すご~く、趣味の話です。
色んな人(日本人)のツィートなどを読んでいていつも思うことが有る。オリジナリティーって、そんな自然発生的に生まれるもんかなぁ・・と。僕がまがりなりにも、アメリカで6年間過ごして経験したのは、周りのみんなが「他人とは違う事をやってやろう!」と常に言っており、実際にNYでライブをやった時は、大好きなマイケル・ブレッカーが数ブロック先でライブをやっているという現実だ。マイケルのコピーをそのまんまやろう・・という発想はその時点で決して起こらない。自分が恥ずかしいし、誰も「偽物」の演奏なんか聴きに来ない。楽器屋で、試し吹きでビバップのフレーズを吹くと「いつまで、そんな古いフレーズを吹いてるんだ。」と店のオヤジに説教される。ジョージ・ガゾーンにもレッスンで同じことを言われたし、ジェリー・バーガンジのレッスンでも「君はコルトレーンの影響を受けすぎてるから、彼のCDを全部、棚の奥にしまいなさい。」と言われたりもした。"Sguru, who the hell are you?"という事を色んな人に何度も言われた。
「バップが好きだから」とか「それが基本だと思うから」なんて言い訳にも容赦なく言い返される。多分、僕は運命的にそういう人に出会う事が多かったのだろう。ビ・バップが生まれた街なので、コンサバティブな人もNYには多いけど、そういう人には僕も特に興味が持て無かった。元々、チャーリー・パーカーは大好きだけど、そのフォローワーの所謂バッパーと呼ばれる人にはあまり興味がなかったし。それは、パーカーの音楽が尖がっていて「こんなフレーズ誰も吹いた事ないだろう!」っていう自信や強烈でアバンギャルドな意識が見えるからだ。フォローワーには「パーカーが好きでしょうがないんです。」っていう忠誠心の様なものしか見えない。だからアート・ペッパーの様に後に七転八倒した人の演奏はたまらなく好きだ。
コピー(transcribe)や歴史を学ぶ事は非常に大切だけど、それを沢山やったからと言って、オリジナリティーが生まれるわけではない。当然、過去には学ぶべきものは沢山有るわけだが、それを追及する事は只の研究に過ぎない。僕はオリジナリティーは非常に作為的に、強烈な意識を持って推し進めた者のみが勝ち得たものと思う。それは音楽のみならず、開発者にも言える事ではないだろうか。スティーブ・ジョブス然り。今、日本人は中国のコピー事情をとやかく言うけど、かつての日本は全く同じコピー大国だったわけで、今や、オリジナルの技術が有るからこそ、腹を立てているのだ。コピーした例えばアメリカの技術力を凌駕するものを、意識して作らなければオリジナリティーは決して生まれなかった筈だ。
テナー業界でいうと、マーク・ターナーやジョシュア・レッドマンのコピーをしてる人が若手に多いけど、僕らの時代はみんなマイケルやボブ・バーグなどのコピーをしていて、常に彼らの音楽が新鮮に感じていた。でも、彼らは恐らく、それを自分のモノにする、或いは全く新しいコンセプトを音楽として成立させるのに10年ほどは研究や実験を重ねている筈。こちらが、それを理解し使いこなすのに、もし10年かかったとしたら、20年のビハインドとなる。その間に、彼らはもっと新しい事を開発しているに違いない。それだったら、自分達で全く新しいコンセプトを作った方が良いのでは?と思う。昭和の技術者がやって来たように。
昭和30年代に「もはや戦後ではない」という言葉が有ったのに、日本のJAZZって、いつまで海外に追い付け追い越せをやってるんだろう。YouTubeやマイスペースで海外の若手を見てると、今まで聞いた事のないジャズを既にやっている。面白い。このうちの誰かを日本のレコード会社が輸入して初めて多くの人の知るところとなり、それをやっとこコピーして、日本国内で「どうだ!新しいだろ!」なんて胸を張ってる時代はもう終わりだと思う。国産のNEW・JAZZをもっと意識的に作らなければ、TPPが成立した時に海外市場になってしまう他の産業と同じ末路を辿る事になる。韓国のエンタメが日本のTVを席捲しているのは、彼らが元々海外市場を意識して綿密に作戦を練った結果である。日本の業界が、国内にしか向いていない生温い体質のままでは、当然太刀打ち出来ない。一方でアニメやJ-POPが世界に広がり、かつてのアメリカの様に、我が国が文化面で世界に影響力を誇示しているのは特筆すべき点であり、JAZZがそれに乗っからない手は無いと思う。(なにもアニソンをやれというわけではない) かつては、メガネで出っ歯な小人がカメラ抱えてるのが日本人のステレオタイプで、JAPと罵られた民族が、今や全世界で文化的にCoolだと言われているのだ。北野武も同様。
