美味しく♪ 楽しく♪ てげてげな日々♪

愛犬すもも&たろう、おいしいものやら趣味やらあれこれ綴りつつ、何はともかく続く毎日が少しでも楽しい日々になりますように。

イカとエビをめぐる攻防

2006年10月31日 | Weblog
昨日、イカとエビを食べたと書いたか、実はかなり苦労して食べたのだ。
いや、作る段階から苦戦をしいられた。

なぜってそれは甲殻類大好きなうちのランチャ君(アメリカンショートヘアー、オス、11歳)のせい。
犬猫ってイカとかエビとか食べさせたらいけない、といわれるが、この10年間食べてもどうもないし(1度イカを食べ過ぎて吐いたくらい)、食べさせないというのは不可能なので、すこしずつやっている(というより、とられる)。
ちなみに最初の1年は私が県外に住んでいる時にいっしょに暮らしていた1年間。
そのときはそれなりに節度があったと思うのだが、まさに「猫っかわいがり」している私の親と住み始めてからエンゲル係数の高い超グルメ猫になってしまった。

なのでその日もすでに食卓に並んでいたエビをガードしつつ、イカを料理せねばならなかった。
しかも流しで作っているものも大大大大好きなイカとくれば、もうそりゃー、テーブルのエビを狙ってみたり、流しに来てイカを狙ってみたり、と彼も大忙し。
こっちも調理しながら、テーブルの上で獲物に手を出そうとしている彼を威嚇。
一応威嚇すると小さく短く「ニャ」と鳴いて、手を引っ込める。
テーブルの上のエビは殻をむいていなかったため、しかも蒸したエビだったので、生のイカのほうが断然いい。
そしてまた流しに移動してイカを狙う。
ゲソを洗っている母の手に前足をかけて、おねだりしてみたが、もらえないのが分かると無理やり食いついて引っ張る作戦にでた。

彼にも好きな度合いがあるようで、新鮮天然のイカ、エビ、青魚の場合はどんなに怒ってもたたいてもあきらめることはない。もらえるまで必死の攻防が繰り広げられる。
いつもは残さず食べる猫缶も、とりあえず、がつがつ食べたふりだけして残したまま、すぐに椅子にあがってくる。
煮魚だったり、刺身でも養殖魚だったりすると、怒ればそれなりにくれるまで待っている(ある程度の時間は)。
新鮮天然生の大好きなものなんて、やらないでこちらが食べようとすると、箸で自分の口に持ってくると同時に彼の口も私の口にきている。
恐るべし食い意地。

ランチャの名誉のために言っておくが、普段はちゃんと、椅子か自分のえさ箱の前に座って「ちょーだい」をする。
それでももらえない場合は前足をヒトの手か箸にかけておねだり、それでもだめなら身を乗り出してヒトの肩やら胸やらに手をかけ、最終的に直接皿の上のものを狙ってくる、という段階を踏んでいる。
必死になるのは、本当に好きなものがあったときだけ。

この日はいざ食べ始めると私と同じ椅子にすわり、エビの刺身を食べようとしようものなら、よこせとばかりに顔をひっかかれそうになり、箸を触って「エビをとってよ」との態度。私が両手に茶碗と箸をもってイカ飯をかきこみ、母の目線がテレビに一瞬向いたそのわずかな隙をねらって、皿の上のエビの刺身を一匹さらっていった。
もちろんそれ以外にも食べられたが。

もうここまでくると、しかるどころか応援したくなる。


ミズイカとタカエビで晩御飯

2006年10月30日 | Weblog
お隣さんからまたまた!!つれたての!!!ミズイカを頂いた。
さらに実家では新鮮なタカエビをもらっていた。
実家はこの晩父が外に飲みでたため、母と猫だけだった。
「エビ、取りに来れば??」と母から電話があったのだが、どうせなら食べに行きますと、
こちらもミズイカを持っていくことに。
よってイカ&エビの甲殻類夕ご飯。

つい先日昼のテレビ番組「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」でやっていた「イカ葱ご飯」をどうしても食べたかったので、それを作る、ことに決定。
実家の晩御飯時は必ずアルコールが入るので、米粒がでることはめったのないのだが、冷ご飯と冷凍ご飯を足せば2人分なんとか確保。
ちなみにこの日のアルコールは鹿児島酒造の「酔十年(すいとうねん)」という芋焼酎。
「さつま諸白」を十年貯蔵させたもの。
お湯わりでクイッと。

母がイカをさばき、私がフライパンで調理しつつ洗い物をし、分担作業でさすが二人ですると早い。
イカ葱ご飯のレシピはうろ覚えだったので、かなり適当につくったが、結構おいしかった。
もちろん頂いた分、全部は食べられなかったので、残りは冷凍用に切り分け。

