野球応援

阪神タイガースを中心に野球の記録と記憶を徒然なるままに書きつづってみます。

大阪ガス 能見篤史

2012年09月09日 | 野球応援

阪神vs巨人!?社会人日本選手権で野間口に投げ勝つ

2004年 社会人日本選手権

野村監督率いる「シダックス」と準決勝で対戦。

このときのシダックスの投手は巨人に自由枠入団が内定の野間口。

能見も阪神に入団内定が決まっており、

この対戦を「阪神-巨人戦」と楽しんだそうです。

能見は被安打3、11奪三振と絶好調。

敵将のノムさんをぼやかせたそうです。

試合も3-2で勝利。

いやー男前ですね。

高校時代は、鳥取城北高校で、当時の平安高校川口知哉(元オリックス)と水戸商業の井川慶(元阪神、現オリックス)とともに、”高校生左腕三羽烏”と並び称されたそうです。

しかし、肩を痛め、大阪ガス入社後も故障続きでなかなか実力を発揮できず、一時は”幻の投手”とまで呼ばれていたそうです。


稲尾和久 永久欠番メモリアルゲーム

2012年09月05日 | 野球応援

2012年7月1日 @西武ドーム球場

 vs 北海道日本ハムファイターズ

 

パ・リーグには永久欠番がなかった。

過去に近鉄バッファローズの背番号「1」が唯一永久欠番であったが、球団がなくなったので、実質永久欠番はなかった。

今回、西鉄ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)に永久欠番「24」が誕生した。

稲尾和久。

現役時代は「神様、仏様、稲尾様」の流行語まで生まれた「鉄腕」であった。

 

1956年

 西鉄ライオンズに入団。21勝6敗、防御率1.06(パ・リーグ記録)、新人王

1957年

 シーズン20連勝(プロ野球記録)、史上最年少MVP

1958年

 日本シリーズで7試合中6試合に登板し、4勝全てをあげて日本一

 「神様、仏様、稲尾様」が流行語に

1959年

 史上唯一3年連続30勝達成

1961年

 史上最多タイのシーズン42勝を記録

1962年

 プロ入り7年目で200勝達成、まさに「鉄腕」

1969年

 通算276勝137敗、防御率1.96、現役引退、監督に就任

2012年

 西鉄ライオンズ現役、監督時代の背番号「24」が埼玉西武ライオンズの永久欠番に

 

野武士の一人、豊田さんの挨拶。一言だけだったが感動で涙が出た!

 

 

選手全員、ブルペンキャッチャーも背番号「24」をつけて試合に臨む

 

試合は、菊池雄星が先発し、中島が3試合連続弾となる同点2ランを放ち、敗色濃厚のチームを救い、延長10回3対3の引き分け

試合後はノムさんのビデオ挨拶があり、切磋琢磨した当時の想い出を語ってくれたのを、グランドに降りて視聴した。