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名曲「軍艦マーチ」を白眼視する朝日新聞記事を糾す

2006年06月05日 | マスコミ

 西部版社会面(6月4日朝刊35面)の記事について、見出し通り「海軍のマーチも課題曲」としたことが問題なのか、軍艦マーチをかけて市の広報車を走らせたのが悪いのか。またはそのどちらも悪いというのか。まったく奇妙な記事だった。見出しと内容との関係の分からなさは別に措いても、この記事には問題があると言わざるを得ない。
 さっそくその記事を引用しよう。

《海軍のマーチも課題曲 地元作曲家顕彰 鹿児島でコンクール
 「軍艦マーチ」などで有名な作曲家で旧海軍軍楽隊楽長の瀬戸口藤吉(1868~1941)を顕彰する「瀬戸口藤吉翁記念行進曲コンクール」が3日、出身地の鹿児島県垂水市で開かれた。県内の小中高校の吹奏楽部などの団体が参加した。今年で8回目。参加団体は課題曲として瀬戸口作品から1曲選び、他の行進曲を自由曲として演奏した。主催は水迫順一市長を長にする実行委。市は数日前から「軍艦マーチ」の一部分をかけた車を走らせ広報した。川井田稔・市教育長は「曲が国策に利用されたが作品自体は世界的にも評価を受けている。音楽的な部分から考えてほしい」。県吹奏楽連盟の菊地洋一理事長も「音楽的に優れた瀬戸口氏の曲の演奏は、子どもにとっても勉強になる」という。
 芸術性PRか違和感残る 奥平康弘・東大名誉教授(憲法)の話
 
愛国心」問題になっているこの時期に、何か意図があるのではと違和感を感じる。曲の芸術性を伝えたくてやっているのだろうが、自治体が戦争色のある行進曲を演奏する客観的・政治的な効果を考えると、何らかの配慮が必要だ。違和感を感じたり嫌な思いをしたりする人が沈黙してしまう。

 故郷の偉人をしのび、地域の生徒たちにその人ゆかりの文化を継承させようとすることは別に非難されることではなかろう。記事によればそれも毎年地域ぐるみで執り行われてすでに8回という。この恒例行事を今なぜ「愛国心」と結びつけ、しかも牢固として権威ぶった憲法学者のコメントを引いてきてまで非難しなければならないのか。市長が実行委員長で教育委員会もからんだ催しに「すわ!軍艦マーチだ」ということで、誰かが垂れ込んできたのだろうか。それにしても記者の視野が偏っており、処理の方法も相当に仰々しいと言わざるを得ない。垂水市民ならずとも「おかしい」と思ってしまうのではないか。

 記事にもある通り瀬戸口藤吉は垂水市の出身で、彼の「軍艦マーチ」は行進曲としては代表作である。名曲として世界にその名を残していることは衆人の認めるところでもある。しかし、瀬戸口は行進曲だけではなく童謡や抒情歌も世に出していることを記者は知って書いたか。軍楽隊にはじめて管弦楽団を編成したのも彼である。垂水市民は「軍艦マーチ」とともに瀬戸口藤吉を誇っていい。批判めいて取材されたことに違和感を覚えたのであろう、教育長や吹奏楽連盟の理事長の弁明にはその辺の戸惑いがありありと浮かんで読み取れた。なんら弁明する必要もないことであろうに、なんとお気の毒なことだと思ったのが読後の率直な感想だ。

 奥平康弘氏の言う「戦争色のある行進曲」とは、今時シーラカンスみたいでこれも視野が狭いのには驚いた。行進曲はどの国でも誕生のきっかけは軍需である。それなのに海外作品の名作「軍隊行進曲(シューベルト)」や「士官候補生(スーザ)」「ラデツキー行進曲(ヨハン・シュトラウス)」は良くて「軍艦マーチ」だけがなぜ咎められなければならないかを氏に問いたい。記者の視点も同じだから奥平氏に代弁してもらったというのなら、その説明責任は朝日新聞にもある。

 「軍艦マーチ」は明治33年の作品である。戦前でさえも平時の場合はサーカス小屋で演奏されたので当時の子供たちは「サーカスの歌だ」と思っていたらしいとは本当の話だ。音楽はどんな時代にあっても水のように時代に合わせるものだ。戦後は「パチンコ屋の歌」になって久しい。「パチンコ屋の歌」になったために国民の汗の結晶が日本から流出、金正日の懐を肥やして、ついには対南世代工作資金となって韓国に還流し、今のノムヒョン政権をもたらしたことは否定できまい。このことを奥平氏や若い記者はどのように受け止めるのだろうか。

 墓を暴いて故人を切り刻むような狭量な記事に、次のように思う。奥平氏のコメントの最後、「違和感を感じたり嫌な思いをしたりすると人が沈黙してしまう」とは果たして誰がそのように仕向けるのであろうか。不当な差別感を醸成して「軍艦マーチ」について長い間沈黙させてきたのは誰だ。街宣右翼だけではあるまい。ましてや大新聞と結託したその言葉はすぐに自らに返って己に矛先向けて来ることに気づかないとは恐れ入る。

