外国で実感する、9条を守る重み !
~ 韓国平和ツアーに参加して ~
韓国平和ツアーに、行く前は、久しぶりの海外旅行とウキウキした気分で参加しました。が、結果は「九条」の重みをしっかりと認識させられた旅行でした。「独立記念館」「ナヌムの家」「西大門刑務所歴史館」など、日本の軍隊が韓国の人々に対して行った残虐の行為の数々、韓国人民の民族独立の運動と日本軍の弾圧、今回の平和ツアーで日本帝国主義が韓国で行ってきたことを、しっかりとこの目で見てきました。日本帝国主義によって命を奪われたアジアの人々は2000万人といわれ、日本国民も310万人の命がうばわれました。「憲法9条」は、こうした人々への“約束”であり、アジアの国々に向けての“約束”なのだとあらためて実感しました。そしてこれは絶対に守って行かなくてはならないのだと思わされた次第です。
日本が過去アジアの人々に何をしてきたか、日本の若者はほとんど事実を知らないし、知らされてきていません。それも、あの戦争を始めた責任者たちがアメリカの占領政策のもと、中途半端にされ、処罰もされず、戦後は、日本の政治を担ってきたからなのです。「ナヌムの家」で、「この戦争を起こした責任者を罰するまでは死ねない」と「天皇を罰する絵」を書いて亡くなった「オモニ」の画をみて、日本がアジアの人々にちゃんとした戦争責任をとらず、中途半端に終わらせようとしているのを実感しました。
一方、「ナヌムの家」で、日本の若者がボランティアやスタッフとして活動しています。私たちと同じ時に学生が7,8人「ナヌムの家」に来ていたことは「日本にもこうした若者もいるのだ」とうれしくなりました。若者たちもいやがおうでも、憲法9条の重みをしっかり受け止めることになるでしょう。
韓国の平和ツアーは「憲法九条の会・西区」の活動の重みを噛みしめることになった研修旅行でした。大変良かったです。企画していただいた佐野事務局長に感謝です。ありがとうございました。
【ナヌムの家】
【日本軍「慰安婦」歴史館】
ソウルから車で2時間あまり、かなり田舎に「ナヌムの家」はありました。 畑仕事がしたいという彼女たちの願いを聞いて「田舎」にわざわざ建てたそうです。驚いたのは日本の若者たちがボランティアで活動していたことです。「ナヌムの家で、1年間のインターン契約でスタッフとして活動している日本人の女性スタッフが私たちに説明してくれました。他にも現役の日本の女子学生が、1ヶ月間ここでボランティア活動をしてから日本に帰ると言ってました。見学には私たち以外にも早稲田や他の大学の学生が7,8人も来ていました。日本の若者もすてたものではない」と一人うれしくなった次第です。「オモニたちは日本人と話しするのを喜ぶので、是非、会って話して下さい」と言われ、「どうして?」との質問もできないまま、1時間ほどの見学を終え、二人のオモニたちとの話し合いが始まると、その意味が分かりました。日本政府を相手に謝罪と保障を求めて戦っている彼女たちにとって、日本から訪ねてくる日本人は自分たちのことを理解してくれる「仲間」と思ってくれるのでしょう。日本での生活のこと、いろいろ話してくれました。ここまでになるには、これまでに多くの人たちの取り組みがあったからでしょう。10年前に韓国に旅行した人の話ですが、「独立記念公園」で見学していたとき「何しにきた帰れ」と地元の老人たちに怒鳴られたそうです。
私たちが、次の予定があるので帰ろうとすると、「もう帰るのか」と別れを惜しむのです。「オモニ」たちはもっと話をしたがっていました。部屋を出て車まで見送りに出て来る「オモニ」に手を振りながら、「ナヌムの家」を後にしました。
【西大門刑務所歴史館】
一旦解体された施設ですが、この建物がなくなると「日本軍が行った歴史的な記録がなくなる」と保存運動がおこり、立て直されたそうです。この刑務所は最初から独立運動家を入れるために作られたそうです。当初は、韓国独立を唱える人々は、捕らえたその場所で見せしめに民衆の前で処刑していたそうです。その写真もありました。あまりにも残忍なことから国際的な批判をうけ、刑務所をつくり形式的な裁判だけで処刑していったそうです。絞首刑の罪は「独立万歳」と叫んだことです。韓国のジャンヌダルクと言われた少女は17歳で、捕らえられ拷問の末、虐殺されて遺体が帰されたそうです。彼女が通っていた学校の先生が外国人だったからだそうで、相でないほとんどの人は裏山に埋められたそうです。日本国内でも「天皇制を批判する思想」を持っていると疑われた小林多喜二が虐殺されましたが、韓国では独立運動家たちは有無をいわさず虐殺されました。このような話をこの目で見て聞いて知ったことは良かったと思います。
【独立記念館】
韓国に対して日本は豊臣秀吉時代から侵略してきた、そうした歴史が記録されていました。独立を勝ち取るため多くの国民が血を流したこと。民族の独立を勝ち取った歴史をしつかり伝えていました。伊藤博文を暗殺した「安重根」は日本ではテロリストですが、韓国では独立運動の英雄として独立記念館に銅像が建っていました。彼は熱心なクリスチャンで教養の高い人だったようですが、当初は人を殺したことでクリスチャンとしては認められなかったそうです。ローマ法王が彼の行為は殺人にはあたらないとしてクリスチャンとして認めたため、安重根の銅像がたったと説明していました。
韓国の真の独立は祖国の統一が実現する日、一刻もはやくその日が来るのを祈ります
