憲法9条の会・西区(大阪府大阪市) 

「憲法9条の会・西区」の取り組みの内容をお知らせします。
 

韓国平和ツアー その4

2010-09-25 09:30:37 | 行事

            韓国平和ツアーに参加して 

日本政府によって韓国が日本に併合されてちょうど100年目の年、憲法9条の会・西区主催の平和ツアーに参加しました。 

1日目29日午後、天安市の「独立記念館」、七つの館で構成されており、韓国の歴史、日本の侵略の状況、そして、いかに国を守り、独立したか・・・・ 

2日目、朝鮮王朝の宮殿「景福宮」へ。8月15日光化門が復元されたばかり。王朝もの韓流ドラマを観ていたので、興味深く・・・広大な敷地、りっぱな建物・・・いかに絶対的で強い権力だったかを改めて思いました。 

午後、独立運動発祥の地、パゴダ公園(現タプコル公園)へ。お年寄りがたくさんいて囲碁を楽しまれていました。 

3日目、「日本軍慰安婦歴史館」「ナヌムの家」(わかちあいの家)。「ナヌムの家」には現在83歳から92歳の8人のハルモニが暮らしている。そのうち2人にお会いした。 

午後から「西大門刑務所博物館」日本語の案内書に「屈辱的な過去の歴史を克服するために、国を愛し民族を愛する志を学ぶ場」となるように、とありました。 私にとって近くて遠い国だった韓国。行く前から、日本軍がムチャクチャした後を見る「しんどいだろうな」と、しかし一度は行かなければと思って参加。改めて9条の大切さ、教育の大切さも再認識した旅でした。


韓国平和ツアー その3

2010-09-18 21:09:57 | 行事
      外国で実感する、9条を守る重み !
         ~ 韓国平和ツアーに参加して ~
韓国平和ツアーに、行く前は、久しぶりの海外旅行とウキウキした気分で参加しました。が、結果は「九条」の重みをしっかりと認識させられた旅行でした。「独立記念館」「ナヌムの家」「西大門刑務所歴史館」など、日本の軍隊が韓国の人々に対して行った残虐の行為の数々、韓国人民の民族独立の運動と日本軍の弾圧、今回の平和ツアーで日本帝国主義が韓国で行ってきたことを、しっかりとこの目で見てきました。日本帝国主義によって命を奪われたアジアの人々は2000万人といわれ、日本国民も310万人の命がうばわれました。「憲法9条」は、こうした人々への“約束”であり、アジアの国々に向けての“約束”なのだとあらためて実感しました。そしてこれは絶対に守って行かなくてはならないのだと思わされた次第です。
 日本が過去アジアの人々に何をしてきたか、日本の若者はほとんど事実を知らないし、知らされてきていません。それも、あの戦争を始めた責任者たちがアメリカの占領政策のもと、中途半端にされ、処罰もされず、戦後は、日本の政治を担ってきたからなのです。「ナヌムの家」で、「この戦争を起こした責任者を罰するまでは死ねない」と「天皇を罰する絵」を書いて亡くなった「オモニ」の画をみて、日本がアジアの人々にちゃんとした戦争責任をとらず、中途半端に終わらせようとしているのを実感しました。
 一方、「ナヌムの家」で、日本の若者がボランティアやスタッフとして活動しています。私たちと同じ時に学生が7,8人「ナヌムの家」に来ていたことは「日本にもこうした若者もいるのだ」とうれしくなりました。若者たちもいやがおうでも、憲法9条の重みをしっかり受け止めることになるでしょう。
 韓国の平和ツアーは「憲法九条の会・西区」の活動の重みを噛みしめることになった研修旅行でした。大変良かったです。企画していただいた佐野事務局長に感謝です。ありがとうございました。