タカエビもかなり大量にあった。
食卓には刺身とさっと火を通すくらいの酒蒸しに。
甘くてぷりっぷりっ。
酒蒸しはみそや殻までしゃぶりつく。

エビは小さいことからの好物。
まだほんとに幼い頃、今の家ではなく祖父母と同居しているず~~~っと昔のこと。
家の前には「走る魚屋さん」というトラック販売の魚屋さんがまわってきていた。
私は全く覚えていないのだが、幼稚園にも入らないくらいの頃から一人で「エビください」と買いに行っていたらしい。
もちろんお金は持たず、共働きの両親はいず、ということで、気がついた近所の人たちがお金を払ってくれていた。
魚屋の兄ちゃんも慣れたことなので、トラックが止まるのはいつもうちの前、もちろん言葉も分かってんだか分かってないんだかくらいの小さい私にエビをくれていた。
今でも祖父母宅前に「走る魚屋さん」はやってくる。
機会があれば今度数十年ぶりに買いに行ってみよう。


夜中の奇襲

2006年10月27日 | Weblog
昨夜、飲みに行った。
日付も変わった0時20分頃に解散してから、なんだか遊び足りなかったため、友達を呼び出し、車で迎えにきてもらい(こさせ?)、酒臭いよと文句を言われながら、そのままあてもなく海沿いをドライブし、コンビニでアイスクリームとお茶を買って、二人で夜中1時すぎに後輩の家を襲撃した。
まだ部屋の明かりがついていることを確認したが、「女でもいたらどうしよう」という心配をよそに、一人ぽっちでもう寝ようかとしていたらしい。
そりゃあそうだろう、時間も時間だし。というかもしかして電気つけっぱなしで寝ていたのかも?
かわいそうな後輩は、寝ぼけまなこのあまりにも突然のことに、居留守を使うことも、寝たふりをすることもできず、私たちを部屋にあげるしかなかったのだった。

後輩は恋をしている。
純情朴訥なはにかみ君なのでほとんど自分からは語ってくれないのだけれど(私らに語る必要もないが)、若い子(といっても世間的には若くない、私より若いというだけ)の恋愛話を聞くのは楽しい(というか無理やりしゃべらせている)。
わずかにしか語らないその言葉から多くを連想し、たぶん聞きたくもないであろう余計なお世話的無責任なアドバイスをし、好き勝手に叱咤激励している。
なかなか進展がないのがもどかしいが、なんだか初々しくってそれもよい。
いや、実は進展しているくせに言ってないだけかもしれない。

と、恋のドキドキ感を自分で味わえないさみしい外野達は本人の都合に関係なく盛り上がっている。
きっとこんなことしているから恋もめぐってこないのだろう。

久しぶりに学生ちっくなこの夜中の訪問。
迷惑をこうむったかわいそうな後輩にはちょっぴり(え?ちょっぴり?)申し訳なかったが、楽しい夜だった。
学生に戻った気分。
そして家に帰り着いたのが2時半で、3時にベッドに入った瞬間に爆睡。
6時半にはさわやかに目覚めた。
きっと半日~1日後に、このつけはやってくるのだろう。
トシを考えよう・・・。

実家にたま~に帰ったときの晩御飯時。
そこ、もともと私の席だったんだけど・・・・。
え、いやいいよ。私は立って食べるから。

桜島にかかる虹

2006年10月25日 | Weblog
今の時期、夜に窓を開け放していると涼しくて、気持ちがいい。
ある夜いつものように窓を開け放したままにしていたら、ふと気がつくと、床がざらざらしていた。
土地柄、どうも開け放した窓の外から火山灰が入ってきた模様。

もうっ、いつ噴火したんだ、そこの火山っ!!

しょうがなく窓をしめて、夜中だったので掃除機はかけずに、とりあえずクイックルワイパー。

数週間前の噴火のときは窓ガラスがわずかにビビンビ~~っと振動したので、地元民としては噴火を察知し、いそいで窓を閉めた。部屋にも侵入されなかったし、住んでいるところはそんなに量もふらなかったようで、翌朝に車がちょっと灰をかぶったたけですんだ。
ま、この程度の灰、昔に比べるとへでもないけどね。

そういえば、私が小学生のときの数年間、中学~高校生の時はそりゃー「どか灰」がすごかったものだ。土砂降りのように灰がざーざーと降るのはしょっちゅうだった。
雨は降らずとも、いつ灰が降るかわからないので(=いつ噴火するかわからないので)、常に傘を持ち歩いていた。傘をさしても、目が開けられないくらいしょぼしょぼして、鼻をかんだら黒くって、髪がごわごわするのは免れない。家に帰ったらシャンプー1回じゃ、ごわごわはとれない。

俗に「灰雨」と呼んでいた、灰と雨が同時に降ったりなどしたら、服は黒の水玉になって、大変だった。
ひどいときなど、信号待ちをしていたら、灰で埋まって横断歩道がほとんど見えず、向こうの信号機もぼんやりとしか見えないくらいのこともあった。
私は違ったが、コンタクトレンズの友達は目が痛くて大変らしい。

そしてそんな中、それが当然だったので、自転車で通学したり(1度灰ですべった)、校庭で体育していたり、冷房も扇風機もない猛暑の夏の教室で窓を閉め切って授業を受けたりと、今では考えられないことをしていたものだ。

