道北周遊ドライブの、感覚的にほぼ半ばにあたる音威子府駅で、昼食がてら、小休止を取ります。
<<北を目指す旅-31>
旭川と稚内との中間地点でもある音威子府(おといねっぷ)は、かつては両都市を結ぶ鉄道の拠点として、今日でもその鉄道の生き残りであるJR宗谷本線と、一般国道である国道40号線とが通過する、交通の要衝です。
次の列車が到着するまで、約2時間の待ち時間があった、昼下がり。
訪れる人もない駅構内で、マイペースな営業を続ける、名物駅そば屋で昼食を摂り、構内の一角に設けられた鉄道の資料館の展示を見学したりして、ノンビリと過ごしました。
旭川と稚内とを結んでいる、JR宗谷本線のほぼ中間に位置する、音威子府駅。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
駅前のバス乗場の、待合所も兼ねているのでしょう…駅舎には、「交通ターミナル」と銘打たれていました。
平成元年(1989年)5月1日で廃止となるまで、ここ音威子府から天北線(てんぽくせん)が分岐して、オホーツク海沿岸を経由して稚内へと、宗谷本線とは別ルートの鉄路が通じていました。
今日でも、天北線から転換されたバス路線が発着する、オホーツク海沿岸への玄関口としての役割を担い続けている駅です。
駅舎へ入ると、改札口脇に、出札窓口が1つだけ。
その出札窓口には、ブラインドが下ろされていました。
音威子府駅に到着したのは、13時40分頃。
窓口脇に掲げられていた時刻表によれば、次の列車の到着は、15時38分…あと2時間程は、列車はやって来ません。
道理で、駅に人影が全く見当たらず、営業時間(8時20分~16時40分)内であるにもかかわらず、開店休業状態の窓口も閉められている訳です。
音威子府駅舎内の一角、改札口を挟んで出札窓口の対面に、老舗の駅そば店として音威子府駅の名物となっている、「常盤軒(ときわけん)」があります。
13時30分を過ぎ、こちらで、遅い昼食をいただきます。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
営業時間(平成28年(2016年)5月の訪問時)は、10時~15時30分。
当時の列車ダイヤでは、営業時間中に発着する列車は、10時58分発の稚内行特急(停車時間1分)と、13時24分発の名寄行(旭川方面)普通列車(停車時間3分)のみ。
それぞれ、次の列車は、前者で16時8分発の稚内行特急、後者で15時45分の札幌行特急と、列車本数が激減し停車時間も短くなってしまった今日では、列車利用での来店は、かなりハードルが高くなってしまいました;
お店としては、SLが現役であった頃から営業していて、今の駅舎に改築された平成2年(1990年)までは、ホームで営業していたそうです。
今日では、この日の私のように、来店者は車で訪れるのが、一般的であるようです。
音威子府名物である「音威子府そば」、天ぷらそばを注文しました。
見てのとおり、黒い麺が、何より目を引きます!
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
濃い色をした汁と、ほとんど同じくらいの色の濃い麺は、インパクトがあります!
香り豊かな汁が、食欲を掻き立てます。
店の前にはテーブルと椅子が、更に、その近くには、畳敷きの待合スペースがあって、腰掛けていただくこともできます♪
常盤軒さんでは、 地元の音威子府村にある、老舗製麺業者の麺を使用していて、強いコシと豊かな蕎麦の香りがとても美味しい、独特の「黒い麺」でした^^
この「音威子府そば」、蕎麦の甘皮まで挽いて作っているとのことで、蕎麦の豊かな風味を、ダイレクトに堪能することができます。
温かいそばでも、歯応えのあるコシを楽しめて、そばとの相性も抜群の汁も、全て飲み干してしまいました。
多くの人々が、このそばを求めて音威子府までやってくるのも、納得の美味しさであった、「音威子府そば」。
長年の念願叶って(評判は以前から知っていました)、ようやくその美味を味わうことができ、大いに満足しました!
