田口萌【紀田克美1987】のブログ『大安吉日。』

3月26日劇団球ジャージ番外公演2023弥生/CM大江戸温泉物語O.A中

つか先生が・・・

2010-07-13 12:29:25 | Weblog
天国に逝ってしまいました
井上ひさし先生が逝かれたばかり 
というのに 
つか先生まで・・・



ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
私は何をどうしてもらったということは
ありませんが 北区を受験し俳優部としては不合格
同時に受験した作家コースに合格しました。
役者として 大好きなつか作品に 受験の板の上でも
いいから とにかく立ちたかった 立ってみたかった
そして 神林美智子の台詞を明かりを浴びて 必死に叫びました
審査員の先生からは大NGが出され そんな風に演じないで
オーディション要綱に合った形で 台詞を言ってくださいと
指示が出ました が 私の順番は 私が生きて終わっていたので
ただただ すっきりと思い切り心が満たされていたのを
今でも覚えています
そりゃあ不合格ですよ 当たり前です
年齢もアウト ダンスもアウト 台詞も勝手な言い回し でも
つかさんの舞台に立っている自分 というチャンスを絶対に
逃せないと思いました たった数行の台詞でしたが幸せでした
そして 作家で合格しました
講義が始まりました 当時の稽古場へ呼ばれて 稽古見学ができました
「新・飛龍伝~私のザンパノ」の稽古でした
もともとつかさんの舞台に出演されていた役者の方々を
自分の仕事場で知っていたこともあり 稽古見学に行くと
案の定「お前なにやってんだ 作家? 役者やめたの?」と気づかれて
しまい 当時 作家塾の先輩に あんたなんなの? と鋭い視線に
捉えられたこともあります つまり 内緒で受験し 内緒で北区つかこうへい劇団
井上ひさし戯曲作法塾第3期生になっていたんです
翌年 前年自分が受験した受験会場に 審査員として
客席に座っていた自分 不思議でした
去年はあのステージでゼッケンをつけて踊って叫んでいたのに

数年間 北区の作家コースで書きました
でも一度も北区に作品を出して演出することはありませんでした
その後退塾しましたが 今自分は芝居を書いて芝居を作っています
同期も観に来てくれました
でも私はつかさんが好きなんだというような芝居は書きません
書きたいけど書きません 書きませんし書けません
つかさんの舞台にあこがれてもその芝居、舞台を観て
自分の中にあって絶対になくならないものを持ち続けて
私は私のホンを書いていきます
あこがれて つかさんみたいなもの を書いていたのは
入塾して最初に書いたホンだけです
書いてみたかったんです つかさんみたいなホン
でもそんなことは到底無理です
あこがれだけでつかさんにはなれません
なりたくてもなれません

だけど思います
今 芝居の稽古場 舞台の現場で
自分が目指しているのは 役者がヘタだろうが台詞がどうだろうが
ただ必死でそこに生きていること 役者が必死で生きていてその
エネルギーや熱がパワーがお客さんに伝わりさえすれば
お客さんは感動してくれる 今 目の前で汗を飛ばし 唾を飛ばし
涙を飛ばし 喉を枯らして 身体をこれ以上ないほど捻って
のたうちまわって愛を叫ぶ そんな役者であってほしい
そんな芝居をやっていきたい 90分3000円
お客さんが楽しめて お客さんが喜んで お客さんが心を動かす
そんな芝居をつくり続けたいと思います

それは私がつかさんを好きだったからです
つかさんの芝居が大好きで 舞台が好きで 役者が好きだったからです
だから私は私のホンを書いても 愛しているから殺す そんな
凄まじい愛や生き様を舞台に乗せられる芝居をつくっていこうと思います
風はそよ風かもしれない
海は凪いでいるかもしれない
空は抜けるように青く眩しいかもしれない
でも 人は 常に必死に凄まじく鼓動して生きてる
そんなドラマを書いていけたらと思います
私の書く私のホンで
私は私の生き方から生まれる言葉で色で音で書いていこうと思います


つかさん ありがとうございました
ゆっくり休んでください
次に生まれ変わるまで。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。