のり屋のバーサン日記

落語に親しみ、犬猫と和む…
何でもないけど、めでたい毎日

ネリークリスマス♪

2015-12-25 12:07:52 | 食してみた


兄の同級生で、
のり屋の先輩でもある
Sさんからいただいた
広島の美味しい練り物

お隣さんに配っても
食べきれないほどたくさん。

カリカリれんこんを油抜きして、
今日の朝ごはんは(あ、もう昼?)
練り物のカナッペ。笑。


練りークリスマス

Shinobu さん、
ありがとうございます!!
コメント (2)
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クリスマスレター

2015-12-24 00:02:29 | ひとりごと
今年も届きました、
同世代の友人で
ライターを生業とする
Oさんのクリスマスレター。

毎年この時季、
送ってくださる
カードじゃなくてレター。

都心の学生街に生まれ育った
Oさんの地元エピソードや、
読書家の彼女ならではの
本から拾った印象的なフレーズなどが
コラム集的に編まれた、
楽しいお手紙です。

何しろ文章のプロ。
簡潔な数行の中に、
クスッとくる(またはブハッと噴く)
ユーモアあり、
ふと考えさせられるヒントありで、
私信にしておくだけでは
もったいないクオリティ。

今回は国立競技場の
思い出話がありました。

(以下、転載させていただきます。
Oさん、勝手にごめんなさい)

「中学時代ハードル走をした国立競技場が更地に。競技会に出場したと聞こえるように書いたが、校庭が狭かったので、ただ場所を借りただけ」

おお、さすが都会っ子!

と感心しつつ、そう言えば…と
自分も思い出しました。
中学時代、渋谷公会堂のステージで
歌を歌ったことを。

なんて書くと、
子供の頃から大層な音楽活動を
していたかのような。

実際は学校のクリスマス音楽会で、
場所を借りただけ。
(その他大勢でパクパクしただけ。笑)

Oさんが国立競技場で走ったのも、
のり屋が渋谷公会堂で歌ったのも、
昭和40年代のこと。

学校の行事で
メジャーな会場を借りられた、
のどかな時代でしたね。

どちらも建て替えのため、
今は亡き思い出の施設に
なってしまいましたが。。。



昭和50年代になると、
渋公のスケジュールは
『8時だヨ!全員集合』やら
『紅白歌のベストテン』の公開収録で
先々までギッシリに。

「だからもう予約できないのよ」
と音楽の先生がボヤいていたのを
思い出します。

昔のことをやたらに思い出すのが、
この年末の傾向か。

何はともあれ、
メリークリスマス



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しばし現実を忘れて

2015-12-23 00:04:55 | 見てきたよ


ファッションブランド、
UNDER COVER(アンダーカバー)の
25周年記念展覧会、観てきました。

LABYRINTH OF UNDERCOVER
@東京オペラシティ アートギャラリー

10月から開催されていたのに、
初台まで行くタイミングがなく、
最終日前日の滑り込みでしたが…

いや~、観て良かった!!
感動

コレクション映像、服の展示、
25年分のアーカイブズが一堂に。

一見、トンがった若者向けに
思われがちなブランドですが、
自分的には、この上なく着心地良く、
意外とトラッドな服。
(メンズ服いくつか長らく愛用中)

レディス服中心の展覧会でしたが、
デザイナー高橋盾さんの天才ぶり、
(若者流に言うなら「神!」ぶり?)
超絶技巧ぶりをこれでもかと
目の当たりにしてきました。

色合いも魅力的。


あぁ、これこれ!
昔、この解体できる服を見たときの
衝撃がよみがえる。


このドレープドレスも、
本物のドレープと転写プリントの合体。
90年代に、この発想は驚き。


見るほどに発見があり、
コレどうなってるの?と
思わず触れそうに…

もちろんNGですが。笑。

映像スペース以外は撮影OK


お客さん同士のマナーも良くて、
お互いジャマにならないよう、
譲りあい会釈しあいながらのパシャ

いろんな種類の感動に包まれ、
年末のガサガサ気分も、
しばし消え失せ…

明日の最終日まで、
今夜ここに泊まっていいですか?笑。

予想はしてましたが、
すでに図録は完売。
欲しかった…しょぼん

現実に戻り、新宿ビックロにて
プリンタのインクを買って帰宅。

去年買った本で余韻に浸り中。。。


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原点回帰

2015-12-22 00:41:44 | ひとりごと
前回日記つづき。

プリントゴッコのインクが、
今もネットで購入可能と知り、
実家に電話してみたところ…

なんと、ついに、
プリントゴッコ本体が壊れ、
すでに父は年賀状450枚の
手書き作業に突入していた。

しかも、
もう半分書けた、
とのこと。

てことは、200枚以上?

早ぇぇ~~

プリントゴッカーを卒業した父、
時代を逆行し、
ガリバン刷りの時代
(いつの時代?)もスルーして…

原点回帰

父に触発され、
のり屋も来年の年賀状は、
宛名面だけでも
心をこめて手書きすることに。

と言えば聞こえはいいが、
この春の突然のPCプッツンで、
宛名データが飛んぢまいました~

手書きにするしかない~。笑。

ていうか、
まだ年賀状に着手できる
状況じゃない~。

唐突ですが今週は、、、

コレ、以前にも同じのが出た。
たなくじ、年末で手抜き疑惑?笑。

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プリントゴッカーは今

2015-12-21 00:08:56 | ひとりごと
プリントゴッコが生産終了になって、
何年経つだろう?

自分も'90年代前半までは、
年賀状作成時のマストアイテムだったが、
その後は家庭用コピー機を経て、
今は手描きとPCを駆使している。

そんな過去の遺物を
いまだにヘビーユーズしているのが、
我が両親(90代&80代)。

人呼んで「プリントゴッカーズ」。
(のり屋が呼んでるだけ)

生産終了時に買いだめした
インクなどの消耗品を
今もだいじに使いつづけているが…

さすがにストックが尽きてきたようで、
昨年末に作成した父の年賀状は、
文字がピンク色だった。笑。
(おめでたい感は醸していたが)

今年も、その時期になり、
見るに見かねて、母の年賀状は、
のり屋が手描きとPCで協力することに。

もともと35年来、
母用の原画も担当してきたし、
枚数も少ないので、
たいした手間もかからない。

問題は父だ。
仕事現役時代は700枚発送していた、
年賀状大好き人間。

「(年配者が亡くなり)
年々、出す枚数が減ってる」

と、ボヤきつつも、
聞けば今年も450枚は出す予定とか。

そんなに多いなら、
印刷にすればいいのに、
手作り+手書きにこだわる大正生まれ。

どうする、どうなる、
プリントゴッカー!?

インクもピンクしかないようだし、
今にも父から450枚の作成を
委託されそうでヒヤヒヤの日々…

それやってると、
自分の年賀状、
できなくなりますから~

とはいえ、のり屋も、
手作り好きDNAは受け継いでいて、
昔は個人年賀状で
手書きの1文字すら見当たらない
印刷モノをもらうと
内心ムッとしたものだ。

「こんな手抜き年賀状なら、
もらわないほうがマシ」

我ながら何様?笑。

最近はそんなこと、
思ってませんから

寛容のココロが育ち、
どんなお年賀状も有難く嬉しく
頂戴いたしております。ホントに。

コメント (2)
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