 戦争画を描いた廉で、終戦直後に日本を追われるようにフランスに渡った藤田嗣治と同じ轍を、朝日新聞は瀬戸口藤吉にも踏ませようとするのか。南日本新聞が出した「軍艦マーチ物語」にはすばらしい誕生秘話が挿入されている。なぜ事前に瀬戸口藤吉の実像をもっと調べるなりしなかったのか。そうしていれば地元市民の行事にもっとあたたかみと寛容性のある、ステレオタイプでないいい記事になっていたはずである。ただでさえ地元記事が貧弱だといわれるだけ朝日新聞だ。せっかくのいい素材を逆に料理してしまった。わたしが見聞してきた数々の問題記事の中で、朝日新聞の陥りやすい最も悪い記事、先入観に無理やり当てはめようとする典型的記事だったと言わざるを得ないので、あえてOBとして注意を申し上げる。朝日への信頼はこのようにして崩れていくのだ。  (伉)


4 コメント

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藤吉翁と朝日新聞の確執なんですが (言葉使い)
2006-06-13 21:56:43
初めまして。市井の吹奏楽史研究家です。

えと、朝日新聞は戦前から音楽之友社の前身である出版社、ヤマハの前身の楽器会社、そして陸軍&文部省と協力して今に続いている吹奏楽連盟を設立したのですが、

その楽器会社のライバル会社が出版社を立ち上げ、藤吉翁に顧問になって貰い(自動的に海軍が協力することになります)、

大日本吹奏楽報国会という団体を立ち上げました。

その後紆余曲折がありまして、朝日+友社+ヤマハ+連盟が生き残り、

ライバル会社の一派は歴史から退場してしまいました。

朝日にしてみたら藤吉翁は敵側の人間ですし、吹奏楽をやっている人達の間でも、藤吉翁の実像に興味を持つ人は、数限りなく少ないようですので、仕方がないことではないでしょうか。
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軍艦マーチ (大和猛)
2009-07-04 05:43:39
戦争を賛美した軍艦マーチなんか糞だ!
広島被爆者が、長崎被爆者が長年切実に核兵器廃絶を願ってきたことをあざ笑う日本会議は、日本の糞だ!
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普通人 (軍艦マーチは名曲である)
2009-10-25 19:19:59
「軍艦マーチ」は、明治の日本が生んだ行進曲の名曲だ。歌詞には祖国を守る軍人の誇りと気概が溢れており、曲調は勇壮でいつ聴いても人を元気にしてくれる。名曲といわれる他国の行進曲と比べても遜色のない、日本の代表的なマーチである。
この曲が今も愛されているのは、そこに「国を守る」ことへの矜持が横溢しているからであり、「分列行進曲」などと比べても明朗で、スカッとした爽快さが他の曲よりも優れているからだろう。「国を守る」気概というものは、それだけ普遍的な熱さを帯びた心情なのだ。
だれでも分かることだが、「軍艦マーチ」はこうした精神を高揚させるための曲であり、戦争賛美を謳ったものではない。「国を守る」ことがイコール「戦争賛美」だというのは、どこかの時代遅れの左翼の妄言にすぎない。
まして「軍艦マーチ」と、広島や長崎の被爆者を結び付けるなど、気は確かなのかと問いたい。核兵器廃絶をいうのなら、まず広島と長崎に原爆を投下した当事者であるアメリカに向けていうべきであり、また核を保有し今も軍拡を続ける周辺諸国に向けていうべきであろう。
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なぜ日本の行進曲だけがだめなの? (音楽を愛するものとして)
2010-01-25 21:10:23
最近の吹奏楽コンクールで演奏される課題曲のマーチは本来のマーチからかけ離れてしまい
持ち味が薄いといわれています。
それはさておき音楽を愛するものとしてなぜ
日本の行進曲を演奏する機会がほとんど無く
ましてや楽譜も出版されないのか疑問に思っています。この記事の中にもあるように外国のマーチの演奏については記事にはならないのに
日本の行進曲になるととたんに朝日新聞のような記事が出てくる。しかも朝日新聞は吹奏楽連盟のスポンサーでしょう。?

陸軍分列行進曲だって中には学徒動員の神宮外苑での壮行式を思い悲しい気持ちになる方も折られるだろう事は分かりますが、他国からまで文句を言われるほど酷い内容のものでしょうか。?特に歌詞を問題にされる方達がおられるようですが、確かめれば維新前後の日本国内での出来事を歌詞にしているのであって他国をやっつけろとか言うのじゃありません。
敵の大将たるものは古今無双の英雄でそれにしたごう強者というのは薩摩の西郷さんと薩摩藩士を讃える歌詞ですよね。

他国のは結構酷いですよ。フランス国歌は
血をもってあがなわせろとか言うような残酷な歌詞です。それらを無視して日本の行進曲だけとやかく言うのは大手新聞社としては
少しおかしいですよ考え方が。
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