丼季報亭「8万時間の休息」

旅の記録や季節の便りそれに日々の思いを軽いトーンで綴ってみました。

446.ハイビスカスも漬物に?

2013-05-18 10:37:13 | 旅の記録

 台湾一周十都市めぐり(4)台東・嘉義・花蓮

  高雄市内観光を前日に済ませたこともあってもホテル発は予定通り7時半、3日目は民芸品店にてショッピング後、一路台東へ向かいました。

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高雄から台東へは約150km、約3時間を要するバスの旅。 台湾が生んだアジアの歌姫「テレサ・テンの生涯」ビデオがバスの中のテレビで放映されました。 若くしてこの世を去った天才歌手テレサは台湾の美空ひばりくらいの存在なんですね。苦労してアジアの歌姫と言われるほどに登りつめたのに、42歳とは残念ですね。

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台東市は台東県中部に位置し、西北は卑南郷と、南は太麻里郷とそれぞれ接し、東は太平洋に面しています。台東平原上の卑南渓による沖積平野に分類され、地勢は平坦です。

平野部での稲作は二毛作は当たり前、場所によっては三毛作をしているところすらあるようです。
車窓から見た稲田ではもう稲穂が実っているところもあり、二毛作の現状を目の当たりにしました。

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台湾南部は、稲作・サトウキビ・果樹栽培などの農業やウナギ・アヒルなどの養殖が盛んです。 しかし、その従事者は大半が原住民族で それほど裕福な暮らしではないのだとか。

車窓が雨に塗れ農地や畑の映像が上手く撮れないのは残念ですが・・・・。はっきり言って林家椰子を筆頭に農作物の作り方は雑です。メインテなしの植えっ放しで結果のみ収穫している感じ。

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これはドライブインで食べた台湾のフルーツ盛り合わせ・100元(この日のレートで390円)南洋の島の味がそのままでした。

 さて台湾南部に棲む原住民族の少年たちは幼い頃から、丸い石ころと棒切れで遊ぶのが大好き。 この辺りの少年野球は裸足と素手で始めるのが普通だとのこと。普段は裸足でプレーしているため、リトルリーグ世界大会渡米前には、少年たちはなんと靴を履く練習から始めたそうで・・・。(朱さんの話) 最近は調布のリトルリーグが合宿にきて地元チームと練習試合をするのだとか。

 その中から日本へ来て日本のプロ野球で活躍した代表選手が郭泰源(元西武投手)と郭源治(元中日投手)

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なおオリエンタル・エクスプレス郭泰源(台南市出身)は現福岡ソフトバンクホークス コーチ) 台湾原住民族アミ族である郭源治(台東県台東市出身)は1989年9月日本に帰化。現在の本名は佳久源治

                       

雨の中を走行すること3時間この日最初の訪問地である、台東大坡池風景区に到着。雨はいちだんと強く降り、観光どころではありませんが・・・。

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さて大坡池は台東県政府の整備により、池面積は約20ヘクタール、周辺の護岸や湿地も20ヘクタールほどあります。野鳥や魚、エビが棲息しています。池上郷は大坡池の北にあることから名が付けられました。

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昔、ここで採れた魚やエビを池上米で作ったおにぎりと一緒に、道行く旅人たちに分け、その味が評判となりました。今はもうそのような光景は見られませんが、「池上弁当」の名はヒットブランドとなりました。ここも日本統治時代に灌漑用に造られた人工池です。 日本ってこんなに台湾のインフラ構築に尽力していたのですねえ。

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一家(お店の名前)での昼食で、郷土料理のデザートに 西瓜の脇にハイビスカスの漬物が出ました。ハイビスカスの花弁を食べるなんてもちろん初体験です。なんともいえない味でしたが、これも熱帯と亜熱帯の境目ならでは食べ物なのでしょうか?

