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百翔

あした天気になぁれ!

 あいづ

2007-01-05 | Weblog


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徳川二代将軍秀忠の忘れ形見であり。
三代将軍家光に仕え、続いて四代将軍家綱にも
仕えた会津藩初代藩主保科正之公の事が新聞に
載っていました。

私も、保科正之公を知ったのは数年前の、おも
いきりテレビの「今日は何の日」だったのです
が、涙を流して見た事を覚えています。

新聞にあったのは、明暦3(1657)年1月、猛火
が江戸を襲った。3日2晩に渡って、江戸の町
の6割を焼き尽くし、10万人以上の焼死者が
出た。江戸城の天守閣もこの時に焼け落ちた。
正之は自らの家屋敷を構わずに、火事装束姿で
江戸城に詰め、将軍の身を守った。

正之は火事が収まると、難民救済のために、各
地で炊き出しをさせ、さらに家を失った町民た
ちに再建費として総額16万両を与えた。幕府
の御金蔵が空になってしまう、という声が出る
と、正之は「官庫のたくわえと申すものは、す
べてかようなおりに下々へほどこし、士民を安
堵させるためにこそある」と説いた。

そして、「いまはかようの儀に国家の財を費や
すべき時にあらず」と反対した、江戸城の天守
閣はついに再建されることなく、今日に至る。

会津藩は、最後まで幕府を守った雄藩であり、
江戸時代に唯一人口の増えた藩でもあった。
皆が、「勝ち方回り」をする今日ではあるが、
見習うべきと思う。

※一部http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog277.html
より転載させていただいています。

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