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ごろごろローリング

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2005-08-17 | まいにち
いやでも。いえない
いえない
ことばがみずに、飲み込まれるので、窒息しそうなわたしは、きちんといきをつむぐのにせいいっぱいになる、そのときあのひとはとてもとても不思議そうなかおして、どうしたの?
ねえわかる?
いやなんじゃないの、なにもかも、いつも、どこでだって、わたしにはやさしい。
せかいから拒まれているわけじゃない。
あらかじめそこに存在する問題につまづいたことなんて一度だってなくて、わたしがじぶんで置いた石のうえを、一周してころぶ。ころんだあとでしっかりとその石を拾い上げるんだけどね わたしのどこもかしこもあなだらけだからさまた落としてしまう。意味ないとおもわない。意味ないことってない。
ただどうしても、またおなじみちをあるいてしまうんだよ。石を、ぜんぶ、あつめたいんだとおもう。
それでもね、ちょっとずつちょっとずつずれた道が、一年前よりかはどこかへ進んでいればいいっておもう。信じないときがおかしくなりそうだから。
前とか、うしろとかじゃないんだと思う。
「さき」があるだけ。「まえ」には戻れない。にげることも、できない、じっさいには。
わたしはただね、時間をもどれないってわかった。頭の中でいがいは。かなしかった。

じぶんがやっぱりよわくて、よわいってわるいとイコールじゃないのに厭がる自分それが、やだ。
いきをするだけでいいよ。
でも泣けるばしょなんてたくさんはない。いきてるということ。保健室がたくさんあったらわたしのからだはきっとおきあがることをやめてしまう。

あいたいひと。
やさしいひと。
でもだけど、みんな、やっぱりいつでもやさしい。
わたしはもうきずつけることさえしない。
つかれたよ。
一年後のじぶんが、三ヶ月後のじぶんがいまをみてばかだなぁってあきれてもはずかしいとおもわない。「さき」へすすめた自分が今をかわいらしく思えるようないきかたをするの。それいがいの「さき」は考えられない。
考えられるいきかたしかできないじぶんでいいのかとはおもうのだけど。
あー 

だめかも


みんなきっとね
きずがなければわかってくれない
かんがえながらする痛みはものすごいものかもしれない
最終手段によっかかってそれでも にげたさきをいきるのは、きっともっともっとつらいよ