【ナヌムの家】
【日本軍「慰安婦」歴史館】
 ソウルから車で2時間あまり、かなり田舎に「ナヌムの家」はありました。 畑仕事がしたいという彼女たちの願いを聞いて「田舎」にわざわざ建てたそうです。驚いたのは日本の若者たちがボランティアで活動していたことです。「ナヌムの家で、1年間のインターン契約でスタッフとして活動している日本人の女性スタッフが私たちに説明してくれました。他にも現役の日本の女子学生が、1ヶ月間ここでボランティア活動をしてから日本に帰ると言ってました。見学には私たち以外にも早稲田や他の大学の学生が7,8人も来ていました。日本の若者もすてたものではない」と一人うれしくなった次第です。「オモニたちは日本人と話しするのを喜ぶので、是非、会って話して下さい」と言われ、「どうして?」との質問もできないまま、1時間ほどの見学を終え、二人のオモニたちとの話し合いが始まると、その意味が分かりました。日本政府を相手に謝罪と保障を求めて戦っている彼女たちにとって、日本から訪ねてくる日本人は自分たちのことを理解してくれる「仲間」と思ってくれるのでしょう。日本での生活のこと、いろいろ話してくれました。ここまでになるには、これまでに多くの人たちの取り組みがあったからでしょう。10年前に韓国に旅行した人の話ですが、「独立記念公園」で見学していたとき「何しにきた帰れ」と地元の老人たちに怒鳴られたそうです。
私たちが、次の予定があるので帰ろうとすると、「もう帰るのか」と別れを惜しむのです。「オモニ」たちはもっと話をしたがっていました。部屋を出て車まで見送りに出て来る「オモニ」に手を振りながら、「ナヌムの家」を後にしました。
 
【西大門刑務所歴史館】
 一旦解体された施設ですが、この建物がなくなると「日本軍が行った歴史的な記録がなくなる」と保存運動がおこり、立て直されたそうです。この刑務所は最初から独立運動家を入れるために作られたそうです。当初は、韓国独立を唱える人々は、捕らえたその場所で見せしめに民衆の前で処刑していたそうです。その写真もありました。あまりにも残忍なことから国際的な批判をうけ、刑務所をつくり形式的な裁判だけで処刑していったそうです。絞首刑の罪は「独立万歳」と叫んだことです。韓国のジャンヌダルクと言われた少女は17歳で、捕らえられ拷問の末、虐殺されて遺体が帰されたそうです。彼女が通っていた学校の先生が外国人だったからだそうで、相でないほとんどの人は裏山に埋められたそうです。日本国内でも「天皇制を批判する思想」を持っていると疑われた小林多喜二が虐殺されましたが、韓国では独立運動家たちは有無をいわさず虐殺されました。このような話をこの目で見て聞いて知ったことは良かったと思います。

【独立記念館】
韓国に対して日本は豊臣秀吉時代から侵略してきた、そうした歴史が記録されていました。独立を勝ち取るため多くの国民が血を流したこと。民族の独立を勝ち取った歴史をしつかり伝えていました。伊藤博文を暗殺した「安重根」は日本ではテロリストですが、韓国では独立運動の英雄として独立記念館に銅像が建っていました。彼は熱心なクリスチャンで教養の高い人だったようですが、当初は人を殺したことでクリスチャンとしては認められなかったそうです。ローマ法王が彼の行為は殺人にはあたらないとしてクリスチャンとして認めたため、安重根の銅像がたったと説明していました。
韓国の真の独立は祖国の統一が実現する日、一刻もはやくその日が来るのを祈ります

第12回「平和を考える市民の集い」に協賛

2010-09-06 14:00:11 | 行事

 第12回「平和を考える市民のつどい

  ・とき  10月5日(火) 午後4時

  ・ところ 大正区泉尾「順教寺」 ・参加費500円

       大正区泉尾1-33-26(電話06-6551-8573)

   講演 「沖縄の基地問題を考える」-沖縄を平和の島に-

      講師 上地 武 氏(大正めぐみ教会牧師)

   沖縄の舞踊と音楽

      出演 「はいさい」伊佐 光、伊佐多惠、伊佐玲那さん

         フォークシンガー 野田淳子さん

   主催 大阪宗教者平和協議会


西区平和展やります

2010-09-06 10:46:56 | 行事

    第28回「西区平和展」

   10月3日(日) 11時~17時

        大阪市立 西区民センター

  おもな催し(予定)

