【岡潔の思想】177『人間の建設』科学的知性の限界(其の2)
前回の「科学的知性の限界」の章からの続きです。
岡 われわれの自然科学ですが、人は、素朴な心に自然はほんとうにあると思っていますが、ほんとうに自然があるかどうかはわからない。
注)これに続き、「数というものがあるということを、知性の世界だけでは証明できないのです。」と言う発言があります。
それはなぜかというと「数学の体系に矛盾がないというためには、まず知的に矛盾がないということを証明し、しかしそれだけでは足りない、銘々の数学者がみなその結果に満足できるという感情的な同意を表示しなければ、数学だとはいえないということがはじめてわかったのです。」と。
そして次の発言がきわめて重要だと思われます。
岡 じっさい考えてみれば、矛盾がないというのは感情の満足ですね(略)
その意味で、知とか意とかがどう主張したって、その主張に折れたって、情が同調しなかったら、人はほんとうにそうだとは思えませんね。そういう意味で私は情が中心だといったのです。
この後も発言が続きますが、要は「矛盾がないということを説得するためには、感情が納得してくれなければだめなんで、知性が説得しても無力なんです」。と。
小林 近ごろの数学はそこまできたのですか。
※典比古
この章のタイトルが「科学的知性の限界」とされたのも、頷けます。
とにもかくにも、岡「知性や意志は、感情を説得する力がない。」「人間というものは感情が納得しなければ、ほんとうには納得しないという存在らしいのです」
このことは、「数学は知性の世界だけに存在しえないということが、四千年以上も数学をしてきて、人ははじめてわかったです。」と。
注)これはアメリカのマッハボーイの、連続体のアレフといわれている問題によって、二つの命題を仮定しても、矛盾しないということがわかったという証明による。
このように無矛盾ということが知性によって証明されたのですが、「各数学者の感情の満足ということなしには、数学は存在しえない。知性のなかだけで厳然として存在する数学は、考えることはできるかもしれませんが、やる気にならない・・・・だから感情ぬきでは、学問といえども成立しえない」と。
次回【岡潔の思想】178『人間の建設』(科学的知性の限)(其の3)を記事にいたします。
昨日、表彰状が届いていました。半歌仙「この秋は」の巻。
連句にご興味のある方はこちらを覗いてください。
【芭蕉翁献詠俳句】連句部門入選