そんな火山でもやはり地元ではシンボルで、これが見える場所に住みたいという県民、市民は多いようだ。
私は運よく今はその姿がかなりよく見えるところに住んでいる。

今夏のある日、そう夏も終わる頃のもう日も沈もうかという夕方、何気に火山を眺めていると、うっすら噴煙があがっていた(そのときの風向きはこちら方向ではなかったので、余裕で見ていた)。
赤や紫に染まる夕暮れの空に、噴煙がとてもきれいだったので、「そうだ、東京に住む兄ちゃんに、この姿をみせてやろう、さぞ懐かしかろう」と思い、写真をとろうと携帯とデジカメを取って窓辺に戻ったら。

それはそれはほんとうに見事な虹がかかっていた。

火山をまたぎ、目の前の湾に大きく大きくかかる途切れのない完璧な虹。
あまりの大きさに全体を写真に収めることができなかったのが残念だが、久しぶりに「見惚れて」しまった。

10分か15分か、虹は消えて日も沈んでしまった。
でもその印象深い光景はかなり深く心に刻まれた。


銀色に輝くつれたての太刀魚~~~階段は2段とびで

2006年10月23日 | Weblog
先日運悪く予定外のエレベーター点検中に帰ってきた私。
また出なければいけなかったので、非常階段を駆け上がって、また駆け下りたのだが、案外できるじゃないか、と味をしめ、それ以後週に1-2回は10数階までの階段を上っている。
一応目標は8~10階まではできるだけ2段とびで行くこと。
あとは立ち止まらずに上ること。
7階くらいになると、かなりぜ~~ぜ~~~言っているが、なんとかあがりきる。

以前テレビで、2段とびで階段をあがると太ももの筋肉が鍛えられてダイエットにいい、とやっていたが、さすがに30歳も過ぎた女が職場の階段を2段とびで駆け上がるのはどうかと思うので職場ではしていない(よっっっぽど急いでいるときだけ)。

ま~~、うちの階段でもせいぜい週に1~2回程度なので、効果のほどは不明だが、しないよりはましだろう。
ダイエットというか、運動だな。
ゴルフ場で疲れ知らずに回る程度には、足を鍛えなければ・・・。


で、写真はつれたての太刀魚!!
見事な銀色の輝き!!
まな板1枚じゃ足りなかったので、2枚並べて乗せてみた。

先に塩焼きかムニエルか、どっちにしよ~~~。
そう、またお隣の方からいただいたもの。
それもつい今しがた。
いつもいつも本当にありがとうございます。
今日もお返しもせずに心苦しく、でもおいしく頂きま~~~すっ!!






ルクルでひじき~~~まかせて大工仕事

2006年10月22日 | Weblog
クローゼットの中に放置されていた本棚を組み立てた。
今すんでいるところの、前の前の前の部屋のときに通販で買ったものだ。
同じものを3つ買ったのだけれど、2つで十分だったので、そのままにしておいた。
そのままにしておいても邪魔だし、ちょうど大量のアルバムをいれるところに困り始めていたので、組み立てることにした。
なんだかこういうことも一人でらくらくとできるようになってしまっているところがちょっと悲しかったりもするが、まあよい。
出来もまあまあ。

で、そのあとなんとなくひじきなんて煮てみた。
小鉢系のお惣菜、まとめて作っておく。働く一人暮らしには欠かせない。
遅く帰ってもおかずがあると便利だし。

今回はベーコン、セロリ、ピーマンで炒め煮にした。
味付けは普通にしょうゆ、お酒、みりん、お砂糖で。
ひじきもル・クルーゼのお鍋で作るとなんとなく、かわいらしくみえる。
この青いのは今年の誕生日に後輩二人がくれたもの。
青って自分では買おうとは思わなかったけど、実際手にしてつかってみると、青もいい感じ。
物にしても、服にしても人からもらうと、意外ないいもの発見があったりする。

愛用歴かれこれ10年以上となったル・クルーゼのお鍋は、大きさ違い、色違いで、いくつかもっている。
登場回数のダントツに多いオレンジの鍋は、もうまわりがすすけているので、そうならないように大事に使っている。





カニチャーハン~~~~秋の夜の読書

2006年10月19日 | Weblog
花咲ガニに引き続き、毛ガニ。
何にしようかと考える間もなく、うっかり帰りが遅くなったので、すぐ出来るものにしてみた。
ということで、カニチャーハン。

カニとご飯以外には深ねぎと卵。
それ以外には前の晩に小さめの器に作っておいた、またまたカニグラタンとまだ鍋にたくさん残っている野菜スープと冷凍庫の最後の餃子。
野菜スープでお腹休め、ってぜんぜん休ませている量ではないような気もするが・・・。
しかも夜9時まわっているっていうのに。
ご飯は少なめの一膳分で作ったにも関わらず、カニも葱もたっぷり入れたもんで、かなりの量になってしまった。

食べてから打ちっぱなしに行こうかとおもっていたけれど、なんだかだるくなって、お茶でも飲みながら家で本でも読むことに。
いつもは本屋で適当に文庫本を選んで、暇なときに読んでいる。
わざわざではなくて、何かの待ち時間、とかで読んでいるので、ゆっくりの1~2週に1冊ペース。

今読んでいるのは、Amazonで買ったいつも読むものとはちょっと趣きの異なる「カーボンリスク―CO2・地球温暖化で世界のビジネス・ルールが変わる」という本。
「ビジネス」を考えるという目的の本ではなく、現在地球上で急速にすすんでいる、私たちにも直結する環境破壊のことが具体的に分かり易く書かれている。
まだ途中なので、読み終わったらぜひまた紹介したい。