~ 韓国平和ツアーに参加して ~
韓国平和ツアーに、行く前は、久しぶりの海外旅行とウキウキした気分で参加しました。が、結果は「九条」の重みをしっかりと認識させられた旅行でした。「独立記念館」「ナヌムの家」「西大門刑務所歴史館」など、日本の軍隊が韓国の人々に対して行った残虐の行為の数々、韓国人民の民族独立の運動と日本軍の弾圧、今回の平和ツアーで日本帝国主義が韓国で行ってきたことを、しっかりとこの目で見てきました。日本帝国主義によって命を奪われたアジアの人々は2000万人といわれ、日本国民も310万人の命がうばわれました。「憲法9条」は、こうした人々への“約束”であり、アジアの国々に向けての“約束”なのだとあらためて実感しました。そしてこれは絶対に守って行かなくてはならないのだと思わされた次第です。
日本が過去アジアの人々に何をしてきたか、日本の若者はほとんど事実を知らないし、知らされてきていません。それも、あの戦争を始めた責任者たちがアメリカの占領政策のもと、中途半端にされ、処罰もされず、戦後は、日本の政治を担ってきたからなのです。「ナヌムの家」で、「この戦争を起こした責任者を罰するまでは死ねない」と「天皇を罰する絵」を書いて亡くなった「オモニ」の画をみて、日本がアジアの人々にちゃんとした戦争責任をとらず、中途半端に終わらせようとしているのを実感しました。
一方、「ナヌムの家」で、日本の若者がボランティアやスタッフとして活動しています。私たちと同じ時に学生が7,8人「ナヌムの家」に来ていたことは「日本にもこうした若者もいるのだ」とうれしくなりました。若者たちもいやがおうでも、憲法9条の重みをしっかり受け止めることになるでしょう。
韓国の平和ツアーは「憲法九条の会・西区」の活動の重みを噛みしめることになった研修旅行でした。大変良かったです。企画していただいた佐野事務局長に感謝です。ありがとうございました。
【ナヌムの家】
【日本軍「慰安婦」歴史館】
ソウルから車で2時間あまり、かなり田舎に「ナヌムの家」はありました。 畑仕事がしたいという彼女たちの願いを聞いて「田舎」にわざわざ建てたそうです。驚いたのは日本の若者たちがボランティアで活動していたことです。「ナヌムの家で、1年間のインターン契約でスタッフとして活動している日本人の女性スタッフが私たちに説明してくれました。他にも現役の日本の女子学生が、1ヶ月間ここでボランティア活動をしてから日本に帰ると言ってました。見学には私たち以外にも早稲田や他の大学の学生が7,8人も来ていました。日本の若者もすてたものではない」と一人うれしくなった次第です。「オモニたちは日本人と話しするのを喜ぶので、是非、会って話して下さい」と言われ、「どうして?」との質問もできないまま、1時間ほどの見学を終え、二人のオモニたちとの話し合いが始まると、その意味が分かりました。日本政府を相手に謝罪と保障を求めて戦っている彼女たちにとって、日本から訪ねてくる日本人は自分たちのことを理解してくれる「仲間」と思ってくれるのでしょう。日本での生活のこと、いろいろ話してくれました。ここまでになるには、これまでに多くの人たちの取り組みがあったからでしょう。10年前に韓国に旅行した人の話ですが、「独立記念公園」で見学していたとき「何しにきた帰れ」と地元の老人たちに怒鳴られたそうです。
私たちが、次の予定があるので帰ろうとすると、「もう帰るのか」と別れを惜しむのです。「オモニ」たちはもっと話をしたがっていました。部屋を出て車まで見送りに出て来る「オモニ」に手を振りながら、「ナヌムの家」を後にしました。
【西大門刑務所歴史館】
一旦解体された施設ですが、この建物がなくなると「日本軍が行った歴史的な記録がなくなる」と保存運動がおこり、立て直されたそうです。この刑務所は最初から独立運動家を入れるために作られたそうです。当初は、韓国独立を唱える人々は、捕らえたその場所で見せしめに民衆の前で処刑していたそうです。その写真もありました。あまりにも残忍なことから国際的な批判をうけ、刑務所をつくり形式的な裁判だけで処刑していったそうです。絞首刑の罪は「独立万歳」と叫んだことです。韓国のジャンヌダルクと言われた少女は17歳で、捕らえられ拷問の末、虐殺されて遺体が帰されたそうです。彼女が通っていた学校の先生が外国人だったからだそうで、相でないほとんどの人は裏山に埋められたそうです。日本国内でも「天皇制を批判する思想」を持っていると疑われた小林多喜二が虐殺されましたが、韓国では独立運動家たちは有無をいわさず虐殺されました。このような話をこの目で見て聞いて知ったことは良かったと思います。
【独立記念館】
韓国に対して日本は豊臣秀吉時代から侵略してきた、そうした歴史が記録されていました。独立を勝ち取るため多くの国民が血を流したこと。民族の独立を勝ち取った歴史をしつかり伝えていました。伊藤博文を暗殺した「安重根」は日本ではテロリストですが、韓国では独立運動の英雄として独立記念館に銅像が建っていました。彼は熱心なクリスチャンで教養の高い人だったようですが、当初は人を殺したことでクリスチャンとしては認められなかったそうです。ローマ法王が彼の行為は殺人にはあたらないとしてクリスチャンとして認めたため、安重根の銅像がたったと説明していました。
韓国の真の独立は祖国の統一が実現する日、一刻もはやくその日が来るのを祈ります