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12月24日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
時を尊ぶ心
以前、ある床屋さんに行ったとき、サービスだということで、いつもなら一時間で終わるサンパツを、その日は一時間十分かけてやってくれた。つまり、床屋さんはサービスだということで十分間も多く手間をかけてくれたというわけである。そこで私は、サンパツが仕上がってから冗談まじりにこう言った。
「君がサービスしようという気持は非常に結構だと思う。しかし、念入りにやるから十分間余分にかかるということであっては、忙しい人にとって困るようなことになりはしないか。もし君が、念入りに、しかも時間も五十分でやるというのであれば、これはほんとうに立派なサービスだと思うのだが……」
【コラム】筆洗
2013年12月23日東京新聞TOKYOWeb
▼人気馬が居並ぶレース、しかも引退レースで八馬身差の圧勝である。あんな勝ち方を見せられてはオルフェーヴルの話を書かざるを得ないだろう。「オレのことを書けよ」とあの馬が言った気がする
▼なぜあの馬に魅せられるのか。日本にとって本当に辛(つら)かった東日本大震災の二〇一一年に四冠馬になった。嫌な気分を快走で晴らした人もいるだろう。それもあるのだが、最大の魅力はあの馬の持つ「人間くささ」か。「物語」を空想させる、馬だったのである
▼馬に「人間くささ」とは変だが、入れ込みやすく落ち着かない性格。そんな「弱点」がどこか実力はあるのに人生とうまく付き合えない不器用な人を思わせた
▼忘れられないのは、勝ったレースではない。一二年の阪神大賞典。三コーナーで突然大失速したのだ。故障に違いないと思ったが、そこから考えられないような巻き返しを見せ、二着に入った。あんな競馬は見たことがない
▼悲しみも知る。凱旋門(がいせんもん)賞では二年連続で二位。世界一にはどうしても届かなかった。今年の凱旋門賞。直線でオルフェはトレヴを必死に追うが、どんなに追っても差は縮まらない。絶望的な差。あの強気な馬が、レース直後に「すまない」と寂しそうな顔をしていたのを思い出す
▼悲しさを知って大人になったか。その集大成が昨日の有馬記念だろう。さらば。忘れることはない。
【社説】東京新聞TOKYOWeb
天皇誕生日 深まる国民とともに
2013年12月23日
天皇陛下は傘寿、八十歳の誕生日を迎えられた。長い道のりを顧みてのお言葉から浮かび上がるのは、戦争への悲痛な思いと平和への願い、そして年々に深められる国民とともに歩む姿だ。
誕生日恒例の宮内記者会との会見。この八十年を振り返って、陛下が最も印象に残っていることとして挙げたのは先の大戦。小学校入学時は既に日華事変、最終学年で太平洋戦争の終戦。陛下は戦争での犠牲者が三百十万人だったとの数字を挙げ「さまざまな夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと本当に痛ましい限り」と述べた。
陛下にとって先の戦争での国民の犠牲は昭和天皇から引き継がなければならなかった負の遺産。終戦記念日、広島と長崎の原爆忌、東京大空襲、沖縄慰霊の日。皇后さまとともに続ける戦没者への慰霊の旅からは、負の遺産の償いきれぬほどの重さが伝わってくる。
それゆえの平和。「平和と民主主義を守るべき大切なものとして、日本国憲法をつくり」「わが国の人々が払った努力に深い感謝」「知日派の米国人の協力も」。お言葉の端々に平和への強い願いと深い思いがこもっている。
「天皇という立場にあることは孤独とも思えるもの」と陛下。その孤独の一端が、国民の圧倒的多数が戦後世代となり、戦争の悲惨も平和の尊さも知らなくなってしまっていることにあるとしたら、戦争に至った昭和の歴史や日本国憲法の制定過程はあらためて学び直さねばならないだろう。国として国民として忘れてはならないからだ。
象徴天皇としての在り方を探ってきた陛下は、国民とともにあることを一段と深めているようにみえる。ことしも東日本大震災の被災者を見舞い、十月、初めて訪れた熊本県水俣市では水俣病患者と懇談、差別を恐れて病気を隠してきた患者に「真実に生きられる社会をみんなで」と異例の言葉をかけた。そして、自らの葬儀は、国民の生活に影響しないよう、陵の規模は小さく、土葬から火葬に-とも。それは理想とされる古来の天皇、無私の存在に通じるといわれる。
年三百を超える公務、宮中行事。天皇、皇后両陛下が八十歳代となる再来年からこどもの日と敬老の日の施設訪問は若い世代に譲るという。皇室の未来のためにも公務は引き継がれ、宮家存続も考えられなければならないだろう。
☆ 今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように ☆
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