楽器の音色ってワインと同じだと思う。
最近読んでいる漫画『神の雫』の受け売りとも言えるけど、読み進めるうちに共通点が沢山見えて来た。
僕は温泉旅行が趣味で、色んな所の温泉に浸かって来たが、旅情は勿論、源泉温度、アルカリ性か酸性かの測定基準であるpH値や「塩化物泉」「硫黄泉」などの成分分析、ヌメリなどの質感、香り、そして可能な限りは少しテイスティングをして土地土地の温泉の特徴を愉しむ。これってワインと似てるなぁ…と以前から思っていた。
とは言え、僕はワインにそれ程詳しいわけでもなく、ただ好きなだけで、漫画の世界の様に、飲んだ瞬間に景色が見えたり、その感想を詩を読むが如く表現し始める人にお目に掛かった事も無いし、ただただ「美味い!」とか「まろやか!」とか、たまに「タンニンが強い」などちょっと蘊蓄混じりの感想を言うに過ぎない。産地はある程度知ってはいるが、飲んで何処かとか分からないし、葡萄の品種の分析さえも出来ない。呑んで好きかどうかを判断するくらいだ。この奥深い嗜好品を極めるにはあまりにもお金が掛かりすぎる。
しかしながら、僕のもう一つの趣味であるレコード蒐集は、オリジナル盤に拘らずに安い中古品を探せばそれ程の出費は必要ない。そして、音楽を聴くと、その途端に景色が浮かび、様々な表現が脳内を駆け巡る。まるで『神の雫』のワンシーンの様に。
特に自分の担当楽器であるサックスの音色に関してはかなりシビアだし、自分の奏法にも影響を及ぼす。そして、個性を重んじるジャズというジャンルではあまりにも個人個人で音色が異なる為、まずはそこを極める必要が有る。そこにしっかりとした自分なりの価値観を見出さなければ、演奏上、何をやっても説得力に欠けるのだ。「良い音とは何か?」を極める事はワインと通ずる所が多いのだと思う。
まず、ワインで言う所の「産地」は、音楽で言えば、ミュージシャンの育った環境にあたる。これまでどんな音楽を聴いて来たか、どんな音楽教育を受けて来たか…を音を聴いて読み取る。そのミュージシャンに関する文献を紐解くのも参考になって良いだろう。しかし、「伝説」が過ぎて嘘も多いから注意も必要だ。
次に収穫した年を表す「ヴィンテージ」。何年に収穫された葡萄かはワインにとっては凄く重要だ。これは音楽で言えば時代性だと思う。やはりジャズが活き活きしているのは黄金時代と呼ばれる40年代半ばから60年代半ばだろう。しかし、それ以外の時期でも、その時期の「最新の音楽」が存在したわけで、それを時代背景を読み取りながら感じる事は重要だ。それぞれの時代にそれぞれの音楽の良さは存在する。
「ドメーヌ」は生産者を意味する言葉だが、これはミュージシャン自身を表す事になるだろう。音やフレージングを紡ぎ出すのは音楽家自身だ。その際に、様々な研究-楽器等のイクイップメントや奏法-を日々重ねる努力は、ワイン生産者の努力に通ずると思う。
「クリュ」は「畑」を意味し、「グラン・クリュ」は「特級畑」という意味。先程の「産地」と重なるが、もっと細分化したものだ。主に土壌(気候なども含む)を意味する言葉の「テロワール」も関連して来て、同じ地域の畑の中でもテロワールが異なる事でランクが違って来たりする。これは音楽ではミュージシャンの生活環境にあたるのではないだろうか。普段どんな生活をしているかは、創作活動では非常に重要で、生活の中での文化度が低ければ必ずそれは音に顕れる。普段から自然や芸術に触れて、イメージを膨らませなければ、音楽も萎んでしまう。要は猛練習やライブ活動だけでは全く不十分だと言う事だ。『神の雫』の中でも、ワインの表現の中に自然や芸術作品または音楽などがふんだんに盛り込まれている。
「アッサンブラージュ」は原酒を混ぜ合わせるという意味だが、これはミュージシャンがこれまで培って来た技術や音楽性に新しい要素を取り入れるのに近い。芸歴が長いと様々な局面に出くわす。ジャズと言えどもそれぞれの時代に新しいムーブメントが起こり、全く違う演奏内容にチャレンジしなければ仕事にありつけない。生きる為のアッサンブラージュが必要な時も有る。それが己の芸術性の邪魔になる事も有るのだが、僕はこれも一つの経験値だと思って否定はしない。ピュアな原酒を好む人も居るだろうけど、アッサンブラージュによってより深みの有る味わいに発展する可能性が高いのと同じだ。
そして有名な言葉「マリアージュ」。「結婚」を意味するこの言葉は、料理との相性を表しているのはご存知の通り。僕は「曲調と音色の相性」と考えたい。僕は長年、雑味の少ないピュアな音色に憧れを持っていた。クラシック・サックスの音色はジャズとは程遠いけど、割と好きでその美しさに憧れも抱いていた。勿論、僕自身もコルトレーンなどの影響を強く受けて来たわけだから、雑味が全く無いわけではないのだが、それでも極力少な目にセッティングして来た。でも、とてもオーソドックスな曲、例えば「Take the A Train」などでは雰囲気が中々出なかったりする。そうするとアドリブのアイデアも同時に枯渇する。そこは、やはりジャズらしい雑味の多い音色にする必要が有る。そうする事で初めて「マリアージュ」が完遂するのだ。これは、長年「自分のやり方」を貫こうとした結果、挫折して結論に至った、一つの大きな収穫でもある。
