エンスーMの「クルマとともに」

私が愛したクルマたちのことを忘れないために…

初めに-3

2022-03-20 08:16:00 | 日記
初めに、なんちゃって、もう-3になったら初めも何もあったもんじゃありませんね。
でも、中途半端はイヤだし続けますよ。

そうです、プラモデル作りに熱中したのですが、興味の対象がWWⅡのミリタリーものになりました(超たくさん作ったので割愛)。
小学校の6年間でトヨタ2000GT以外に作ったクルマのプラモは、マツダコスモスポーツ、ポルシェ908、ミニカ70GSS、ホンダ1300 99S、ホンダNⅢ360ツーリングS、セリカ1600GTくらいしか思い出せません。

でも、後に気付いたのは、熱中したプラモ(の実物)には全てエンジン=発動機があるという共通点。
要はエンジンが好きだったんですな。今でもDB601は本当にすごいと思ってますし。

ただ、クルマ離れしていた中でも、ホンダ車は別格でした。
それは、父がキャロルから当然のごとくホンダN360に乗り替えていたせいもありますが、ホンダ1300が世に出た時の衝撃が忘れられなかったから。

確か、三菱コルトギャランと相前後してデビューしたはずで、ギャランのAⅠが87馬力で1300だから例の計算(←「初めに-2」をご覧ください)では174と130。こりゃ高性能だぞと思ったら、ホンダ1300はシングルキャブの7でも200と130、4キャブの9に至っては230と130って、これはいったい何なんだ、と。

何はともあれ、小さな排気量から高出力というのが好きで好きでどうしようもなかったんでしょうね。

それではスポーツカーも大好きだったかというと、初代のZが出る前のフェアレディは不恰好であまり好きじゃなかったし、ベレットGTは前が上がり気味で後ろが低くて、タイヤがボディーの中にめり込んでいてイマイチ。
そもそもスポーツカーなんて一般家庭では夢のまた夢だったから、とにかくエンジンに注目していたんだと思います。

クルマよりもミリタリーものへと興味が向いたとは言っても、毎年、父の友人から送られてくる東京モーターショーのガイドブックとカタログが楽しみでした。
ただ、隅から隅まで暗記するほど読みふけって他のことをしなくなるので、父は私の目からガイドブックやカタログを引き離しにかかります。
官舎の裏で、ガイドブックやカタログ類が灯油缶の中で無惨に焼かれ、灰になっていくのを目にした時の気持ち…今思い出しても辛くて。
昔の父親は、家庭では絶対君主でした。父に逆らうことは決して許されなかったのです。

そして小学校最後の年、私にとって違う意味で『衝撃的』なクルマがホンダから発売されます。それは初代シビック、SB1でした。
私は早速、例の計算をしますが、えっ!たったの60馬力?1,200ccで?それじゃ120と120にしかならない?510になる前のブルーバードくらいの馬力?
スタンダードでわずか600kgちょうどという超軽量な車両重量に考えも及ばず、ホンダがホンダでなくなったと激しく落胆したものでした。

いゃ〜、初めに、はパート4どころかどこまでも行っちゃいますな。申し訳ありません。