前述の記事の続きになるが、それは間違っている。
他者からすれば、私が無意識のうちに誰に不快な気持ちをさせる事もあるしそれは他者にもいえる事だ。
私は今までの人生で、神を呪ったこともある。
「神よ、なぜ私に生を与えたのか、ならば死を与えることもたやすいことではないのか」と。
私を無駄に生かして何になろうかと。
聖書には「神の成す御業を疑ってはならない」という有名な一説がある。
疑うことは罪なのか。
過去に、何度も自らの手で命を絶とうと思ったことがある。
実際に実行にうつしたが、ことごとく失敗し、無駄に生きながらえてしまったと思った。
一つだけ見えてみた真実がある。
「死ぬ事という行為はいつでもできるのだから、くだらない」という事である。
でも、もし殺されるならもっとも愛しい人の手で苦しまずに息絶えていきたい。
「どうかあなたの手で殺して下さい」という台詞をよく見かける。
これはもっとも甘美な愛の告白だ。
死を通じて、愛しい人の手で絶たれるならそれが一番強く愛を感じられるからだ。
ところで、大晦日にイングロリアス・バスターズを観た。
好きな映画の一つなので久しぶりに観たが、ショシャナは復讐だけではなく彼女は間違いなく立派なレイン中尉の部隊な「バスターズ」の一員だ。
あれだけ優しさが見せかけだったフレデリックも結局はナチスに過ぎなかった。
レイン中尉のやっている事はただの快楽殺人鬼にしか見えない人もいるだろう。
しかし、あれこそが戦争の醜さであり「一生脱げない軍服を刻んでやる」と額にナチスの印を刻んで殺しもせず解放するのは「自分もお前もナチスであろうがなかろうが同じなのだから戦争という名目で人を殺しているのだから関係ない」という気持ちなのではないかと思った。
レイン中尉は、己の罪と一生向き合ってほしいと願いがある。
戦争にかかわらず、「許しと優しさ」だけで済む絵物語なら、世界はとっくに変っているだろう。
シモーヌ・ヴェイユの「重力と恩寵」が読みたくなったのはなぜだろう。
「オルガスマシン」を注文したばかりなのに。
「カトリック聖人列伝」も読むのもいい。
とにかく読みたい本がたくさんある。