山口県周防大島物語

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ハワイ移民資料館寄付者 福元長右衛門

2022年12月14日 14時10分00秒 | 日本ハワイ移民資料館
「この資料館は、もとは明治時代にこの島からアメリカに渡って成功した福元長右衛門という人が、
1924(大正13)年に帰国したのちに建築した住居で、それをそのまま利用したためこの場所となったのだった。
いまの金額に換算すれば推定およそ3億円をかけたとされる建物は、伝統的な日本家屋に洋式の
意匠を取り入れた和洋折衷の趣がある。」

という主旨でよくハワイ移民資料館元所有者「福元長右衛門」は語られる。
ただ、実態は大成功者と言われるほどのことはないのが実情でしょう。

氏はカルホルニアで商売を始め、二度失敗している。困った氏はある白人家の召使となり
信用を得て行った。同郷の小形氏とともに雇われており、日本人らしく真面目に奉公しました。
白人家の婦人が亡くなるにあたり、遺産の6万ドルのを三人の召使に分与すると遺言しました。
この三人の一人が福元長右衛門であり、もう一人が同じ片山部落の小形氏で、もう一人は白人で
した。
二万ドルを手にした二人はすぐさま帰国しました。
この6万ドル遺言とそのうち4万ドルが日本人に与えられたことは、今でも人種差別のアメリカで
センセーショナルとなり現地の新聞は報道し、多くの日系人はよだれをたらしました。

福元、小形、両氏とも帰国にあたり、現地の日系紙にわざわざ「帰国報告」の案内文を
掲載しています。帰国したのち、両氏は競って大豪邸を建てます。福元邸の畔道一つ挟んで
小形邸が建設され、現在の福元旧邸に劣らぬ豪邸をたてました。
現在、この家は朽ち果てて風呂場の一部が無残に残るばかりです。
資料館が毎日、ハワイ国旗を掲揚している側の裏門の前に見えます。

小形氏(近所の小形本家の分家)は後、無尽(金融業)に手を出し破産したとされます。

福元邸は現在の価値で3億円程度とするのは、「保険法」で云う「再調達価格」ではそうなる
でしょう。否、もっとかけないと出来ないかもしれません。

ただ、彼らが造った大正時代はドルの価格が大幅に下がり、1ドル=1円程度になっています。
遺産の三万ドルと自己貯金500ドルを足すと二万五百円程度を持ち帰ったと思われます。
当時の屋代の家は普通の家で200円、豪勢にして600~800円が相場でした。
屋代地区にはハワイ御殿、朝鮮御殿と噂される豪邸が立ち並びましたが、だいたい建設費
は600円から1200円でした。現在、片山地区に残るハワイ御殿は福元邸を含め六軒あまり
残ります。ハワイでも大工だった森田氏邸以外は地元の名大工、長尾棟梁が手掛けています。
福元邸を建てた棟梁は小松の人で片山では他にS氏邸を建てています。

ただこの人物はタチが悪く、当時カルフォルニアにいたS氏から帰国するので家を建てて
置いて欲しいと頼まれ、当時日本円で3000円を預かり現在の家を建てましたが、
S氏が帰国してみると1000円にも満たない家であり、究明すると、好きな女二人に家を一軒
づつ1000円づつで建ててやったとのことでした。金も返されていません。

このような人物が福元邸を造っているので、相当吹っ掛けてサヤ抜きをしているでしょう。
当時の金で福元邸は1200~2000円程度でできる代物ですが、3000円から5000円吹っ掛けられたと思われます。
当時の台湾材を使用しているから高かったと今の人が説明しますが、
当時の台湾は日本です。一級の秋田杉よりは安いのです。ただ、風呂場や台所は一流の
左官が造作したと思われ立派です。
5000円棟梁に取られたとしてもあと15000円あまり残っていましたので、近所の人が
家に全財産をつぎ込んだのかと問うと、まだ一杯残っているとうそぶいたとか(現地古老談)
福元氏は残りの金の多くを寄付しており、志駄岸八幡宮や屋代川にかかる架橋の寄付や多くの
ことをしています。大判振る舞いかと言えばそうではなく、地元の葬儀の香典は地元人と
同じ程度で奮発はしていません。

屋代地区で御殿と言われる家を建てた帰国者の多くは800円から1200円程度持ち帰った程度の
金持ちです。

20000円以上持ちかえった、福元氏と小形氏は破格です。

上記の事情を勘案して「ハワイ移民資料館」の謂れは書かれるべきでしょうね。

福元氏



小形氏


福元邸(ハワイ移民資料館)と左に小形邸が確認できる大正期の写真(写真下・龍心寺あたりからのショット)


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