そういえば、私のフルートの先生は、ほんとに個人の力ではありながら、もうかれこれ20年以上も前から環境保護や家庭からの環境汚染をなるべく少なくするような生活を実践し、その輪を広げていっている人だ。
ふ~~~~ん、えらいなぁ、と思ってはいるだけで、私はたいしたことはしていないのだけれど、まずは少しずつでも環境のことを知ってみようかと思っている。


カニの身たっぷりカニグラタン~~~~~信念と生きる術

2006年10月18日 | Weblog
友人のだんなさんが、北海道に仕事で行った。
六花亭のマルセイバターサンドをぜひ食べたいと、妻である友人とともに私まであつかましくお願いしたら、バターサンドとは別便でカニまで届いた。

だんな様、3人で食事に行けばいつもご馳走していただき、今回はカニまで送ってくださるなんて!!
ほんとにどうもありがとうございます。

さて、カニ。
何を作るか。
カニといえば、カニクリームコロッケ、カニチャーハン、レタスとともにあんかけでもいいし、カニスープ、茶碗蒸し、ピザ、カニときゅうりの丼、かに玉・・・・・・・。
何にしよう。

もちろんゆでたのをそのままでもいいのだが、まずここはひとつ贅沢に、カニの身があふれんばかりのカニグラタンなんてどうだろう。
と思い立ってから、カニグラタンで頭がいっぱいになった。

仕事から帰って、早速カニの解体にかかる。
花咲ガニと毛ガニが一つずつだったので、花咲ガニでつくることに。
はさみで隅々まで残すことなく身を取り出すと、かなりの量だ。
分解しながらついついそのまま口にいれてしまう。
う~~~ん、このまま食べちゃおうかな、と思ったりもしたが、
いやいや今日はカニグラタン!!とすでに体全体が欲している。

マカロニがなかったので、かわりにオレッキエッテ(耳たぶという意味の平たい丸っこいショートパスタ)をゆで始める。
薄くスライスした玉ねぎとマッシュルームをバターでいためる。
バター、小麦粉、牛乳でホワイトソースを作り、塩・胡椒、白ワイン、固形スープのもとで味付け。
そこにいためた玉ねぎとマッシュルーム、パスタと主役のカニを。
もちろん本日は贅沢にかにの分量が一番多いっ。
なんてったって、その名の通りカニグラタンなのだから。
耐熱皿にうつして、とろけるチーズを気持ち少なめにしき(いつも乗せすぎてしまうので)、その上に軽く粉チーズをかけて、さらにカニの身を飾りにのせ、皿の周りをこれまたカニの卵で囲む。
パセリをかけて、オーブンへ。

ほぼ一匹分の身がたっぷり入ったカニグラタン。
オーブンの時間がもう少し短くてもよかったかもしれないが、満足満足。



真実と信念が、えらいと勘違いしている無知な人間達によって曲げられそうになったらどうするか。
それでも自分の真実と信念をつらぬくか、なあなあで無知でおろかな考えにまかれて無難にやり過ごすのか。
社会でうまく生きていくためには後者だろうか。
真実から成る「確固たる」信念があれば、おろかな批判なんて気にならないのかもしれない。まかれてなんて生きてはいけない。

イカとセロリと青じそでスパゲティ

2006年10月17日 | Weblog
先日お隣の方から頂いたとれたて新鮮、まな板の上でもまだ透明だったイカ。
全部食べきれず、少し残ったものを冷凍しておいた。

オリーブオイルをしいたフライパンでアンチョビ、赤唐辛子、セロリをいため、塩・胡椒、(白ワインがなかったので)日本酒、醤油、みりんで味付け、茹で上がったスパゲティと入れる直前にイカと青じそに軽く火を通し、そして茹で上がった直後のスパゲティをからめて、はい出来上がり。
お湯を沸かし始めてから10分少々で終了。

あとは、週末に冷蔵庫の中にある残り野菜で作った野菜スープ。
先週1週間、外食が続いたためか、単なる暴飲のためか、かなり胃がもたれていた。
そんなときはありあわせ野菜のスープで、しばらくお腹休め。
もちろんアルコールはなし。
そう、なんだか毎日飲んでいるかに思われがちだけど、別に飲まなくたって手が震えたりはしない。
今回は、キャベツ、たまねぎ、セロリ、トマトの水煮(ここまではいわゆるダイエットスープの具材だが、ダイエットスープではない)、なすび、えのき、マッシュルーム、そして入れなきゃいいのにたっぷりベーコン。しかもオリーブオイルも結構入っている。

ついつい大量に作ってしまうため、朝晩で火を通していると、煮詰まってしまい、とてもスープではなく単なる野菜のごった煮と化す。
最後になると、いっそ汁気を飛ばして、ソテーしてお肉のソースになってしまうこともあるくらい。
その頃には調味料も色々と追加されているため、かなり複雑な味となり、もうおいしいのかなんなのかわからなくなる。