   日韓併合から100年の韓国を訪れて

   かわさきゆたか「愛と平和のミニライブ

過去・現在を見つめ直し、未来の日本と世界の平和を考えて見ませんか・・・・

            是非お越し下さい。


韓国平和ツアー報告 その2

2010-09-06 07:55:45 | 行事
      頭もお腹も一杯になった韓国平和ツアー
8月29日、日本が「韓国併合」し朝鮮半島の植民地支配が始まって、丁度100年の節目の日にあたります。韓国では、この日を「国恥の日」と呼んでいます。この日に、少し緊張感を持って酷暑の大阪・関空を飛び立った「憲法0条の会・西区」韓国平和ツアーのメンバーは10人でした。
小雨降る仁川空港に到着。早速予定を変更して、天安の独立記念館に向けて、高速道路を疾走。高速道路は4車線で広く、よく整備されている印象を受けました。右側通行でした。
独立記念館はスケールが大きい。「同胞の家」は、サッカー場ほどの大きさで高さが45mとばかでかい瓦葺の家。展示館は、1号館から7号館まであり、韓国の歴史を見ることができます。蝋人形は動き、リアルに展示されています。5号館まで見学したところでタイムオーバーとなりました。
2日目は、朝鮮王朝を代表する最高の宮殿といわれている景福宮を見学。景福宮は、「万年も輝く大きな福を示す宮殿」という意味だそうです。
正門の光化門は、この8月15日に復元されたばかりのピカピカで天井の絵も真新しく素晴らしい。さっそく、全員集合でハイ・チーズ。
興礼門前で、古式豊かな、太鼓の合図で行われる守門将交代式を見ることもできました。景福宮は広く、一つ一つ見て回るのも大変。やっと、福武門を出ると正面には大統領府・青瓦台が護衛に守られてデ゛―ンとそびえ立っていました。
午後は、3・1独立運動の発祥の地として知られるタプコル公園に。老人の憩いの場でもあるのかあちこちに三々五々集まっています。園内には、日本軍の官憲に抵抗する民衆の姿が描かれたレリーフが12枚も展示されており、ひとつひとつがとても迫力がありました。
歩き疲れたのか、年のせいか休憩がほしくなりガイドさんのおすすめで「足裏マッサージ」でリフレッシュ。元気を取り戻した一行は南大門市場へ向かいました。丁度お店をセットするところでエネルギッシュに繰り広げられており、危ない危ないという場面にも遭遇。南大門は消失しており現在は復元中でした。
海鮮鍋でスタミナをつけて、漢江遊覧へ。橋からの一斉噴水はライトアップもされており、波も打ち、色も鮮やかで意気なお迎えでした。
3日目は、日本軍「慰安婦」歴史館「ナヌムの家」を見学。アジア・太平洋戦争のとき、日本軍は進出先に「慰安所」を作りました。朝鮮女性をはじめ多くの女性たちが騙されて「慰安婦」という性暴力被害を受けました。日本軍「慰安婦」被害を訴えてきたハルモニが「ナヌムの家」に住んでおり、歴史館もあります。ボランティアの女子大学生がガイドをしてくれました。説明は要領を得ており、迫力をもって語ってくれて感銘を受けました。日本軍「慰安婦」という名称もいろいろと討論の上にできたと聞きました。また、ハルモニとも面会することができ「慰安婦」問題を肌で感ずることができました。
午後は、西大門刑務所歴史館に向かいました。植民地時代に拷問、裁判、収監、死刑など日本の官憲が悪の限りを尽くしたところであり、あまり見たくない歴史館です。歴史展示館は、今修復中でした。丁度「巨大な監獄、植民地に生きる」特別展を開催中で、ボランティアガイドさんの日本語説明を受けました。西大門刑務所は日本の網走刑務所に似ているといわれています。死刑場の建物を案内されたとき、先日東京拘置所の死刑現場が公開されていましたが規模は小さいけれどもそっくりであったのには驚きました。こんな施設は、もう二度と機能してほしくないと思った刑務所でした。
プデチゲ、骨付きカルビ、冷麺、チチ“ミ、海鮮鍋、石焼きビビンバと韓国料理を満喫。見るからにからそうで赤い。ビールなしではとても食べられそうにない代物です。ビールの味はいま一つでしたが、マッコリはまずまずの味でした。
韓国料理はボリュームたっぷりでしたが、見学も韓国の歴史に詳しいガイドさんでボリュームたっぷりでした。お腹も頭も一杯になった韓国平和ツアーでした。