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名前のない足跡

独り言や思考の日記。

傷跡というのは 2

2025-01-05 02:48:26 | 日記

殺伐として諍いの多いような、怒りや悲しみの感情が無限に溢れるようなところにいるよりは、たとえ独りでも穏やかなところにいることが、秘訣かもしれません。

2025年 1月1日 彼のLINEの返信より

 

私はSNSのコミュティの一部が、まったくこの通りであるということを知った。

人の陰口をたたき、嘲り、罵り晒し者にする。

たとえ相手が極悪非道な人間であろうと、どのSNSでもブロックをすればいいという解決策が出ている。

そのためのブロック機能だ。

(ただし、当人同士が話し合いをしてそれで結果が出るなら話は別になる。)

しかし、中には年齢の割りには「ブロックをした」というだけでまるでその選択を選んだ人間を罪人のように扱う者もいる。

その行為は自己を守るために選んだだけなのに、なぜそれが悪いことだというのだろう。

私は、自分の心を守るようにミュートをかけた。

ミュートならば、逆上してくる人間もいないからだ。

だからこそ、私は頭の中をもっと沢山本で一杯にしなくてはならない。

くだらない争いばかりの世界よりも知性を蓄えることはもっともと大切だからだ。

二階堂奥歯がもし生きていたら、私と同じような思考をしただろう。

二階堂奥歯にとって精神の支柱が本、雪雪さん、哲さんだったのなら私のとっての精神の支柱は彼と様々な事で意見を交し、慰め合い、支え合い、抱きしめあうことだ。

彼女が生きていたらXの争いの絶えないのを見たら、即刻アカウントを削除しただろうと思う。

二階堂奥歯さんへ。

このくだらない世界を、あなたは今どう思っていますか。

あなたが生きる事に絶望してしまったこの世界を、私は生きています。

あなたに会ってみたかった。

私はあなたには及びませんが、あなたと本についてお話してみかった。

あなたは「朝」が訪れる事を絶望してまったけれど、私はこの世界を復讐のように生きていきます。

彼のおかげでこの世界に居続けることの理由がある。

どうか、この世界に私を居続けさせてください。

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傷跡というものは

2025-01-05 00:14:15 | 日記

「身はけがされ、死にそこない、既に失うものなど、何一つない」

 江森備 私説三国志 天の華・地の風完全版 一(2007年 ブッキング)

 

私の人生というのもを、ひとことで表すとしたらこれほどまでにない表現だ。

この小説は、諸葛亮が男たちに幼い頃より陵辱され、尊厳を失われ最期には真実の愛を知るという耽美な男色小説だ。

私は肉体こそ清いままであるものの、心への陵辱は何度あったか分からない。

彼と出会わなければ私は一生人間不信で、自責の念にかられて「嫌だ」と自分に対して理不尽な出来事があっても拒めず「耐えていればいい」と常に受動的になり悲観的に生きていたかもしれない。

今でも、幼少期から思春期の自分が顔を出してはその記憶で苦しめてくる。

まるで影のように。

一度壊れた心がどこまで修復されるのか、分からない。

影とは一生つきまとうものかもしれない。

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