旧市街広場から、プラハの都心を貫いて流れる、ブルタバ川へと向かいます。
<<初海外1990 チェコスロバキア&DDR-03>
人口100万人を超える大都市の中心部を貫いているとは思えない程、川幅を広げて、滔々と流れ下る大河の風格に、その両岸に広がるプラハの魅力的な街並みが、華を添えていました。
ブルタバ川の両岸に市街地を広げているプラハには、当然ながら、幾つもの魅力的な橋が個性を競い合っているかのような景観を楽しむことができます。
その幾多の端の中で最初に架けられ、今日なお随一の存在感を誇るのが、カレル橋。
どっしりとした重厚感溢れたその姿からも、架橋後590年になろうとする(1990年当時)歴史の厚みを、感じ取ることができました。
チェコを代表する音楽家の、スメタナ作の交響詩の中でも有名な曲の調べが、自然と頭の中でリフレインして、素晴らしい情感深さに浸りながら、この眺めを堪能していました。
<カレル橋>
<ブルタバ川(モルダウ川)>
迷宮へと迷い込んでいるかのような錯覚を覚えてしまう、プラハ(Praha)の旧市街(Staré město/スタレー・ムニェスト)。
このような、思わず誘い込まれてしまいそうになる路地が無数にあり、こちらはさしずめ、迷路の如く。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
プラハの街角の魅力は、街中でごく普通に目にすることのできた、この石畳にあるといっても過言ではない位に、中世へとタイムスリップしたかのような、その場の空気が何百年も遡ったかのように、思えてしまいました。
プラハの石畳は、パリ等西欧の都市のそれよりも地中深くしっかりと舗装してあるので、とても状態良く今日まで残っているというようなことが、この当時読んだプラハについての本(著者はプラハの下町で生まれ育ったそうです)に書かれていました。
それで、こうしてプラハを訪れたこの機会に、色々な路地を観察w
やはり、素敵な雰囲気です!
国民通り(Národní)で団子状態となっていた、プラハのトラム(Tramvaj)w
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
プラハのトラムは、2両編成で運転されていたので、画像に写っているのは、3つのトラムですが、6両ものトラムが渋滞しているかのように停まっている姿は、壮観でした!
実は、画像左端から外れた所に、もう1編成のトラムが停まっていて、この場にはこの時、実に8両ものトラムの車両が停車していたことになります。
カメラ(この当時はまだフィルムカメラ)のアングルに収まり切れなかったので、泣く泣く左端の2両は、画像枠外となってしまいました(ToT)
国民通りを、ブルタバ川(Vltava)の河畔まで、歩いてきました。
恐らく、プラハ随一のランドマークであろう、プラハ城(Pražský hrad)が、川向うの正面に、その威容を誇っていました!
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
プラハ都心部を両側に隔てて流れている、ブルタバ川。
チェコ語では「Vltava」ですが、ドイツ語では「Moldau」即ち、モルダウ川となります。
この風景を目にした瞬間に、チェコを代表する作曲家ベドジフ・スメタナ(Bedřich Smetana)の交響詩「わが祖国(Má vlast)」の第2曲「ブルタバ/Vltava(モルダウ/Die Moldau)」の調べが自然と、頭の中で再生されました。
因みに、チェコ語の名詞「smetana」の意味は…「生クリーム」だそうです。
チェコの大作曲家の名前は、直訳すると「生クリームさん」なのですねw
ゆったりと流れる、大河の風格が、堂々たるプラハ城の威容に、これ以上ない位にマッチしていて、感動的な眺めでした!
