クリスマス

2022-12-15 00:41:14 | 随筆
「ちょっと、言いたいことがあるんだけど。」 

今から15年ほど前のクリスマス、私たち家族は、ボルティモアにある義理の母の家へ集まった。 私は七面鳥の肉を食べるのを止めて、テーブルの周りにぐるりと座っている全家族を見回した。 子供たちも含めて総勢12人。 皆の視線が集まった。 私がこれから言わんとすることは、昔の日本でなら、「嫁の分際で...。」と非難されるかもしれない事だった。 

「来年からは、もう今までの様なクリスマスプレゼントは買わないことにします。」

案の定彼らは、「えっ?」というような表情をした。 ひと呼吸おいて、私は続けた。

「sugarcoat(うまく取り繕う事)はしないで、はっきり言うわね。 お金がないのよ。 毎年この時期に何百ドルもクリスマスプレゼントに使うのはとても苦しいから。」

この場に、後ほど熟年離婚をすることになる私の夫は海外へ出稼ぎに行っていて、不在であった。 sugarcoat はしないと言ったが、これは少し砂糖を振り掛けて甘くした言い方だった。 本当は、

「ブランドン(夫)の金遣いが荒いので、我が家の家計は火の車なのよ。 彼は、大酒飲みだしね。 全くやってられないわよ。 あぁ、やだやだ!」

とでも言いたいところだったが、彼の母親や妹達を目の前にして、そこまでブチ撒ける勇気はなかった。 一瞬し~んとなったところで、続ける。

「でもね、プレゼントの交換という楽しみを皆から奪うつもりはないのよ。 ここで提案があります。 ひとつにつき、5ドル以下と決めて、それを人数分買うのよ。 何でもいいの。 ディスカウントショップで10個以上買ってもそれほど大きな出費にはならないでしょう?」

何人かは、怪訝な顔をしたが、私はそれを無視して続けた。

「それでゲームをしましょう。 買ってきたものを居間の真ん中に積み上げて、周りに座る。 ひとりづつ適当に選んで、すぐに包みを開ける。 他の人に当たったプレゼントを見て、それを欲しいと思ったら、自分の番が来た時に自分が手に入れたものと無理やり交換することができる、というルールでね。どう?」

あぁ、ようやく言う事ができた! 本当に毎年辛かった。 比較的裕福である義理の妹達は、いつも高価なものを包んでくれるが、それが私にとって大きな心の負担だった。 義両親も、私たち夫婦から大きな物を期待していないという事はわかっていたが、毎年クリスマスが近づくと、私の心はどろ~んとなった。 

話は少しそれるが、12月25日は、イエスキリストの誕生日ではない。 我が愛する主、イエス様の誕生日は明確には記されていないので誰にも分らない。 ただ、我々人間の罪を負って、イエスキリストが十字架刑に処せられた時から逆算すると、どうやらそれは秋頃であるらしい。 336年、ローマ帝国を治めていたコンスタンティン帝が戦争に向かわんとする時、空中に十字架が浮かぶのを見、その後勝利を収めた。 その後この王様は、キリスト教を国教とし、元来12月25日は太陽神を崇める日であったが、それを勝手にキリストの誕生日としてしまった。

現在では、クリスマスはキリスト教信者にとって一大祭典の日であるが、私はこの日のために血眼になって、家の飾りつけをしたり、セールを求めて店内を走り回ったりすることはしない。 

「あなた、本当に冷めてるわね~。」と友人から言われるが、毎年家族がやるので、この行事に付き合っているだけである。 誤解しないでいただきたいが、私はクリスマスを祝う人たちを嘲笑しているわけではない。 

さて、私の提案を聞いて、家の中は一瞬静かになったが、義理の妹 サリーが大きな声で言った。 (長年少年院の院長を務めた彼女の声は、いつも大きい。)

「いいわね! それ、乗った!」

私も、オレも、と皆同意してくれた。 おばあちゃんは、にこにこしているだけだったが、私はこの時、あぁ言ってよかったと、肩の荷が下りたような気持ちだった。

その翌年、ディナーの片づけが終わった後、私たちは小さな包みをたくさん居間の真ん中に集めた。 車座に座り、ひとつづつ取り上げてゆく。 ティーンエイジャーの甥が開けたものには、ピンクのイヤリングが入っていたので、皆どっと笑った。 ある者は、プラスチック製の便座を得たり、ハート形模様のパンティーであったりと、爆笑が続いた。 ハイライトは、台所で使う果物入れのバスケットを争って、私とサリーの間でこの品物が行ったり来たりを繰り返し、ついに私が勝利したことである。

それから毎年楽しいクリスマスが続いたが、3年前に予期せぬパンデミックが世界中で起こった。 会いたい人たちにも会えず、皆自粛する日々が続いた。 そうして今年の3月、101歳になったばかりのおばあちゃんが召天した。 それまでは、ニュージャージーとヴァージニアから全員ボルティモアに集まっていた家族がバラバラとなった。 数年前に結婚した我が家の次男夫婦にも子供が産まれ、ヴァージニアでの小規模なクリスマスが始まった。

何十年も、ボルティモアのおばあちゃんを 「メイトリアーク、matriarch(女家長)」として行ってきた年中行事は終わった。 

これからは、義理の妹達サリー、シャーリーンと私がそれぞれの土地でやってゆくのだ。

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