こんにちはニキです。
22年に渡り開催してきたニキズキッチンも、世界を揺るがせた同時多発テロ、リーマンショック。
そして東北大震災と3回の大きな方向展開をしてきました。
コロナ騒動は4回目、ロシアウクライナ侵攻は5回目のカタストロフ(大惨事)です。
たとえば同時多発テロ前は米軍基地の中でお料理教室をすることを目的にしていましたが、
基地の中に入ることが容易でなくなり、
ステージを広げ、フェンスの外。横浜へやってきたお料理自慢の外国人をスカウトし始めました。
コロナ騒動では料理教室以外に先生ができることを見つけ挑戦しました。
先生達が集まって不定期に開く「ニキズ・ベーキングパーティ」というお菓子屋も挑戦しました。
いずれもみんなの「やろう!」という「気骨」が原動力です。
失敗してもくじけない。明日も新しい一日が始まります。
2022年春。少しコロナが落ち着いてきたこともあり、
その間に止まっていた「先生候補」のクラスが始まりました。
日本に住む世界から来た人々も、当然ながらキッチンはあって、人の暮らしがあります。
というわけで、今回は、
「西インド」からやってきたミラさんの「南インド」教室をレポートします。
~ ミラさんのドーサ ~
今日は横浜に住むミラさんのお宅にお邪魔しました。ミラさんの初めてのレッスンです。
ミラさんはインド西部のグジャラート出身で日本の公団に住んでいます。
ミラさんを初め日本に住むインドの人々は他の外国人に比べ、
どんなにお金持ちであっても「日本の公団」に住むことが多いようです。
それは彼らたちの理に適っていて、どんなに日本で贅沢に暮らしても
ここは彼らの終の棲家ではありません。
短期で転勤の可能性がある場合は、
高級な賃貸には住まず投資もしないというのが
堅実な彼らたちの過ごし方のようです。
ドアを開けて、笑顔で迎えてくれたミラさんは、40代の穏やかな印象の女性です。
短い挨拶の後、早速お部屋へ通してくれました。
調理台は日本式で細長く一番奥にガスコンロが設置されています。
今日は30代から50代の4名の女性が集まっていました。
私が到着した頃はクラスは既に終盤で、
最後のドーサをフライパンで焼く作業に入っていました。
一人の生徒さんが「カレーリーフって知ってますか?」と話しかけてくれました。
ミラさんによると
ドーサの生地はイドリーライスとウラドダル(豆)、
お米を平たくさせて乾燥させたポーハを
何回も洗ってフェネグリークと一緒に水に浸し、
翌朝ミキサーでペーストをしたものを24時間発酵せてつくったもの。
発酵して1日目は生地が柔らかいのでイドゥリを作り、
2日目からは生地が固くなるからドーサを焼く。
冷蔵庫に入れておけば保存がきくため一度に
1週間分「ベタ(生地)」を作っておくんだそう。
最近は健康を考えて、粟(あわ)とウラドダルを発酵させて「ベタ」を作ることもあるそうです。
どうやら雑穀が健康に良いと考えるのは世界共通みたいですね。
※写真はドーサなどを作るための「イドゥリライス」
※炊き上げると日本のお米より小さく柔らかくてモチモチしている。
お粥との日本米との中間の食感。
イドゥリやドーサを作るためのお米として売られています。
そしてもうひとつ。実は「発酵」に関しては世界各国考えがバラバラ。
「太陽の下で発酵させるお料理もあれば、冷蔵庫、そして部屋においておくだけという国もあります。
ドーサはどうしたらいいんですか?」
と聞いてみたら
「ドーサで重要なのは温かくて空気が循環していないところで発酵させること。
私の家でいうとキッチンの奥にある壁際にあるガス台が最適な場所なんですよ。
そこに今の季節なら24時間。冬なら3日間置いておけば生地が
30パーセント膨れ上がる。そうしたらできあがり」
なーるほど。
そんなこんなで料理が出来上がりました。
ところで今日のお料理にはインドにしては珍しく
オリーブオイルが使われていました。
今日はオリーブオイルがキッチンに合ったのでそれを使いましたが
ミラさん曰く揚げ物にはサンフラワーオイル。
それ以外はココナッツオイルがあうとのことです。
しかしスパイスの力が強いからか
オリーブオイルの香りは全くしませんでした。
むしろ優しい感じがしてすごく良く合う。これも意外な発見でした。
西インド出身のミラさんが作る「南インド料理」。
できあがったサンバルは、しっかり豆のとろみが効いていて、
スパイシーというよりは、うま味が勝っているようなマイルドな味。
ココナッツサンバルは生のココナッツを削って
作ったので何とも言えない豊かな味わい。
インドはとても広い。だから住む地域が異なる場合、
いくら頑張っても他の地域の味を
なかなか再現することにたどり着けない。
いままでずっとそう思ってきました。
だからこそ完成度の高さに驚きました。
ミラさんが作ってくれた南インド料理は、
どこの南インド料理よりも美味しかったからです。
「どうしてミラさんは西インドで生まれたのに南インド料理が作れるんですか?」
「実はね。私の住んでいた西インドにしては
珍しく1軒だけ南インドのレストランがあったの。
わたしはそこのお料理が大好きで、
毎日毎日通い詰めたんです。途中から夫も巻き込んで。
やがて夫とシェフが仲良くなって。
しまいには私をキッチンの中に入れてくれて。
そこでシェフから南インドのお料理を習ったのよ。
その後も、街に住んでいる南インド出身のお母さんたちをみつけては頼み込んで。
お料理を教わったの。」
なんとインド版ニキズキッチン。
「ミラさん南インドお料理の大切なことってどんなことですか?」
「何度もつくったり、聞いてきて私が分かったこと。
それはいれる順番。これを正確にすれば、たしかな味が作れるわ」
食事をしながら話は「ロシアウクライナ侵攻」に話題が移っていきました。
今後、日本に住むインドの人たちにも多大な影響が起きるかもしれない。
そういってミラさんが顔を曇らせながら話してくれました。
「インドが国外に小麦粉を輸出しないと決めたでしょう。
わたしたちはアタ(全粒粉)が手に入らなくなるかもしれないの。
今はまだ在庫を確保してもらっているけれど。
チャパティが焼けなくなってしまうの。」
チャパティはインド西部や北部の、主食で全粒粉を使った無発酵のパン。
これを作れないとお嫁に行かれないといわれるほど。毎日の食卓に欠かせないもの。
日本に住む在日インド人の数は約3万6千人。
余波はこんなところまで広がってきています。