青梗菜そば~~~特技か趣味か

2006年10月16日 | Weblog
約1月ぶりにフルートの個人レッスンに行った。
今は仕事などで毎日の練習ができない、ということで、1ヶ月に1~2回くらいのゆる~~いペースでレッスンを受けている。
中学のときから始めて、中学・高校とレッスンを受けていた。当時生まれた先生のところのお子さんたちが、気がつけば大学生と高校生になっていたので、私のフルート歴は相当な年数になっている。

高校卒業後に地元を離れてからは、したりしなかったり。
やっと2年くらい前から何度目かの再開をし、そのときにせっかくなのでレッスンも再開した。
実質やっている年数はそうでもないのだけれど、歴だけ聞かれると、とてつもなくうまい人と思われるくらい長い。

趣味は?ときかれると、フルートも入れている。
特技は?ときかれると、この人の前で演奏することはないだろう、もしくは、こいつ音楽素人だな、を見極めてフルートを入れることもある。

そう、歴は長いが、実力がとてもとても伴っていないのである。
(きっとピアノ歴と実力が伴っていない人はこの世に数知れずだと思う!!! 決して私だけではないはず)

「楽器できるの?」 「うん!!」
「じゃあ、なにか弾いて。」 「え~~~~と・・・・・・」

さすがに、これじゃぁいかん、と思ったのはレッスンを再開した2年ほど前。
人生の半分以上もやってきているのだから、特技に自信を持って入れたい。
という気持ちで、多分今は学生の頃より思い入れて練習しているつもりなのだがレッスンに行くたび、「あ~~~、まだだ~~まだまだなんだ~~もっと練習するんだった」と打ちのめされる結果になる。
練習時間もさることながら、とっても集中力のない練習なのだからね。

先日のレッスンのとき、私の前の時間に受けていた人は、私よりも少し年下の3人の子供さんのいる主婦。
彼女は短大のときに音楽を専攻していたときに習っていたらしいのだが、結婚やら出産やらで中断していた。それがまた思い立って、練習をはじめ、なんと結構難しい地元での音楽コンクールの予選をトップで合格、もうすぐ本選を控えているとのこと。
大学生・社会人部門は現役の音大生なども出るので、かなりレベルは高い。
すごい・・・・・・・。
私のやる気なんて、しょぼかった・・。
そのくらい、真剣に集中して練習しなきゃなぁ。
コンクールは無理でもせめて特技にはいれたいものだ。

写真はいつかの昼ごはん。
青梗菜の下は葱とえのきがたっぷり入ったスープに素麺。
真ん中のローストビーフでちょっとアクセント。
塊でも頂いたのだけれど、とても食べきれず、冷凍庫から小出しでつかっている。



自分と同じ年生まれのワイン

2006年10月15日 | Weblog
たとえ持っていても、それを飲むきっかけというのは難しいと思う。
生まれた年にその年のワインをごっそり買って、節目ごとに楽しむというフランス人(ほんとか?)じゃあるまいし、そもそも自分の生まれ年のワインなんてそうそうお目にかかるものではない。

手に入れたとしてその貴重な1本を開ける「人生の節目」を、どうやって決定するのか!?
大学に合格?   
    いやいやまだまだ人生浅すぎる、それに未成年じゃあないか。
就職がきまった? 
    いやいやまだワインなんて味わえる年齢じゃない。
仕事で手柄をたてた? 
    いやいやまだまだこの先大きな何かがまっているかもしれない。
結婚がきまった? 
    え・・・・いや、きまってないし・・・・。
子供が生まれた?   
    それならその年のワインじゃろぉ。
それじゃあ葬式か? 
    って自分、飲めないじゃん。

そんなことを考えることなく、自分と同じ年のワインに巡り会い、そして味わった貴重な秋の晩。

1971 Gevrey-Chambertin

計算によりすぐその年数が分かるだろう・・・・。

もともと私が飲むものではなく、買ってきた人がとあるワイン会に持ってきたこのワイン。
得意満面でもってきたのはいいが、思いっきりぶらぶらさげて持ってきたので、オリが浮きまくり。
それはあまりにもったいないということで、近々ある買ってきたそのお方の誕生会にあけよう、ということになり、しばらくレストランに保管してもらっていたのだ。
そのお誕生会の前に偶然会った私も、たまたまお誘いを受け、行かせて頂いた。

ところで何が「得意満面」なのかというとこのワイン、フランスで買ってきたもの。
しかも空港とかそこらの酒屋とかで買ったものではない。

フランスのワイナリー、しかもブルゴーニュのボーヌというロマネやシャンベルタンの畑がある街のワイナリーで買ってきたものなのだ。
フランスワイン好きな人なら、きっと行ってみたいであろうその街。

更に!!時間がなかったから、という理由でボーヌに行くために、南仏プロバンスのアヴィニョンという街からタクシーで行ったという暴挙。
「ふ~~ん、タクシーで」と軽く思うことなかれ。  ぜひ地図を広げてみるべし。
東京からだと大阪、兵庫くらいまでの距離はあるのじゃなかろうか。
その道中の逸話はたくさんあるらしいのだが、私が行ったわけではないので、割愛。

とにかくありえない距離をタクシーに乗り、
あこがれのワイナリーに行き、
ワイナリーの味のある親父さんが自信を持って薦める、
ご希望の「ここで一番おいしくて古いワイン」を手に入れてきた。

