憲法9条の会・西区(大阪府大阪市) 

「憲法9条の会・西区」の取り組みの内容をお知らせします。
 

戦争はいやや「西区・平和展」30回目をむかえる

2012-09-19 22:04:43 | 行事

 原発に頼らない社会へ  田中優さんが講演  成功!第30回西区平和展

「戦争はいやや西区平和展」が9月9日西区こども文化センターで開催され、270名の多くの方が猛暑のなか足を運んでいただきました。ありがとうございました。

私たちの住むこの西区が、大阪大空襲などで悲惨な戦争体験を経て、二度と「戦争はいやや」を原点に「戦争と平和」問題の発信を重ね、今年は原発問題も主題に、第30回の  記念すべき年として位置づけて取り組んだ「西区平和展」でした。

 

午前中はプレイベントとして若者が躍動し、港平和展の歴史も紹介されました。

オープニングはメッセージシンガーかわさきゆたかさんの「愛と平和のミニライブ」。

つづいて、記念講演は、環境、経済、平和などのNGO活動にかかわる市民活動家、田中優さんによる「原発に頼らない社会へ」と題して、石油の奪い合いが戦争を作っている。「総括原価方式」、この仕組みが不要な再処理工場を造らせ、電気の値段を高くしている。今年の夏、関電は大飯原発を動かす必要はなかった。国際比較でみると日本の家庭は省エネ生活。戦争の原因にもなっている石油社会から自然エネルギーへなどなど目から鱗が落ちるようなわかりやすい素晴らしいお話でした。

 

 続いて、憲法9条の会・西区から誕生した劇団「きゅう」による三題朗読。東日本大震災の被災地、そしてオスプレイ拒否で闘う沖縄とも連帯した熱演でした。

最後を飾ったのは全国でも数少ない男性合唱団、ご存じ「昴」による平和のうた。吉田雄三さんによる司会で「私の好きなこの街」から「フィンランディア」までの8曲、平均年齢70歳とは信じられない若々しい歌声での熱唱。万雷の拍手が長く続きました。

 会場の関係もあって枠を大きく広げて全力を挙げて取り組んだ今年の平和展。

 医療福祉生協西区支部(九条本田・ながほり)のメンバーも実行委員として頑張りました。

大阪きづがわ医療福祉生活協同組合のみなさんには、当初から協賛団体になっていただき、財政面でも、また参加者の面でも大きく励ましていただきました。熱くお礼を申し上げます。ありがとうございました。        泉田忠義 九条・本田支部支部長


大阪大空襲67周年慰霊のつどいのご案内

2012-02-27 08:48:38 | 行事

      

  西区の著名なお寺さんの境内を使わせていただいて、続けてきた大阪大空襲慰霊のつどいも今年で5年目を迎えました。今回は初めて教会で、はじめて夜の取り組みになります。
昼間だから来ていただけた遠方の方や高年齢の方もいらっしゃいます。平和散策がお楽しみだった方もいらっしゃいます。反面、土曜日わざわざより、お仕事帰りに足を向けてくださる方もいらっしゃるだろうか。不安と期待が入り混じっていますが、心にのこる取り組みにしようと準備を進めています。


韓国平和ツアー その7

2010-10-19 12:16:57 | 行事

韓国平和ツアーに参加して 

 
「憲法9条の会・西区」主催の韓国平和ツアー3日間の旅(8月29日~31日)に参加しました。韓国事情に詳しい事務局長の佐野彰義氏が中心になって計画されたツアーでしたが、私にとって中国や旧ソ連には旅行しましたが、韓国は隣国でありながら未だだったので、いい機会になりました。

 「事前に少しでもその国の歴史を把握して」との思いは案の定、今回も皆無のままでの出発でしたが、何と初日の8月29日は「韓国併合」からちょうど100年目の日でした。高校時代の授業で歴史の教師が熱っぽく話したのを思い出しました。

 『小早川加藤小西が世にあらば今宵の月をいかに見るらむ』第3代朝鮮統監として、韓国併合を強行し、初代朝鮮総督となった寺内正毅が「観光併合」の祝宴で月を眺めながら詠んだ歌です。朝鮮侵略の目的を果たせなかった豊臣秀吉の侵略戦争を頭に描きながら、派遣された3人の武将は「韓国併合」をどう見るだろうか、おそらくよくやったと思ってくれるだろうと。

 「韓国併合」は、秀吉の朝鮮侵略戦争の延長であり、「韓国を併合し之を帝国の版図の一部となすは・・・帝国百年の長計なり」明治政府が当初から意識的に追求してきた大目標でした。

