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少し日が長くなったような感じの今日。
貴重な時間を大切にしたいと思うのとは、
裏腹に色々な行事の多い季節でもあります。
親戚に腰を痛めた者がいて、それを見てい
ると、時間の大切さをつくづく思うのです。
例えば、体を動かすのにも、痛さとの戦い。
私は通風ぐらいしか経験がありませんが、
相当に痛そう。かといって本人でないと対
処のしようが無い。何をするにも時間がか
かり、あっという間に時間が過ぎます。そ
れも、一人でなく二人三人の時間です。
改めて介護の大変さを実感しているところ
です。手摺とか、段差の無い床とか、車椅
子が通れる通路とか。確かに必要だが、そ
の前に必要なのが、本人と介護者の覚悟で
はないでしょうか。
介護してもらうということは、自分でする
のが当たり前と思っていた、体の移動、着
替え、排泄、排泄後の始末、食事、入浴を
自分以外の人の手助けを、恥を忍んで、し
てもらうことなのですね。
例えば、若い人が外科に入院して助けても
らうのは、下手なこと言ってつねられたり、
ある意味希望がありますが、老人のそれは
笑いも希望も希薄な現実があり、考えさせ
られます。その状況を笑い飛ばせる雰囲気
にさせるのが、介護のプロなのかも知れません。
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今朝は、霜が一杯降りた寒い朝でした。昨晩の
満天の星からすれば当然でしょうが。
そんな中、しめ飾りを取り外しましたので、
正月が行ってしまったようで少し寂しい気分。
昨日の会で、左官の会社の社長と話す事があり、
ある商社で講演を依頼され、その内容を聞いた
のですが、飲んでの話なので、正確かどうか
分かりませんが書いてみます。
仕事でも何でも数字を求めると、限りなく「0」に
近づく。同じ建築工事でも、大工工事はプレカ
ットの導入などで、数値化されたので、この対
象。ところが左官工事には、数値化できない部
分が多く、付加価値を付けて「0」から離れる立場
にある。
このように、どの分野でも数値化出来ないもの
を求める事が今後の課題であると、講演された
のではないか?と想像した訳です。ブログのア
ドレスの入った名刺渡したので、反応やいかに。
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先日聞いて心に残った話です。便槽が汲取りから水洗になった。
プラス面は、匂いが少なくなり、綺麗なイメージになり、間取り
の自由度が増す。
反面、マイナス面もある。今まで一番汚い場所が便所であった
のが、代わりに老人が汚いものにされる恐れが出たことで色々
報道されるような「老人のいじめ」が起きたと。
「長幼の序」が逆さまになっていると言われて久しいが、こん
なところにも原因があるのかも知れない。無いものねだりをし
ても仕方ないが、一家の上に立つ者も意識を新たにし、いずれ
自分も行く道である事を忘れてはならないと思う。
誰かが言って居られましたが、上に立つ総理大臣や代議士が先
頭に立ち、見本たるべきである。微細な配慮を伴う大胆な政策
を打ち、自らの身は清廉であるべきであり、それには有権者の
質の向上が、ぜひとも必要。
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鏡開きは、元来1月20日に行われていたのが、
徳川三代将軍家光が四月二十日に亡くなったため、
この日を忌日として避けて十一日になったとか。
先日、読んだ本の中の一つの話。
松下政経塾の事を書いた本を読む。
兎に角、掃除をする。掃除一つ満足に
出来ないで何が経営だ。掃除のプロセス
と、経営が似ているかどうか分からないが、
一事が万事で、掃除も出来てない会社や商店の
経営が、上手く行っている訳が無いという結論のよう。
考えるのでなく「考え抜く」。相手の話を聞いた後、
それで、あんたはどう思っているのか?と聞くのが、
松下幸之助氏の常であったと。数字ではなく空気で測る。
やはり、神様と言われる人は違うんだ!。
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徳川二代将軍秀忠の忘れ形見であり。
三代将軍家光に仕え、続いて四代将軍家綱にも
仕えた会津藩初代藩主保科正之公の事が新聞に
載っていました。
私も、保科正之公を知ったのは数年前の、おも
いきりテレビの「今日は何の日」だったのです
が、涙を流して見た事を覚えています。
新聞にあったのは、明暦3(1657)年1月、猛火
が江戸を襲った。3日2晩に渡って、江戸の町
の6割を焼き尽くし、10万人以上の焼死者が
出た。江戸城の天守閣もこの時に焼け落ちた。
正之は自らの家屋敷を構わずに、火事装束姿で
江戸城に詰め、将軍の身を守った。
正之は火事が収まると、難民救済のために、各
地で炊き出しをさせ、さらに家を失った町民た
ちに再建費として総額16万両を与えた。幕府
の御金蔵が空になってしまう、という声が出る
と、正之は「官庫のたくわえと申すものは、す
べてかようなおりに下々へほどこし、士民を安
堵させるためにこそある」と説いた。
そして、「いまはかようの儀に国家の財を費や
すべき時にあらず」と反対した、江戸城の天守
閣はついに再建されることなく、今日に至る。
会津藩は、最後まで幕府を守った雄藩であり、
江戸時代に唯一人口の増えた藩でもあった。
皆が、「勝ち方回り」をする今日ではあるが、
見習うべきと思う。
※一部http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog277.html
より転載させていただいています。
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あちこちに、昨年の豪雪の再来を期待?して
除雪道具やタイヤチェーンが置かれているが、
今のところ、外れている。
正月も随分過ごしたように思うが、まだ三日
。用事のある知合いには、電話がつながらな
い。携帯に、かける事も考えたが、「折角正
月しているのに」と遠慮している。
帰りの用心の為にスタッドレスタイヤ履いて、
正月初めての外出。流石に有名な神社の近く
に行くと渋滞していた。
用事で行った先も、アポ取らないで行ったの
で行き違い、早々に引き返す。それでも普段
と違う道を走ったので、色々発見があった。
そういえば、まだ電話も携帯も無い時代の記
録を見ると、実に多くの行き違いが記されて
いると、読んだことがある。