そのご自慢のワインが、まさか私と同じ年とは思わず、一人でいたく感動し、うっかりトシがばれることも考えず叫んでしまった。

シャンパンで乾杯し、そのあと白、赤ワインをそれぞれを飲み、そして食事も終盤にさしかかったところで、ソムリエの手で丁寧にあけられた。
琥珀色が強く混ざったような奥深いガーネット色。
ごくごくわずかに遠くに感じるカビくささとともに、強すぎない秋の森を思わせるような香り。
味は、深いのだけれども決して重くはない、しなやかな味わいだった。
味わいで思い浮かんだのは「風の谷のナウシカ」の一場面、腐海の森の下に落ちたとき、上にある森から光とともに降ってくるきらきらとした砂(?)、あの風景。

開ける前は「飲めても一口味見程度かな」と思っていたが、さすが、本場ワイナリーで大事に保存されていたもの。
よかった、こんなにきれいに熟成されていて。
こんな味の同じ年ワインなんてきっともう2度と飲めないだろう。

実は実家のワインセラーには家族全員の生まれ年のワインが2本ずつあるのだが、私の年のものは1本しか残っていない。
たまたま1人で家で飲んでいた母が、いい気分で何も考えずに、適当に引き抜いたワインを飲んだのだ。それがたまたま私の生まれ年ワインだった。おいおい、一人でそんなの飲まないでよ。
だから私の人生の大きな記念日がやってこないのじゃなかろうか!!
果たして残りの1本があくのは、いつになるのだろう。

この貴重なワインを飲んだ翌日、買ってきたお方に会ったら「お前の生まれた年だと思って選んで買ってきたんだ」といわれたが、果たして???
だって当日は「おお~~、そうのかぁ~~」ってびっくりしてなじゃないですか。
でももしももしも、もしも本当にそうならば、と思うと、秋の夜長、月をみながらまた感動してしまうのである。





食欲のない朝はジュースで~~~環境問題を知るきっかけ

2006年10月11日 | Weblog
環境問題の専門家と話をする機会があった。
飲みながらの話だったので、ずっと環境のことを語っていたわけではないが、その話は大変興味深く、考えさせられるものだった。
具体的な内容について書くには、私はまったくといっていいほどの勉強不足だし、聞きかじりの知識では間違った情報になるといけないので、もっとしっかりと知識をもってから、と思っている。
ただ、私やたぶん世の中の多くの人が思っているよりもずっともっと深刻で早急に対処しないといけない問題なんだ、と強く思った。そのうち講演など聴いたり、何か読んだりする機会があるだろうし、ぜひその機会を作りたい。

「飲みながら・・」ということは、連ちゃんで飲んでいる、ということなのだ。
更にまだ数日夜の会合は続く予定。
そんな日々の起き抜けはだるい。だるいとどうも食欲がない。
でも朝食を抜くと、
「朝、食べてない、食べてない、食べてない、食べてないんだ~~」
と頭から離れないので、何かしら口にしたい。

そういうときは、ミックスジュース。
野菜ジュースは好きではないし、缶入りのものも甘すぎて飲みたくない。ビン入りの完熟りんごジュースとかはおいしいのもあるけれど、頂く以外には買ったりすることもない。なのでミキサーに作ってもらう。
今朝は冷凍していたバナナ(残念ながら奄美バナナではない)、同じく冷凍していたマンゴーに、りんご、ヨーグルト、牛乳をミキサーにいれてガ~~~ッ。
ヨーグルトと牛乳はいつもいれるけど、果物はそのときあるものを使用。
「今朝はこのコップ」と思っていたコップに、ちょうどこぼれるかこぼれないか、こぼれないってくらいのぎりぎりいっぱいの量を作れた時は顔が熱くなるくらいうれしい!!

冷凍マンゴーは、この夏たまたま同じ時期に数人から大好きアップルマンゴーを頂いたのだが、多くて食べ切れそうになかった。
それでも腐らせてなるものか、と切って冷凍庫に入れておいたもの。
食前に凍ったままお皿に入れておくと、食後ちょうどいい解凍状態になっていておいしく食べられる。
冷凍バナナも冷凍マンゴーもミキサーにかける前にはちょっと室温においてからまわさないと、うちのミキサーはなかなか回ってくれない。
そしてなんとか今日の午前中も元気に無事に乗り切った。

芋焼酎に囲まれて

2006年10月10日 | Weblog
連休最後のこの日、両親とその友人数人とで焼酎を飲みに行った。
うちは家族全員飲むのも食べるのも大好き!!