 初日ソウル仁川空港着。東洋一長い仁川大橋。天安市の「独立記念館」。

 二日目は朝鮮王朝を代表する最高の宮殿といわれている「景福宮」。日清戦争のとき李朝宮廷は清国の間で中立を守ろうとしますが、日本は宮廷を軍隊で包囲して無理矢理日本側につかせます。その戦争のあと、国王高宗の妃 閔妃が日本の強圧的な従属化政策に反対する立場を取るので「邪魔者は消せ」と反日の中心である閔妃を殺害した宮殿もありました。

 光化門などいくつもの門があり、景福宮全体の広大さに驚きましたが、閔妃が暗殺された宮殿は奥の方にあり、他の派手な建物に比してガイドの説明がないと判らないくらい寂しい建物で、部屋の中から我々に何かを訴えているようでした。日本軍等のあまりにもむごい仕打ちの想像がそう感じさせるのでしょうか。

 北岳山を背景にした大統領府・青瓦台が、現在の韓国の勢いを象徴しているかのように、どっしりと落ち着いた建物に見えました。

 夜の漢江遊覧は、上流に架かっている長い橋まで遡るとその橋から七色の一斉放水がライトアップされ、缶ビールを飲みながらの納涼で暑さを忘れさせてくれました。また岸辺には高層のマンションが連なって天高くライトアップされ、韓国経済の勢いを見せつけられました。

 三日目最終日は「ナヌムの家」と西大門刑務所。「ナヌムの家」では、若々しいボランティア女子学生による、日本軍が犯した過ちを告発しながら歴史を正しく見つめる迫力ある説明に感銘しました。

 また、お二人のハルモニにお会いしてお話を聞きました。耐えがたい生活を余儀なくされた人生の苦痛の歩みは、お顔に刻まれて降りましたが、加害者の犯罪は許さない気概とともに時には笑顔を見せ楽天的なお話をしていただき、気分が少し和らぎました。

 最後に、日本は明治以来戦争を繰り返し、アジアと世界にそして国民に計り知れない悲惨を与えてきました。特に隣の国、韓国との関係の歴史がどのように進んできたのか、正確に理解することは、友好を深め戦争のない平和な未来を考えるとき、不可欠な要件だと思います。そういう意味で今回の旅行は、韓国と日本の歴史を理解する上で、第一歩となりました。ありがとうございました。


韓国平和ツアー その6

2010-10-16 09:01:16 | 行事

                 近くて遠い国「韓国」への旅           

 

 2010829日(日)~831日(火)23日、憲法9条の会・西区の5周年記念企画で「韓国平和ツアー」に参加して来ました。ここ何年か前から韓国ドラマの人気で韓流ブームが広がっています。日本からは韓国スターの追っかけやエステ、グルメなどで韓国への旅行者が増えていますし韓国からの旅行者も増えています。この事は歓迎すべきことだと思いますが、はたしてどのくらいの日本人が過去の日本が韓国にたいして何をして来たか知っているのでしょうか?

私たちは23日の短い期間でしたが、過去に日本(軍)が韓国に対してどのようなひどい残虐行為をして来たか、具体的な展示物や証拠品で知るところとなります。

特に印象に残ったのは「独立記念館」「西大門刑務所歴史館」、そして、「ナヌムの家、日本軍「慰安婦」歴史館」です。

独立記念館は、1910年から1945年まで、日本の植民地支配を受け、この35年間日本帝国主義はひどい弾圧と虐殺を行いましたが不屈の意志で独立運動を行い、1945815日に国権を回復するまでの戦いの経過が展示してありました。

西大門刑務所歴史館は、独立運動家たちが日本軍の残虐なありとあらゆる拷問をうけ死刑を執行された後共同墓地に捨てられました。歴史館には拷問の道具や拷問室などリアルなかたちで展示されています。言葉が出ないほどのエゲツナイものです。

「ナヌムの家」は、日本軍「慰安婦」被害女性が、共同生活をしている空間、それが「ナヌム(分かち合い)の家」です。ここを訪れた日、案内をしてくれた人はなんと若い日本女性でした。他にも何人か日本の若い女性がボランテアとして働いていていました。感動でした。まさか日本人がここで働いているなんて思ってもいませんでした。      

