶやら紅茶やらお茶やら、
かなり試食しまくって
終わった後には新幹線の最終時刻まで

水炊きで満腹
福岡には6年間住んでいましたが
水炊きを食べに行くという感覚がなく
食べに行く鍋は「モツ」か「しゃぶ」でしたが
いやいや水炊きおいしかった~~!(^^)!