ブルタバ川の流れの下流へ視線を転じると…どっしりとした造りの橋が、ブルタバ川に架かっているのが、見えています。
プラハ城と(多分)双璧を為すであろう、これまたプラハのシンボルとして名高い、カレル橋(Karlův most)です。
カレル橋は、1357年から45年の年月を掛けて架けられた、ブルタバ川に架かるプラハの橋の中で、最古の橋です。
1841年までは、ブルタバ川に架かる、プラハで唯一の橋でした。
この、黒ずみくすんだ感じが、より重厚感を増しているように見えました。
川幅広くゆったりと流れるブルタバ川は、水鳥にとっても居心地の良さそうな楽園のようです^^
この、ブルタバの流れは、美しい国土を情感たっぷりに歌い上げる、チェコ国歌の旋律にも通じるものがあると、私には思えます。
チェコの人々にとって、ブルタバ川は「母なる川」なのでしょうね。
という訳で、チェコスロバキア国歌(Československá národní hymna)の動画を借りてきました。
1990年の旅行記ということで、チェコ共和国(Česká republika)とスロバキア(Slovensko)両国の国歌を、当時の「チェコスロバキア国歌」のスタイルにアレンジしている動画です。
チェコスロバキア(Československo)時代は共産主義時代を含めて、第1部をチェコ国歌「我が故郷はいずこ(Kde domov můj)」、第2部をスロバキア国歌「稲妻がタトラの上を走り去り(Nad Tatrou sa blýska/スロバキア語)」として、続けて演奏していました。
本来、それぞれの第1節のみ国歌として(動画では、スロバキア国歌を第2節まで演奏しています)、演奏していました。
曲調が、ガラリと変わります。
チェコ共和国とスロバキアが分離した今日では、自国のパートのみを、それぞれの国歌としています(スロバキアは、第2節までを国歌として制定)。
カレル橋の下流側まで、歩いてきました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
聖人の像が並ぶカレル橋の欄干越しに、旧市街の対岸に位置する、マラー・ストラナ(Malá Strana/「小地区」の意味)の街並みを、眼前に望むことができます。
旧市街に比肩する、歴史的景観の素晴らしいエリアである、マラー・ストラナ。
その背後に聳えるプラハ城が、先程とは角度を変えた、魅力的な姿も、堪能することができます♪
カレル橋を、渡っています。
実際にわたってみて、思っていた以上に橋上が広々としているのに、驚きました。
路上は、もちろん石畳。
橋の欄干の聖人像の巨大さも、想像以上!
「百塔の街」らしく、橋の両側にも、塔が建っています。
眺めている方向は、橋の東側で、渡ってきた旧市街の方向です。
その塔の左側に見えている、ドームを戴いている建物は、アッシジの聖フランチェスコ教会(Kostel svatého Františka z Assisi)です。
建立は、1685年。
やはり、歴史のある教会です。
マラー・ストラナ側のカレル橋上から、ブルタバ川上流(南の方向)を望みます。
ブルタバ川に架かっている橋は、5月1日橋(Most 1. máje/メーデー橋、今日では「チェコ軍団橋/Most Legií」と改称)です。
橋の袂に見えている大きな建物は、国民劇場(Národní divadlo)。
金色の屋根飾りが、印象的です。
この、国民劇場の前を、先程トラムの団子状態を目撃した国民通りが、5月1日橋へと続いています。
カレル橋西詰め、マラー・ストラナ側の袂。
こちら側に建つ塔も、東側同様に、どっしりとした重厚な造りをしています。
カレル橋上は、先程の画像でも分かるとおり、多くの人々が渡っていましたが、今日のように、人出で溢れ返る程ではなく、露店やパフォーマンス等も行われていませんでした。
西側の橋の袂からでも、聳えるプラハ城の威容が垣間見えていました。
マラー・ストラナへと立ち入りました。
カレル橋から続く、モステツカー通り(Mostecká)を進みます。
マラー・ストラナのエリアも、旧市街と同様に、しっとりと落ち着いた、歴史を感じる佇まいが素敵です^^
やはり、ブルタバ川でプラハ中心部の旧市街と隔てられているせいか、背後にプラハ城の建つ丘との間の「小さなエリア(→小地区=マラー・ストラナ)」には、迷宮的な空気がより濃く漂っているように感じました。
正面に見える、尖塔の建物は、聖ミクラーシュ教会(聖ニコラス教会/Kostel svatého Mikuláše)。
旧市街広場(Staroměstské náměstí)にある教会と全く同名ですが、別の教会です。
1755年に完成した、バロック建築の美しい教会で、通りの正面に開けた狭い空間に、巧みに美しい塔を嵌め込んでいるかのようですね。
地区と同じ名称の、マラー・ストラナ広場(Malostranské náměstí)に建っているので、マラー・ストラナを代表する建築なのでしょうね。
今度は、聖ミクラーシュ教会の前から、モステツカー通りを東の方向、即ちカレル橋を眺めます。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
小雨が時折パラついてきた、生憎の空模様も、どこか謎めく迷宮的な空気をより引き立たせて、ミステリアスな魅力を纏った古い街角が、一層魅力的に感じられました。
街をゆく人々も、地元の人と観光客とを問わず、この雰囲気を楽しむように、風景の中へ溶け込んでいるようでした。
マラー・ストラナへは、進入したばかりでしたが、一旦カレル橋を逆に渡って、再び旧市街の側へと戻ります。
<初海外1990 チェコスロバキア&DDR-05>>
<<初海外1990 チェコスロバキア&DDR-03>
人口100万人を超える大都市の中心部を貫いているとは思えない程、川幅を広げて、滔々と流れ下る大河の風格に、その両岸に広がるプラハの魅力的な街並みが、華を添えていました。
ブルタバ川の両岸に市街地を広げているプラハには、当然ながら、幾つもの魅力的な橋が個性を競い合っているかのような景観を楽しむことができます。
その幾多の端の中で最初に架けられ、今日なお随一の存在感を誇るのが、カレル橋。
どっしりとした重厚感溢れたその姿からも、架橋後590年になろうとする(1990年当時)歴史の厚みを、感じ取ることができました。
チェコを代表する音楽家の、スメタナ作の交響詩の中でも有名な曲の調べが、自然と頭の中でリフレインして、素晴らしい情感深さに浸りながら、この眺めを堪能していました。
<カレル橋>
<ブルタバ川(モルダウ川)>
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
迷宮へと迷い込んでいるかのような錯覚を覚えてしまう、プラハ(Praha)の旧市街(Staré město/スタレー・ムニェスト)。
このような、思わず誘い込まれてしまいそうになる路地が無数にあり、こちらはさしずめ、迷路の如く。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
プラハの街角の魅力は、街中でごく普通に目にすることのできた、この石畳にあるといっても過言ではない位に、中世へとタイムスリップしたかのような、その場の空気が何百年も遡ったかのように、思えてしまいました。
プラハの石畳は、パリ等西欧の都市のそれよりも地中深くしっかりと舗装してあるので、とても状態良く今日まで残っているというようなことが、この当時読んだプラハについての本(著者はプラハの下町で生まれ育ったそうです)に書かれていました。
それで、こうしてプラハを訪れたこの機会に、色々な路地を観察w
やはり、素敵な雰囲気です!