見学者の中に私たちの他に早稲田大学と神奈川大学の学生たちが居たことも驚きでした。若い人たちへの考え方が変わった気がしました。

「ナヌムの家」で生活している人は現在八名とのことでした。が高齢と体調不良でお会い出来たのは二名に方でした。一人のハルモニ(おばあさん)は日本の生野区にも居たことがあったとか日本語がとても上手でした。お会いしたお二人とも言葉にならない程のご苦労を経験して来ているのに、大変穏やかに私たちに接してくださいました。

ナヌムの家の敷地の地下に、日本軍「慰安婦」歴史館があります。1998年に教科書問題によって日本の歴史認識がアジア各国から問題視される中、韓国では「歴史の事実を伝えたい」として日本軍「慰安婦」被害を伝える資料館として造られました。「慰安所」での女性たちの被害などを公文書などから知ることが出来ます。「慰安所」の模型なども展示されています。戦争の愚かさを改めて思い知る事になりました。

憲法9条の大切さを一人でも多くの人たちに知らせる事こそ平和への近道だと思います。

韓国平和ツアーは大変有意義な旅でした

韓国平和ツアー その5

2010-10-06 20:23:30 | 行事
 私にとって、2006年11月に大阪労連女性部など共催の「ソウル平和ツアー」のうち一部の日程に合流参加のため、休暇がとりにくい韓国語ができない3人だけで出かけて以来4度目の韓国である。この時も(今回も)、多くの友人にはもちろん(笑)、「(韓流スターの)誰を見に行くの?と言われた。この時は、今回の日程のうち、歴史を知らずあくまで観光のつもりで行った「景福宮」と、「西大門刑務所」に3人で地下鉄に乗りチケットを買って出かけたものだ。(みごと!)ちなみに「西大門刑務所」には直前の9月に日本の政党の党首として初めて日本共産党の志位委員長が訪れていた。
さて、今回、日程決定の当初から「暑いだろうな」と思っていたのが、現地は比較的涼しかったのと、到着後すぐにガイドの車貞愛さんから「ずっと雨の日が続いている」と知らされたけど、雨にも私たちの行程はあまり邪魔されずにすんだこと、まず、よかった!!!
初日の8月29日、11時ソウル着、昼食はプデチゲ。食後天安へ直行、「独立記念館」へ、韓国の全国民からの募金活動で集め、5年もかけて建設されたということに、朝鮮民族の日本人とは比較にならない歴史を知り、歴史に学ぼうとする思いの強さが伝わる。400万平方メートルの広大な敷地内に並ぶ展示館を、車さんの詳しい説明に耳を傾けながら、日本人として重い気持ちもかかえて歩く。七館続く展示館、一つ一つがあまりに詳しくわかりやすい。(車さんの説明から察するところだが)後の世代に伝えたい強い民族の心がひしひし感じられた。
 ソウルからはかなり遠かったが高速を、6人以上乗った車の特権で、隣の渋滞路線を見ながらすいすいと怖いぐらいのスピードのおかげで無事こなせた天安行きだった。夕食は梨泰院(イテウォン)で夕食、骨付きカルビでしたが、追加注文でおなかいっぱいに・・・20分後にホテルに到着後、女性軍は、ホテル近辺を散策、清渓川(チョンゲチョン)の噴水や、町のライトアップを楽しむ。旅行中に車さんの説明で、結構好きだった「梨泰院」の語源が、豊臣秀吉等の出兵文禄・慶長の役のあとに多く生まれた混血児たちのための施設に由来し、当初「異胎院」と呼ばれていたというのは少しショックだった。
2日目、朝食はバイキング、オムレツが作りたてでおいしかった。2日ともいただくことに。9時集合、出発。目的地は景福宮(キョンボックン)歩いてもいける距離。まず前回遭遇し、一度ゆっくり見学したかった王宮守門将の交代式の見学がまさか今回叶うとはラッキーだった。最後は韓服を着た人と写真を取りまくる。キョンボックンの見学はガイドさんの詳しい説明つきで明成皇后=閔妃(ミンピ)の日本人による殺害現場やオンドルの煙突を生かした庭園、チャングムが散歩した公園、カササギのいる公園などたくさん歩いた。建設(1395年)後200年目の文禄の役での全焼、その後270年間の廃墟を経た後、明成皇后の殺害後再度王に嫌われた宮殿が、ほんとに長い歴史を経た後、今過去の栄華を物語っているのは不思議な気さえする。
そのあと、昼食は漢一食堂で冷麺とちぢみを賞味、ちぢみは前日よりおいしく、出されたものだけでおなかいっぱいに、お店の追加のお誘いには始めにきっぱり断ることと認識。夜も海鮮なべだけで終える。