日本人が「これが日本のジャズだ!」と誇れるものを、みんなで知恵を絞って作れたらいいなぁ。決してチンドン屋みたいなジャズではなく、Coolなジャズを。日本の風土や民族感情を必要以上に意識することは無い。大切なのは「自分で考える」という事だ。で、世界中の観光客がわざわざライブハウスにそれを聞きに来ることが僕の夢だ。僕達、日本人が、NYやパリやバルセロナやローマやブリュッセルやオスロやハバナに、その土地土地のジャズを聴きに行くように。僕はパリでニューヨーク・スタイルのジャズを聴いてガッカリした事を今でも忘れない。その音楽が良いか悪いかだけの単純なものではない。「わざわざその場所に行って聴きに行く」のだから、それ相応のモノを期待するのが人情というものなのだ。
色んな人(日本人)のツィートなどを読んでいていつも思うことが有る。オリジナリティーって、そんな自然発生的に生まれるもんかなぁ・・と。僕がまがりなりにも、アメリカで6年間過ごして経験したのは、周りのみんなが「他人とは違う事をやってやろう!」と常に言っており、実際にNYでライブをやった時は、大好きなマイケル・ブレッカーが数ブロック先でライブをやっているという現実だ。マイケルのコピーをそのまんまやろう・・という発想はその時点で決して起こらない。自分が恥ずかしいし、誰も「偽物」の演奏なんか聴きに来ない。楽器屋で、試し吹きでビバップのフレーズを吹くと「いつまで、そんな古いフレーズを吹いてるんだ。」と店のオヤジに説教される。ジョージ・ガゾーンにもレッスンで同じことを言われたし、ジェリー・バーガンジのレッスンでも「君はコルトレーンの影響を受けすぎてるから、彼のCDを全部、棚の奥にしまいなさい。」と言われたりもした。"Sguru, who the hell are you?"という事を色んな人に何度も言われた。
「バップが好きだから」とか「それが基本だと思うから」なんて言い訳にも容赦なく言い返される。多分、僕は運命的にそういう人に出会う事が多かったのだろう。ビ・バップが生まれた街なので、コンサバティブな人もNYには多いけど、そういう人には僕も特に興味が持て無かった。元々、チャーリー・パーカーは大好きだけど、そのフォローワーの所謂バッパーと呼ばれる人にはあまり興味がなかったし。それは、パーカーの音楽が尖がっていて「こんなフレーズ誰も吹いた事ないだろう!」っていう自信や強烈でアバンギャルドな意識が見えるからだ。フォローワーには「パーカーが好きでしょうがないんです。」っていう忠誠心の様なものしか見えない。だからアート・ペッパーの様に後に七転八倒した人の演奏はたまらなく好きだ。
コピー(transcribe)や歴史を学ぶ事は非常に大切だけど、それを沢山やったからと言って、オリジナリティーが生まれるわけではない。当然、過去には学ぶべきものは沢山有るわけだが、それを追及する事は只の研究に過ぎない。僕はオリジナリティーは非常に作為的に、強烈な意識を持って推し進めた者のみが勝ち得たものと思う。それは音楽のみならず、開発者にも言える事ではないだろうか。スティーブ・ジョブス然り。今、日本人は中国のコピー事情をとやかく言うけど、かつての日本は全く同じコピー大国だったわけで、今や、オリジナルの技術が有るからこそ、腹を立てているのだ。コピーした例えばアメリカの技術力を凌駕するものを、意識して作らなければオリジナリティーは決して生まれなかった筈だ。