昼食後美しい景勝地三仙台に到着しました。

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台東県成功鎮東北部にある三仙台は、離島とサンゴ礁海岸で構成されて、奇石が分布していて、その中に巨大な岩石が三つあって、伝説によると、呂洞賓、李鐵拐、何仙姑がここに来たことがあるから、三仙台と呼ばれるようになりました。

三仙台の地質は都巒山集塊岩で、元々は岬角でしたが、海水の海蝕作用で徐々に岬角を切断して、離島になりました。

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今まで三仙台を訪れる観光客は干潮の時に、海を渡って行くしかありませんでしたが、1987年に八スパンの歩道橋が完成されて、波浪の型で、まるで巨大な龍が海の上に横なっているように見えます。この橋は三仙台を本島と繋げて、東海岸で大変有名なシンボルになりました。

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三仙台の面積は約22ヘクタールで、最高な海抜は約77メートルで、環状歩道が設けられていて、のんびり鑑賞するなら、約2時間がかかりますが、なにぶんにも雨足は止まず、15分の滞在でした。

雨で三仙橋の景観はさっぱりでしたが、晴れていたらこんな感じの風景だったのです。

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この日唯一の幸運は ここの屋外ステージではちょうどアミ族の踊りが披露されていたことくらいでしょうか。

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アミ族の祭りには豊年祭、播種祭、捕魚祭、海祭などがあります。豊年祭「イリシン」は最も重要な祭祀儀式で、毎年夏に行われます。期間は2週間ほどで、時期も日数も村によって異なるが、基本的に南部の台東県では太陽暦の7月、北部の花蓮県では8月に行われます。 祭ではブタが殺され、皆で肉を分けて食べる事が行われるのだとか。


 次は 渡台前から期待が大きかった北回帰線標塔へ。 だいたい北回帰線の上に立つなんて生涯そうそうあるものではありません。何しろ熱帯と亜熱帯の境界です。

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 これが台湾島中南部の嘉義(チャーイー)市にある、台湾に3ヵ所ある北回帰線標塔の一つ。
 
 

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           中央奥に見えるのが北回帰線上に立つ筆者です。 

北回帰線は北緯23度26分の線で、夏至に太陽が天頂に来る地点。この線より南が熱帯に区分されます。でも この日は雨で 寒くて寒くて どこが熱帯なのやら・・・・。

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嘉義の北回帰線標塔は、東経120度24分、北緯23度27分の地点にあり、展望台のある高さ28mの塔でタワーも立っています。この標塔が初めて建てられたのは1908年。現在の標塔は、1995年に建てられた6代目の塔です。

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まあこんなこともあるのですが この日は一日中雨・雨・雨 車窓がこれでは寝るほかなしで・・・。

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筆者も傘を差して 被写体捜しに右往左往していますが・・・。

北回帰線標塔観光後、一路花蓮へ(約150km、約3時間)。

花蓮統帥大飯店ホテル着/17:30

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花蓮市は花蓮県東北部に位置し、北は新城郷と、南は吉安郷と、西は秀林郷とそれぞれ接し、東は太平洋に面しています。

日本統治時代の1920年に花蓮港庁花蓮港支庁花蓮港街として再編され、1937年に郡制施行により花蓮港庁花蓮郡に属します。1940年に市制施行により花蓮港市になりました。戦後の1946年に花蓮市と改称されて現在に至っています。

 さて 3日目の夕食は、ホテルで広東料理。

味覚も広東風ですから馴染みもあってホッとしましたが・・・・、

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 何しろ到着してから毎晩・毎昼 矢継ぎ早に10品出て来るこんな料理が続き このボリュームもこれで5度目です。2-3品ご紹介して 残りは番外のグルメ編でご紹介することにします。

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 4日目の明日は台湾を代表する観光地太魯閣渓谷観光後 花蓮から七堵まで特急列車。七堵からは あの「千と千尋の神隠し」のモデルとなった街である九份へ。 この旅もいよいよ佳境に入ります。

 今日も お立ち寄りいただき 有難うございました。

注)ブログ記事のうち台東・嘉義・花蓮 については 「 Wikipedia 」 などから転載・加筆したものです。


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