『神の雫』の中では、「古木」に拘るシーンが多い。樹齢100年とか、そういう古木から採れた葡萄には味に深みが有るらしく、イマジネーションも膨らむ様だ。ただ、必ずしもそうとも限らず、若い木でも美味しいワインは沢山有るらしい。これはミュージシャンにも言えてる事だ。僕が最近よく聴いてるレコードの中のミュージシャン達は殆どが20〜30代なわけで、そんな若い彼らが信じられない程、凄まじい演奏を繰り広げている。現代の若いミュージシャンにも同じ事が言える。しかし、そこには先程挙げた「ヴィンテージ」という時代性も大きく関わって来る。若々しい「勢い」も存在する。聴いてて清々しい気持ちになる。
若い頃は年寄りの演奏にあまり興味が無かったのだけど、自分が歳を重ねる毎に、徐々にその魅力を理解する様になって来た。ワインで言う所の「古木の深み」が分かって来たのだと思う。多くのジャズ・ミュージシャンはドラッグなどのせいで短命だ。しかし、長生きしたミュージシャンの若い頃と年老いてからの演奏を比較するのはとても勉強になる。様々な局面やムーブメントを通過して来た経験による音の変化を味わえるからだ。同時に「果たして自分にこの深みは有るのだろうか?」と不安にもなるが…(笑)
「古木の深み」は良いのだが、若い頃の人気のオツリで演奏を続けている様な老ミュージシャンにはジャンル関係なく興味は無い。やはり常に進化を求めて変化を恐れない姿勢が無ければ音楽は死んでいる。ワインにも「飲み頃」というものが有って、古ければ良いというものではない。劣化を表す「ブショネ」という言葉が有り、カビの匂いなどがするらしい。進化を拒んだミュージシャンには同様に「ブショネ」が訪れるだろう。だから、進化を続けるミュージシャンは昔の自分のヒット曲を演奏するのを嫌がるのだ。ジョー・ザビヌルが「バードランド」を、スタン・ゲッツが「イパネマの娘」を再演するのを嫌がる様に。
僕は、「ボジョレー・ヌーヴォ」を美味いと思った事があまり無い。それほどワイン通ではないのだが、やはり「浅い」と感じてしまう。国内外に才能溢れる素晴らしい若手ミュージシャンは多いし大いに驚いたり感動もする。しかし、上手い若手の演奏をYouTubeなどで聴いて毎回感動するわけでは無い。やはりボジョレー的な浅さを感じる事も多い。でも、今後熟成されて深みを増す事も大いに期待出来るのは確かだ。しかし、音楽業界やリスナー達の多くが若手にしか興味を示さず、中堅やベテランを蔑ろにしてるのは、かつての「ボジョレー・ヌーヴォ・ブーム」を見てる様で誠に残念だ。ま、業界の活性化という点ではある程度仕方ないとは思うのだが。
リスナーには、情報に惑わされず、自らテイスティングをする事で感性を磨き、磨いた感性を信じて自分の好みの音楽を聴いて欲しいと思う。僕自身はそうしている。今ならYouTubeやサブスクでいくらでも情報は溢れているのだから。聴いて気に入れば、アルバムを買ったりライブに行く…そういう事だ。
演奏家としての自分?もう、それは正直、今生で認められるのは諦めてるし(笑)、数は少ないけれど追い掛けて下さるお客さん達は上記の様な感性を磨いた方々ばかりなので十分満足している。また、自分は音楽家としてはまだまだだと思っているので、勉強有るのみ。かつては世間に認めて貰えない事で不満を抱えたり、鬱っぽくなった事も有ったけど、「今生は修行人生で、来世に期待」とか、「演奏はある程度ビジネスを度外視して、徹底してシビアな趣味にする」と決めたら、気持ちが楽になったし、以前よりも演奏が好きになった。本来、音楽ってこうやって愉しむものだ…と教えてくれたのは、心から楽しそうに演奏している友人の社会人ミュージシャン達だ。と同時に、リスナーに感性を磨く事を期待するのであれば、自分には演奏家として音楽的な深みを磨き上げなければならないと思っている。
『神の雫』以外にも漫画を沢山読んでいる。活字を読むだけとは違い、右脳と左脳を繋ぐシナプスを活性化させるのに良いというのを聞いて、「テルマエロマエ」全巻購入したのがキッカケだったが、いやぁ、かつては漫画読むと頭が悪くなると思ってたけど、題材がかなり専門的だったり、取材も詳細に亘り綿密で抜かりなく、展開も奇想天外でどれも面白い!日本の漫画やアニメが世界中を席捲したのはよく分かる。物凄い自由な発想でクリエイティビティに富んでいるのだから。『神の雫』は韓国でブームを巻き起こし、ワインの本場フランスでも大絶賛された漫画だ。17年も前のものなので情報は古いかも知れないが、今読んでも鮮烈だ。
『神の雫』の主人公達の様に、フランスなど現地に飛んで、その土地のワインを呑んでイマジネーションを膨らますのって、自分も10年程前くらいにちょこちょこ海外旅行をして現地の音楽や文化に触れたりしてやって来た事だ。興味が有れば、このブログの旅行記を読んで頂きたい。今はコロナ禍で仕事が少なく、お金もセーブしなきゃなので出来ないのだが、またいずれやりたいと思う。感受性を失えば、僕にも「ブショネ」は必ず訪れる。まぁ、ワインを趣味にするのは予算の関係で今後も難しいだろうけど(笑)
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