テナー業界でいうと、マーク・ターナーやジョシュア・レッドマンのコピーをしてる人が若手に多いけど、僕らの時代はみんなマイケルやボブ・バーグなどのコピーをしていて、常に彼らの音楽が新鮮に感じていた。でも、彼らは恐らく、それを自分のモノにする、或いは全く新しいコンセプトを音楽として成立させるのに10年ほどは研究や実験を重ねている筈。こちらが、それを理解し使いこなすのに、もし10年かかったとしたら、20年のビハインドとなる。その間に、彼らはもっと新しい事を開発しているに違いない。それだったら、自分達で全く新しいコンセプトを作った方が良いのでは?と思う。昭和の技術者がやって来たように。
昭和30年代に「もはや戦後ではない」という言葉が有ったのに、日本のJAZZって、いつまで海外に追い付け追い越せをやってるんだろう。YouTubeやマイスペースで海外の若手を見てると、今まで聞いた事のないジャズを既にやっている。面白い。このうちの誰かを日本のレコード会社が輸入して初めて多くの人の知るところとなり、それをやっとこコピーして、日本国内で「どうだ!新しいだろ!」なんて胸を張ってる時代はもう終わりだと思う。国産のNEW・JAZZをもっと意識的に作らなければ、TPPが成立した時に海外市場になってしまう他の産業と同じ末路を辿る事になる。韓国のエンタメが日本のTVを席捲しているのは、彼らが元々海外市場を意識して綿密に作戦を練った結果である。日本の業界が、国内にしか向いていない生温い体質のままでは、当然太刀打ち出来ない。一方でアニメやJ-POPが世界に広がり、かつてのアメリカの様に、我が国が文化面で世界に影響力を誇示しているのは特筆すべき点であり、JAZZがそれに乗っからない手は無いと思う。(なにもアニソンをやれというわけではない) かつては、メガネで出っ歯な小人がカメラ抱えてるのが日本人のステレオタイプで、JAPと罵られた民族が、今や全世界で文化的にCoolだと言われているのだ。北野武も同様。
日本人が「これが日本のジャズだ!」と誇れるものを、みんなで知恵を絞って作れたらいいなぁ。決してチンドン屋みたいなジャズではなく、Coolなジャズを。日本の風土や民族感情を必要以上に意識することは無い。大切なのは「自分で考える」という事だ。で、世界中の観光客がわざわざライブハウスにそれを聞きに来ることが僕の夢だ。僕達、日本人が、NYやパリやバルセロナやローマやブリュッセルやオスロやハバナに、その土地土地のジャズを聴きに行くように。僕はパリでニューヨーク・スタイルのジャズを聴いてガッカリした事を今でも忘れない。その音楽が良いか悪いかだけの単純なものではない。「わざわざその場所に行って聴きに行く」のだから、それ相応のモノを期待するのが人情というものなのだ。
その反対もあるのでしょうかね
パリで見た女性ボーカリストが、僕が聞いても分かる英語の酷さと、歌の下手さで、「無理してアメリカ人の真似しなくていいのに・・」って思いました。ボーカルは言語の問題も有って、大変だと思います。だから、余計に内側に向くのでしょうかね。美空ひばり並みの耳の良さが必要かも。でも、由紀さおりの世界的ヒットは「そのまんまで極めれば認められる」という、我々日本人アーティストにとって一つの勇気を与えてくれました。
僕は日本にあまり期待してないので、YouTubeなどのメディアを使った全世界に向けた情報発信に今後力を入れて行こうと思っています。だって、もし、外国人の観光客が「君を聴きに来たんだよ。」って言ってくれたら凄い嬉しいじゃないですか!
お客さんが少ないという現状を、指をくわえて見てるわけではない・・というのが、今回のお話。
僕のお客さんは、凄い音楽好きばかりだけど、そういう人って日本人の中には何%居るんだろう?僕のYouTubeの動画が殆どチェックされてない現状を鑑みると、聴いた事のない色んなアーティストに興味を持ったり、実際に目の前にした事のない人のライブに果敢に足を運ぶ勇気の有る人は相当少ないと見ています。日本人にも、もっと音楽好きが増えるといいなと思います。
僕は今回、演奏者としてではなく、リスナーとして語っています。無料のYouTubeやマイスペースでさえ、知らない人をチェックする気力がないとしたら、ちょっと信じられないですね。
海外の人で僕が見たい人は沢山いますが、日本に呼ばれる人に殆ど興味が持てない。まぁ、僕はマニアック過ぎると思いますが・・。凄い人が来たとしても高額すぎる。楽しむ事が本当に難しい国ですね。