焼酎というと、うちでは当然「芋」。
むか~~し、いっしょに住んでいた祖父や伯父も焼酎好きの飲んべぇファミリー。
小さい頃からうちのグラスには芋のにおいがしみついているくらいだったので、世間的には「芋がくさい」と思われていたことを大学生になるまでしらなかった。
大学は芋焼酎文化圏外のよその県に行っていたのだが、そこで初めて「芋=くさい」と言われていることを知ったのだ。
でも芋焼酎ブームのかなり前だったが、たまたままわりには芋好きな友人が多く、県外であっても麦や米よりも芋を飲んでいたので、今でも麦や米を飲むことはほとんどない。

そんなに芋、芋と言ってはいても、実は別に焼酎にくわしいわけでもないし、芋は芋というだけで、好きなのはここの銘柄です、なんていう特別なこだわりもない。
頂いたりしたものや、食事に行ったときに飲んだものを「これおいしいじゃない~~」と新たに知るくらいで、あれもこれも買ってみよう、なんて気持ちもない。
芋は芋だもの、と。

芋焼酎が全国的に市民権を得ている昨今、「幻の○○○」なんてプレミアのついているものもでているが、地元の人たちはそれぞれにデイリー焼酎があり、珍しいのにあれこれ手をだしたりする人はそういないだろう。
たとえプレミア焼酎が手に入ったって、「これって東京にもっていけばいくらで売れるかなぁ」と話題にしつつ、普通においしく飲み干されるだけだ。

この日行ったお店には県内の焼酎を中心に数百種類もの焼酎がそろえられている。
テレビドラマのロケにも使われ(その時の広末涼子と藤木直人の写真がある)、テレビの焼酎特集とかでも紹介された街灯もないような山の中にあるお店「猿家」。
オーナーの趣味が高じてできたお店の四方の壁に床から天井まで並べられている焼酎の瓶は圧巻だ。
最近は焼酎を集めているお店も増えてきているけれど、ここほどの種類のあるお店はそうはないだろう。
普段見るようなのもあれば、みたこともないようなものある、というより、見たことないほうが多いかも。
ちょっとずつ小さなグラスについでもらって、みんなで回し飲み。
これでたくさん味わえる。
私としては、焼酎だけでなく奥様か娘さんの作ってくれる家庭的な料理もおいしく、それをつまみながら、たくさんの焼酎に囲まれて、時間をすごすのが楽しい。

猿家にお邪魔するのは2回目なのだが、初めてお邪魔した時に、「あら~~~、芋もこんなに味が違うのねぇ」ということを知った。
その上で、これが今日飲んだ中では一番好きかな、というのがあったのだけれど、その日はたかが6種類しか飲んでいないので、それにこだわることなく、他の種類のいろいろ試してみなければ。

ワインや日本酒などに比べると、それほど明らかな違いはないが、さすがに同じ銘柄でも「濾過していないもの」とか「何年熟成もの」とかになると味は違うし、口当たりや芋くささもそれぞれに異なる。
前回に比べて今回は人数が多かった分、たくさんの種類を味わえた。
栗の焼酎とか、牛乳の焼酎とかも試してみたが、やはり芋が中心。
今回は屋久島で熟成させている「屋久の碧玉」と奄美の黒糖「長雲」の長期熟成が一押し。
しかしどちらもそうそう手に入るものではないらしい。

実際地元に芋焼酎が何種類あるのか? 
約1500種類とか1600種類以上かといわれているらしいが、よくわかっていないらしい。
地元には出回らず、ほとんど都会に出て行くものもあるらしいし。
どうりで見ないものもたくさんあるんだ。

味に差はあれど、芋は芋。
そうそう大きなはずれはないし、やはりデイリー焼酎はそこらに売ってるやつで十分。
ちなみにそんなに毎日飲んでいるわけではない、決して。

あと何回「猿屋」に通えば全種類のめるのだろうか・・・。



ゴルフのあとに~~~手作りお味噌で

2006年10月09日 | Weblog
朝からどうも体がだるいと思ったら、昨日、久しぶりにしたゴルフのせいだ。
普段からジムや打ちっぱなしに行っている時期はさすがになんともないが、久しぶりだと腕から足から背中からわき腹まで、むずむずとした筋肉痛というか筋肉疲労を感じる。

その昨日のゴルフの帰り、実家から車で10分くらいのところに住む父方の祖父母の家にいった。92歳の祖父と、89歳の祖母。
両親が共働きということもあり、私が小さいころに何年間かいっしょに住んでいた。
祖父母以外にもいとこのいとこ一家とか、母方の祖父母とかともいっしょに住んでいた時期がそれぞれ数年あり、小さいころ面倒をみてもらった人たちはこの方々以外にも多数の近所の人たちに及ぶ。
この父方の祖父母が、祖父の仕事のため引越したあとも、小学生時代の夏休みはほとんど祖父母の家に行ってすごしていた。

ということで、祖父母からは他のいとこと比べても、小さいころから特別にかわいがってもらっているように思う。
昨年夏に緊急手術をすることになった当時91歳の祖父は、そのとき「もうだめかも」と思われながらも回復し、退院した。
退院してからしばらくは「もう生きていても・・・・」などと気弱な発言が多く、「病人」という感じにげっそりしていた。
しかし、腰は曲がって痛いのだが、最近はまたすっかり顔色もよく、げっそりしていた頬も少しだがふくらんできて、もちろんまだまだ頭もしっかりしている。