 さて、午後はタプコル公園(別名パコダ公園)日本に植民地支配されていた、1919年の「三・一独立運動」の発祥の地となった場所で、公園中心部には独立宣言書が刻印された八角亭があり、周りには独立運動の過程などが描かれた12枚のレリーフ、3・1運動記念塔、3・1運動祈念壁画、義庵孫秉熙の銅像などがある。公園中、とくに八角亭をとりまくようにたくさんのお年寄り(ほとんどが男性)が、世間話や囲碁をして交流を深め合っている。日本人よりいい定年後の日日かもしれない。ゆっくりと見て回った後、すっかり疲れた様子で、夕食までホテルに戻り自由行動の提案もあったが、車さんの足のマッサージに同行組と明洞(ミョンドン)散策組に別れ行動することに。ロッテ免税店に寄ってから明洞のマッサージ店で解散、マッサージ組の泉田さん除く女性群で散策に、私はクォン・サンウのお店「テアーズ」の前で写真を写したり、Tシヤツをみたりしながらフェイスショップへ。店員の話のうまさに全員がなにか買ったのにはちょっと驚き。付き合ってもらってよかったのか悪かったのか・・・。その後南大門市場へ。まったく雰囲気が違うのがよくわかった。南大門は鶴橋のコリアタウンを広く大規模にした感じ主婦層が多い。明洞は心斎橋風で若者の多い繁華街。1日100万人が訪れるとも聞く。私はソウル行きの3回とも訪れている。
夕食後、ハンガンクルージング(韓江遊覧船)は、初めの計画にはなく、私は大喜び。たくさんの橋、高級マンションの多さとライトアップの見事さに驚く。おまけに時間的に、「もしや」と期待していた盤浦大橋の「虹の噴水」まできっちり観ることができて、花火とライトアップ大好きの私には、すごい成果。
最後の日、一度は訪れたかった「ナヌムの家」(わかちあいの家)と、併設されている「日本軍慰安婦歴史館」へ。まず目につくのはハルモニが描いた絵をモデルにし『手折られた花』(咲ききれなかった花)と名付けられた銅像。ボランティアの日本人学生はこの銅像の真下の地下に私たちを導いた。そこには慰安所が再現されていて、過去の苦しみを地下に沈め、現在の生活は空に向かって前向きに過ごせるようにという願いを込めて設置されたと説明される。また、歴史館入り口扉の元日本軍『慰安婦』の女性たちの苦しみを表わす絵と出口レリーフの一対になっている作品「だれがこの人たちに…」ハルモニたちに「もし生まれ変われるなら、どうしたいですか」と聞けば、「結婚して幸せな家庭をもちたい」と答える人が多いそうだ。出口ではそのささやかな夢をテーマとしている。現世で苦しんでも、あの世では幸せになって欲しいという思いがこめられているという。二つのモニュメントは未来を向いていた。日本政府の対応などを考えるともどかしさが募るばかりだが、日本の若者の貢献ぶりやお会いした二人のハルモニの明るさにも少しほっとした思いがした。午後は西大門独立公園にある「西大門刑務所博物館」へ。1908年に京城監獄として始まり、西大門監獄、西大門刑務所と名称を変え、戦後も刑務所や拘置所として、1987年まで使用、1992年、西大門独立公園が開設され、歴史館は1998年にオープンしたとのこと。日本支配下で独立運動家たちが多数収容され、命を奪われた場所、日本による過酷な支配とそれに対する抵抗、独立の意義を伝える博物館として位置づけられている。リニューアル工事中で、前回で印象的に残っている、各種拷問疑似体験の場が少なかったが、展示などはほぼ通常どおり見られるようになっていた。私は前回の記憶もあり中はさっと観た。前回、一番心に残っていたのは庭の一角にある死刑の家とその傍らにそびえる「慟哭のポプラ」それに続く屍躯門(シグムン)(日本政府による事実隠蔽のため一時封鎖されていたのを入口から40mが復元された)の話だった。今回その直前に死刑囚が味わう運命に、もっと深い痛みを感じた。それは、散歩中に突然、声をかけられ横道へ曲がることを求められる。死への分かれ道だ。前回一緒に行った二人に話すと、驚きと一緒に、前回の旅の意義を再確認し、思い出を語り合った。
 私たちのたっぷり3日間の「平和ツアー」は、ガイド車さんのおかげもあり、中身が濃く、観光部分もたっぷり、二度と経験できそうにない、ソウル行きになった。感想文を求められたが、旅日記風に綴ってみた。