☆ 今日は6月12日(金)日記の日 ☆
☆1942(昭和17)年のこの日、ユダヤ人の少女アンネ・フランクによって「アンネの日記」が書き始められた。
アンネの家族は、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害を逃れて、アムステルダムの隠れ家に身を隠した。日記は隠れ家に入る少し前の、この日の13歳の誕生日に父から贈られたものだった。
1944(昭和19)年8月1日、アンネらは隠れ家から連れ出されて、ポーランドのアウシュビッツに送られたため、日記はこの日で終わっている。アンネの死は1945(昭和20)年3月31日。ドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所で、病死とされている。 ☆
☆ お早うございます。今日もお立ち寄り有難う御座います。
☆ 6月12日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
公明正大
後漢の時代に、高潔をうたわれた楊震という政治家がいた。この人がある地方の太守として赴任していったところ、たまたま以前に引き立ててやった王密という人が夜分に訪ねてきて、大枚の黄金を楊震に贈ろうとした。楊震が受けとるのを断わると、王密は「こんな夜中で、この部屋には私たち二人しかいないのですから、誰にもわかりませんよ」と言った。そのときに楊震は「誰も知らないと言うが、君と私自身が知っているではないか」こう言ったという。
他人が知っているということよりも、まずみずからの心に問うて、やましいところがないか、公明正大であるかということが大切だと思うのである。
☆【コラム】筆洗
2015年6月11日 東京新聞TOKYOWeb
▼もし、亡くなった人と会えたとしたら、どんなことを話すのだろうか。妙な書き出しで戸惑わせたか。浅田次郎さんの「角筈(つのはず)にて」にこんな場面が出てくる
▼「おとうさん…長嶋はやっぱりジャイアンツに入ったよ」「へえ、そうか」。男が父親の「亡霊」と会う。何を話せば良いのだろうと迷った末、野球の話をする
▼野球ファンにはなんとなく分かる。その話さえすれば、死んだ父親とさえ距離が縮まる気がする。亡くなった人に、見られなかった、ひいき球団の行く末を伝えたいとも思うものだ
▼ドラゴンズが通算五千勝を達成した。七十九年かかった。当然ながら、この世にいないファンがたくさんいる。「五千勝ですよ」と伝えれば、なんと言うか。ライバル球団に先を越されたことを悔しがるか。長い球団の歴史は、あの世とこの世をつなぐ「魔法」を醸し出すようである
▼「この球場、このゲーム。ここはわれわれの過去の一部なんだ。かつて、あった良いことのすべてを思い出させ、それをもう一度もたらすことのできる場所なんだ」。米野球映画の「フィールド・オブ・ドリームス」から引いた。五千勝にかつての「良かった」ことを思い、チームを愛した今は亡き、家族や友を身近に感じる
▼身びいきな話になったがお許しを。七十九年に一度である。一万勝はいつか。無論、平和が続くことが大前提である。
☆ 今朝は雨です。午後からは止むみたいです。
今日も暑くなるみたいです。水分を補給して、熱中症に気をつけましょう。
今朝も目覚ましていただき感謝です。
今日も皆さまにとって良い一日でありますように。☆
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