国民通り(Národní)で団子状態となっていた、プラハのトラム(Tramvaj)w
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
プラハのトラムは、2両編成で運転されていたので、画像に写っているのは、3つのトラムですが、6両ものトラムが渋滞しているかのように停まっている姿は、壮観でした!
実は、画像左端から外れた所に、もう1編成のトラムが停まっていて、この場にはこの時、実に8両ものトラムの車両が停車していたことになります。
カメラ(この当時はまだフィルムカメラ)のアングルに収まり切れなかったので、泣く泣く左端の2両は、画像枠外となってしまいました(ToT)
国民通りを、ブルタバ川(Vltava)の河畔まで、歩いてきました。
恐らく、プラハ随一のランドマークであろう、プラハ城(Pražský hrad)が、川向うの正面に、その威容を誇っていました!
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
プラハ都心部を両側に隔てて流れている、ブルタバ川。
チェコ語では「Vltava」ですが、ドイツ語では「Moldau」即ち、モルダウ川となります。
この風景を目にした瞬間に、チェコを代表する作曲家ベドジフ・スメタナ(Bedřich Smetana)の交響詩「わが祖国(Má vlast)」の第2曲「ブルタバ/Vltava(モルダウ/Die Moldau)」の調べが自然と、頭の中で再生されました。
因みに、チェコ語の名詞「smetana」の意味は…「生クリーム」だそうです。
チェコの大作曲家の名前は、直訳すると「生クリームさん」なのですねw
ゆったりと流れる、大河の風格が、堂々たるプラハ城の威容に、これ以上ない位にマッチしていて、感動的な眺めでした!
ブルタバ川の流れの下流へ視線を転じると…どっしりとした造りの橋が、ブルタバ川に架かっているのが、見えています。
プラハ城と(多分)双璧を為すであろう、これまたプラハのシンボルとして名高い、カレル橋(Karlův most)です。
カレル橋は、1357年から45年の年月を掛けて架けられた、ブルタバ川に架かるプラハの橋の中で、最古の橋です。
1841年までは、ブルタバ川に架かる、プラハで唯一の橋でした。
この、黒ずみくすんだ感じが、より重厚感を増しているように見えました。
川幅広くゆったりと流れるブルタバ川は、水鳥にとっても居心地の良さそうな楽園のようです^^
この、ブルタバの流れは、美しい国土を情感たっぷりに歌い上げる、チェコ国歌の旋律にも通じるものがあると、私には思えます。
チェコの人々にとって、ブルタバ川は「母なる川」なのでしょうね。
という訳で、チェコスロバキア国歌(Československá národní hymna)の動画を借りてきました。
1990年の旅行記ということで、チェコ共和国(Česká republika)とスロバキア(Slovensko)両国の国歌を、当時の「チェコスロバキア国歌」のスタイルにアレンジしている動画です。
チェコスロバキア(Československo)時代は共産主義時代を含めて、第1部をチェコ国歌「我が故郷はいずこ(Kde domov můj)」、第2部をスロバキア国歌「稲妻がタトラの上を走り去り(Nad Tatrou sa blýska/スロバキア語)」として、続けて演奏していました。
本来、それぞれの第1節のみ国歌として(動画では、スロバキア国歌を第2節まで演奏しています)、演奏していました。
曲調が、ガラリと変わります。
チェコ共和国とスロバキアが分離した今日では、自国のパートのみを、それぞれの国歌としています(スロバキアは、第2節までを国歌として制定)。
カレル橋の下流側まで、歩いてきました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
聖人の像が並ぶカレル橋の欄干越しに、旧市街の対岸に位置する、マラー・ストラナ(Malá Strana/「小地区」の意味)の街並みを、眼前に望むことができます。
旧市街に比肩する、歴史的景観の素晴らしいエリアである、マラー・ストラナ。
その背後に聳えるプラハ城が、先程とは角度を変えた、魅力的な姿も、堪能することができます♪
カレル橋を、渡っています。
実際にわたってみて、思っていた以上に橋上が広々としているのに、驚きました。
路上は、もちろん石畳。
橋の欄干の聖人像の巨大さも、想像以上!