几帳面な祖父は85歳くらいまでは、年賀状も暑中見舞いも必ず書いて出していたが、この先も短いし、もうきついから、と「時候の挨拶状は書かない宣言」をしていた。
しかし今年の夏、不意に祖父からの暑中見舞いが届いた。
祖父が考えた印刷された文章は祖父らしい実直さが伝わってくるもので、その中には「この頃は、未だ92歳か、と思うようになり・・・」とある。また左端の小さな余白に手書きで「こんなものを書いて150枚近くだしました。どう思う?」と書いてあった。
なんだか目が熱くなるほどうれしくて、さっそくきれいな海の絵葉書で返事を出した。
もちろん「すごくいいと思います、じいちゃんからまた葉書がくるようになるとうれしいです」と。

祖父母の家には毎日だれかしらが訪れてくれる。近所の人たちや昔からのお友達、それに親戚。
とてもみんなに助けてもらっている。
祖父母からみたら若いこの人たちも、実は一般的にはもうお年な方々ばかり。それでも庭の手入れをしてくれたり、とれた野菜を持ってきてくれたり、そして祖母をかこみ、お茶をのみながらおしゃべりに花をさかせる。

祖父の92歳の誕生日にケーキを持って行ったら、たまたまおしゃべりの真っ最中だった。
さすがに祖父は女性陣のすさまじいおしゃべりの中にははいっていかず、別の部屋で何かしており、私もとなりの居間で昼の残りのお寿司をすすめられるがまま、つついていた。
にぎやかに聞こえてくる彼女らのおしゃべりは、政治から芸能、皇室、ご近所、魚屋に並ぶネタ問題まで数分単位でかわっていき、とどまるところをしらない。
きっとこの人たちがきてくれることが、うちの祖父母がぼけずに元気にいてくれる最大の理由なのだと思う。

ちなみにうちのお味噌は、祖父母宅からもらってくるもの。
この家にやってきてくれる誰かの手作りのお味噌なのだ。
そういえば小さいころは近所の庭で味噌を作るの見ていたなぁ。
ということで写真はいつかの遅めの晩御飯。
その手作り味噌のお味噌汁と冷凍庫の奥底に眠らせていた餃子(いつからだったkかは不明だが、味は大丈夫だったしおなかも壊さなかった)、いくらに友人からもらった新米。そうそう、味噌汁の出汁は先日お隣から頂いたさばの骨でとったもの。




秋空のゴルフ

2006年10月08日 | Weblog
天気のいい3連休の中日(チュウニチではない、ナカビ)、ゴルフに行ってきた。
まさに「秋晴れ」。
空は高く青く澄み切っているし、雲も夏に比べるとやわらかい。
さすがに日中の日差しは強かったけれど、木陰の入ると風が気持ちよかった。

スコア?
いやいやそんなものはいいのです。
そう、スコアなんて関係ないのだ。
こんな気持ちのいい中を、歩いているだけでも・・・・ともう何年も言っている。
最近驚くほどスコアが減らず、ずっとスコア維持しているのはある意味天才かも、とかまで思ってしまっている。

一時期、そう5-6年ほど前はかなり練習していた。
週に3回は打ちっぱなしにいき(うち2回は教えてくれる人付き)、ラウンドも月に2-3回は行っていた。
さすがにそのときは自分のゴルフの絶頂期だった。ドライバーなんてそこらの男より飛んでいた。コンペにでればドラコンはほぼこの手に奪い、ニアピンだって、結構とっていた。
当時を知る人たちからは「昔はねぇ~~~、飛んでたのにね~~」とため息交じりに言われてしまう。
ちなみに今はドラコンどころか、どうかとりあえず前にいけばいっか~、だし、ニアピン狙うどころか、グリーンに乗りさえすれば、かなりうれしいっ、というレベル。
だって今はもう練習とかまっっっっっったく行かなくなってしまったんだもの。

別に忙しいわけでもないし、行こうと思えば行く時間は十分にあるのだけれど、あまり時間があるというのも、行動を起こさせない原因となるのだろう。
忙しいと「今しかない!」と思って多少の時間でも何かしら行動してしまうが、なまじ忙しくなかったりすると、「家に帰ったら動きたくない」だの、「汗かいたらまた風呂にはいらなきゃないらないし」だの、「明日のほうが時間があるかも」だの、「一人で行ったって、うまくあたらなかったらいやだし・・」などなど、何かしら誰に言うでもないいいわけを、自分で作って動かない。
しかも別に仕事だって暇なわけではなく、実はたまっているわけで、それもしてなかったりするわけで・・・・。
それって単なるものぐさというのよね・・・・・・。

それでもラウンド中にすばらしいあたりがでたりすると、「次のラウンドまでには絶対練習にちゃんと行こう」と思うのだけれど、それもかなり堅くそう思うのだけれど、きっと行かないであろうな。
そう、そんなものぐさな自分というものは、小学生のころから変わらない。
いやいや、今度こそ、行くのだ。いや、行かないかな?
いい加減、己に厳しい立派な人間にならなくてはなぁ。

ちなみにこの日のゴルフは父の高校の同窓生の集まりの一環のコンペだった。
全国から集まった同窓生との飲み会は前の晩にあり、翌日はゴルフ組、クルージング組、釣り組に分かれて昔仲間との交流を深めたと。
同窓生、同郷というつながりは、いくつになってもいいものなのだ。

写真は本日のゴルフ場。とっても南国ちっくできれい。
でも池が~~~。今日も私のボールは吸い込まれていくのであった。