
辞書、というと、普通の人にとっては何か調べ物をするための「道具」にしかすぎないかもしれません。
今風にいえば「ツール」であって、そこに愛着を持つのは変―――というか、あまり意味がないように考える人もいることでしょう。
でも、文字を書く「万年筆」に執着する人がいるように、私は辞書が好きなのです。
辞書といってもいろいろありますね。
広辞苑、国語辞典、外国語を調べるための辞書、あるいは漢字辞典。
辞書を持っている人は多いと思うけれど、蔵書としての辞書を隅から隅まで完読している人はなかなかいないと思います。それこそ「辞書オタク」。
私の場合、持っていた辞書すべてを1ページ目から最後のページまで読みつくしたことはありません。
でも、いつも、辞書にはお気に入りのセクションがあり、それは最後の「付録」部分です。
ピンとこない方、もしお手元に辞書があればそれを手に取っていただきたい。
国語辞典にしても英和辞典にしても、英英辞典にしても、おおよそある一定水準の辞書には、最終部分に「付録」的なセクションがあります。
外国語の辞書であれば、その発音記号の解説とか、国語辞典であれば、文法や品詞の解説とか、かな(ちょっと手元に国語辞典はないので断言できませんが)。
私は、その付録部分を隅から隅まで読むのが好きなのです。
そもそも、なんで辞書が好きなのか。
それは、この世のあらゆる言葉を掲載しているという網羅性と汎用性。
そこにその言語のエッセンス的な要素が濃縮されていて、しかも、すべての単語がなんとも絶妙な具合に定義化されている。
外国語×日本語という辞書ではなく、英英辞典とか国語辞典とか、同一言語のみを用いて他単語を解説するというカンニバル的な世界がなんともぞくぞくさせるではありませんか。
まるで、私たち人間が人間の脳を解析しようする試みにも通じる。
そして、広辞苑のような大型辞書、あるいは辞典における、あのひそやかな紙も辞書好きを興奮させる要素ではないかと。
指に吸い付くような極薄のページに、膨大な情報がぎっしり詰め込まれている。あの息の詰まるような文字のせめぎ合い。
辞書によっては、説明を補うためのイラストがついていることがあります。イラストは文字に比べるとスペースを取り、その分余白が多くなります。
文字でピチピチのページが好きな私としては、ちょっと残念な印象を持ってしまい、イラスト入りのページは私のお気に入りとは成らないのだけれど、辞書の中のイラストにもそれなりの色気があります。
それは、視覚的快楽によって読者を楽しませるために存在しているのではなく、あくまで語彙を説明するためだけに描かれたもの、それ以上でもそれ以下でもないというストイックさ。
これが、辞書好きの心をくすぐるのです。
辞書といえば、最近振興しているのが電子辞書ですね。しかし、あれはあまりいただけない。
もちろん、利便さは認めましょう。
どんなに薄い紙を使用したとしても紙の辞書はどうしても重くなってしまう。
それが言語の重みだとしても、持ち歩くのはおっくうに感じることもあるでしょう。
そのような場合でも、データとして携帯できる電子辞書はすばらしい。
ほしい単語をサクッと見つけてくれるし、そのコンテンツが紙の辞書に劣るということはありません。
しかし、電子辞書と紙の辞書との大きな違いは、電子辞書では紙の辞書のように、ある一つの単語を調べる過程においてそこに並列する他単語とその定義が目に映りこまないことです。
追いかけていた一つの単語と、それ以外の単語。
それは意味的なつながりがあるわけではなく、単純に辞書内の配列規則によって偶然隣人化されたものなのです。
そのような、偶然の逢瀬によるしめやかな感動を得ることができない電子辞書は、実に色気のない世界だと思いませんか。
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*本投稿は、2019年8月に有料購読プラットフォームにて投稿した文章を編集してここにシェアしました。
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