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インド旅行2010/8日目・ファテープル・スィクリー

2010年04月29日 00時40分51秒 | インド旅行2010
「ナヴラトリ」というヒンドゥー教のお祭のために移動する人々。インドには祭がたくさん有るらしい。大小合わせて4~500くらい有るっていうんだから、年中お祭してるって事になる。(笑) 僕が入国する直前にも「ホーリー」という大きなお祭が終わったところである。ホーリーの日は無礼講で、色水をぶっかけられるらしい。

今日は、ドライバーのウメッシュさんの運転で、ウッタル・プラデッシュ州のアグラから、西のラジャスターン地方に向うわけだが、途中で世界遺産のファテープル・スィクリーに立ち寄る。昨日のガイド、サンジームさんがここまで来るのを嫌がったので(笑)、仕方なく現地の若いガイドさんを雇う。名前を聞くのを忘れたけど、安い割には英語も分かりやすく、結構上手いガイドだった。

駐車場でウメッシュさんと別れて、ガイドさんと一緒にトゥクトゥクに乗ってファテープル・スィクリーの入り口まで行く。朝はインドと言えども非常に冷え込む。入り口を入ると一般謁見のスペースが有る。中庭には、罪人を象に踏み殺させたという処刑場も有る。


貴賓謁見の間の中に有る柱。この上が回廊になっており、柱の上から王が客を出迎える。


パンチ・マハル(五層閣)。「五層」には指の五本という意味が有るという。建物の前の中庭の地面には大きなチェス盤が有り、王様がハーレムの女性をそこに立たせて、チェスを楽しんだという。


楽団が演奏するステージだとか。

ここファテープル・スィクリーは、ムガル帝国三代皇帝アクバルがアグラから1571年に遷都した都。しかし、水不足のため14年しかもたずに再び遷都する事となった。イスラム教徒には4人まで妻を娶る事を許されているが、ここを作ったアクバルも、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒、キリスト教徒の妃を娶り、このステージの近くにそれぞれの館を作って住まわせた。様々な宗教に理解を示し、上手く融合する政策を執ろうとしていたようだ。


宮廷地区を離れ、少し離れたモスク地区に向う。ここもそうだが、インドの遺跡の敷地面積はどれもハンパじゃない。


立派なブランド門がモスクにそびえ立つ。


金曜モスク。現在も敬虔なイスラム教徒が集う。


イスラム・カーン廟。


アクバル帝に王子が授かると予言した、地元の聖者サリーム・チシュティーの廟。息子がずっと欲しかったというアクバルさん、相当、子供が生まれたのが嬉しかったらしい。嬉しくってここに遷都したって話もある。


トゥクトゥクに乗ってブランド門の正面を見る。人間のサイズからその大きさを想像して下さい。ここを最後にファテープルともお別れ。


再びツアー車に乗り込み、ジャイプールに向う。田園風景が広がる。


インドのデコトラ。日本のトラック野郎が観音様のペイントしてる様なもんかな。(笑) ちなみに、ルームミラーにぶら下がってるのは初代サイババの肖像。ウメッシュさんの宗教みたい。今の変な粉出すアフロヘアーのサイババさんも信じてるのかなぁ。


途中、サルの神様「ハヌマ-ン」の巨大像が有った。「ピンク・シティー」と呼ばれるジャイプールも近い。

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