「百塔の街」らしく、橋の両側にも、塔が建っています。
眺めている方向は、橋の東側で、渡ってきた旧市街の方向です。
その塔の左側に見えている、ドームを戴いている建物は、アッシジの聖フランチェスコ教会(Kostel svatého Františka z Assisi)です。
建立は、1685年。
やはり、歴史のある教会です。
マラー・ストラナ側のカレル橋上から、ブルタバ川上流(南の方向)を望みます。
ブルタバ川に架かっている橋は、5月1日橋(Most 1. máje/メーデー橋、今日では「チェコ軍団橋/Most Legií」と改称)です。
橋の袂に見えている大きな建物は、国民劇場(Národní divadlo)。
金色の屋根飾りが、印象的です。
この、国民劇場の前を、先程トラムの団子状態を目撃した国民通りが、5月1日橋へと続いています。
カレル橋西詰め、マラー・ストラナ側の袂。
こちら側に建つ塔も、東側同様に、どっしりとした重厚な造りをしています。
カレル橋上は、先程の画像でも分かるとおり、多くの人々が渡っていましたが、今日のように、人出で溢れ返る程ではなく、露店やパフォーマンス等も行われていませんでした。
西側の橋の袂からでも、聳えるプラハ城の威容が垣間見えていました。
マラー・ストラナへと立ち入りました。
カレル橋から続く、モステツカー通り(Mostecká)を進みます。
マラー・ストラナのエリアも、旧市街と同様に、しっとりと落ち着いた、歴史を感じる佇まいが素敵です^^
やはり、ブルタバ川でプラハ中心部の旧市街と隔てられているせいか、背後にプラハ城の建つ丘との間の「小さなエリア(→小地区=マラー・ストラナ)」には、迷宮的な空気がより濃く漂っているように感じました。
正面に見える、尖塔の建物は、聖ミクラーシュ教会(聖ニコラス教会/Kostel svatého Mikuláše)。
旧市街広場(Staroměstské náměstí)にある教会と全く同名ですが、別の教会です。
1755年に完成した、バロック建築の美しい教会で、通りの正面に開けた狭い空間に、巧みに美しい塔を嵌め込んでいるかのようですね。
地区と同じ名称の、マラー・ストラナ広場(Malostranské náměstí)に建っているので、マラー・ストラナを代表する建築なのでしょうね。
今度は、聖ミクラーシュ教会の前から、モステツカー通りを東の方向、即ちカレル橋を眺めます。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
小雨が時折パラついてきた、生憎の空模様も、どこか謎めく迷宮的な空気をより引き立たせて、ミステリアスな魅力を纏った古い街角が、一層魅力的に感じられました。
街をゆく人々も、地元の人と観光客とを問わず、この雰囲気を楽しむように、風景の中へ溶け込んでいるようでした。
マラー・ストラナへは、進入したばかりでしたが、一旦カレル橋を逆に渡って、再び旧市街の側へと戻ります。
<初海外1990 チェコスロバキア&DDR-05>>
>チェコを代表する音楽家の、スメタナ作の交響詩の中でも有名な曲の調べが、自然と頭の中でリフレインして、素晴らしい情感深さに浸りながら、この眺めを堪能していました。
まさに同じ状況でブルダバのゆったりした流れを飽きもせず眺めていました。
曲と情景が自分の中でここまで一致したのは珍しいです。
カレル橋で沢山写真を撮ったのは覚えていますが、確かに当時は食事の写真は一枚も撮っていなかったはず。
交響詩「わが祖国」の「ブルタバ」、よくぞここまで!という位に、この川の流れの風景や情景に、ぴったりシンクロしていると、私も川の畔に立って、実感しました。
思えば、ブルタバ川も、プラハと共に、この国の激動の歴史をずっと目撃してきたのですよね…スメタナが感極まって曲を付け、それを聞く者の魂を揺さぶるのも道理です。
中世ヨーロッパの迷宮のような、ミステリアスな雰囲気を色濃く残すプラハの街の魅力にすっかり憑りつかれて、私もタヌ子さんも、食事の写真撮影を(不覚ながらw)全く失念してしまったのかもしれませんね(^^;)