前回の自分に当てた手紙のようなものの続きです。
昼間、自分の神経質な性質についてそれがどんな事がトリガーになる場合があるのか考えてみました。
私は、他人の言葉や行動に左右されやすい。
些細な言葉や行動に何か裏があるのではないか、と時折猜疑心にさいなまれ、他人を信じられい時がある。
しかし、猜疑心は時に必要だ。
例えば、ルイ14世の妻マリーテレーズ。
彼女の場合は、夫の度重なる浮気と自分への無関心さだったが、猜疑心を持つ事で自分が傷つかないように心を守っていたんだと思う。
マリーテレーズを思うとどれだけ自分が傷つかないように守っていたかと思うと私の心は今にも張り裂けそうになる。
私の場合は、他人の尊敬を時折「社交辞令だろう」「実は見下しているのではないか」と思い、素直に受け取れず、言葉の裏を考えてしまう事があある。
そして皮肉な事に私はシーランドの爵位を持っている。
貴族社会とは常に疑いと真実はほとんどない闇でできている。
なんという皮肉だろうか。私のこうした性質は貴族社会の性質そのもので、まさに貴族らしい性格をしている。
私はLive Through Thisでコートニーが生き抜くと宣言したように私は生き抜く。
たとえそれが時に自分にとって深い傷となっても。
私は自分を無垢だと思った事は一度もない。
私はLive Through Thisという言葉のように、神経質なトリガーにふり回わされず、他人の言葉に左右されずに生き抜きたい。
私の神経質さは時に偏頭痛が起き、精神が落ちこむほどになる。
しかし神経質さも時に大切にしたいと思う。
私はオルレアン公フィリップ一世が大好きだ。彼の神経質は、私は本当に理解できる。
彼もおそらく、時に彼の神経質な性格を理解されずに苦しんだ時もあるだろう。
私もその地獄のような苦しみがよく分かる。
そばにいたら、彼を軽視する人間どもをなぎ倒して守ってやりたいほどだ。
そして手を握ってそっとこう言ってあげたい。「殿下、あなたは一人じゃない。あなたの苦しみは私の苦しみだ」と。






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