常盤軒の隣には、上述のとおり、廃止された天北線に因んだ、「天北線資料室」があります。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
資料室の前に、畳敷きの待合スペース。
宿泊禁止ですが、列車を待つ間、横になることもできるのは、嬉しいですよね。
「天北線資料室」へ入り、展示を見学します。
資料室へは、入場自由となっていました。
天北線の路線図です。
音威子府から、宗谷本線が日本海側の幌延(ほろのべ)や豊富(とよとみ)を経由して稚内へと至っているのに対し、天北線はオホーツク海側の浜頓別(はまとんべつ)や鬼志別(おにしべつ)を経由して稚内へと至っている(天北線は南稚内で宗谷本線と再び合流しています)のが、分かります。
この図には、天北線と同様に、かつて営業していた幾つもの路線が、点線で表記されています。
平成29年(2017年)現在、この路線図にある地域で現存している鉄道路線は、宗谷本線のみです。
「天北線資料室」には、天北線の歴史や撮影された多数の写真、天北線にあった駅の設備等が、展示されていました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
天北線で使用されていた、今や大変希少な存在となった、タブレット閉塞による信号保安システムに必要な、通票(タブレット)や通票閉塞機も、展示されています。
かつて使用されていた、行先票(サボ)等。
先代の、音威子府駅舎の写真もありました。
天北線には、札幌と稚内を結んでいた急行「天北」が、1日1往復運転されていました。
今日では、かつての天北線沿線から旭川や札幌方面への都市間連絡の役割は、バスに引き継がれています(札幌へは、音威子府で乗り換え)。
先程お昼にいただいた「音威子府そば」も、展示されています。
生そばと乾麺とが、販売されているようですね。
この日は昼食にいただいたのみで、お土産に購入してもよかったと、後で後悔しました(^^;)
音威子府の駅前の駐車場の奥は、雪捨て場となっているようでした。
通路?の両側が、「雪の壁」となっていて、見慣れない者の目には、圧巻に映ります。
画像は静止画なので、実感がありませんが、この頃には、風が強風を通り越して暴風ともいえる位に勢いを増していて、じっと立っているのも困難になりつつありました。
何より、身を切るような冷たい暴風で、とても寒かったです;;
見えている赤いカラーコーンは、風に翻弄されて、転げ回っていました。
あまりの風の強さと冷たさに、再び駅舎内へと退避。
駅舎から、ホームを望みます。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
時間は経過して、14時を回りました。
次の列車の到着までは、あと1時間半程…列車を利用する人には、まだまだ長い待ち時間です。
訪れる人もなく、駅全体が午睡に微睡んでいた音威子府駅で、ノンビリと休息した、充実の小1時間もの滞在でした。
<北を目指す旅-33>>
<<北を目指す旅-31>
旭川と稚内との中間地点でもある音威子府(おといねっぷ)は、かつては両都市を結ぶ鉄道の拠点として、今日でもその鉄道の生き残りであるJR宗谷本線と、一般国道である国道40号線とが通過する、交通の要衝です。
次の列車が到着するまで、約2時間の待ち時間があった、昼下がり。
訪れる人もない駅構内で、マイペースな営業を続ける、名物駅そば屋で昼食を摂り、構内の一角に設けられた鉄道の資料館の展示を見学したりして、ノンビリと過ごしました。
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旭川と稚内とを結んでいる、JR宗谷本線のほぼ中間に位置する、音威子府駅。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
駅前のバス乗場の、待合所も兼ねているのでしょう…駅舎には、「交通ターミナル」と銘打たれていました。
平成元年(1989年)5月1日で廃止となるまで、ここ音威子府から天北線(てんぽくせん)が分岐して、オホーツク海沿岸を経由して稚内へと、宗谷本線とは別ルートの鉄路が通じていました。
今日でも、天北線から転換されたバス路線が発着する、オホーツク海沿岸への玄関口としての役割を担い続けている駅です。
駅舎へ入ると、改札口脇に、出札窓口が1つだけ。
その出札窓口には、ブラインドが下ろされていました。
音威子府駅に到着したのは、13時40分頃。
窓口脇に掲げられていた時刻表によれば、次の列車の到着は、15時38分…あと2時間程は、列車はやって来ません。
道理で、駅に人影が全く見当たらず、営業時間(8時20分~16時40分)内であるにもかかわらず、開店休業状態の窓口も閉められている訳です。
音威子府駅舎内の一角、改札口を挟んで出札窓口の対面に、老舗の駅そば店として音威子府駅の名物となっている、「常盤軒(ときわけん)」があります。
13時30分を過ぎ、こちらで、遅い昼食をいただきます。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
営業時間(平成28年(2016年)5月の訪問時)は、10時~15時30分。
当時の列車ダイヤでは、営業時間中に発着する列車は、10時58分発の稚内行特急(停車時間1分)と、13時24分発の名寄行(旭川方面)普通列車(停車時間3分)のみ。
それぞれ、次の列車は、前者で16時8分発の稚内行特急、後者で15時45分の札幌行特急と、列車本数が激減し停車時間も短くなってしまった今日では、列車利用での来店は、かなりハードルが高くなってしまいました;
お店としては、SLが現役であった頃から営業していて、今の駅舎に改築された平成2年(1990年)までは、ホームで営業していたそうです。
今日では、この日の私のように、来店者は車で訪れるのが、一般的であるようです。
音威子府名物である「音威子府そば」、天ぷらそばを注文しました。
見てのとおり、黒い麺が、何より目を引きます!
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
濃い色をした汁と、ほとんど同じくらいの色の濃い麺は、インパクトがあります!
香り豊かな汁が、食欲を掻き立てます。
店の前にはテーブルと椅子が、更に、その近くには、畳敷きの待合スペースがあって、腰掛けていただくこともできます♪
常盤軒さんでは、 地元の音威子府村にある、老舗製麺業者の麺を使用していて、強いコシと豊かな蕎麦の香りがとても美味しい、独特の「黒い麺」でした^^
この「音威子府そば」、蕎麦の甘皮まで挽いて作っているとのことで、蕎麦の豊かな風味を、ダイレクトに堪能することができます。
温かいそばでも、歯応えのあるコシを楽しめて、そばとの相性も抜群の汁も、全て飲み干してしまいました。
多くの人々が、このそばを求めて音威子府までやってくるのも、納得の美味しさであった、「音威子府そば」。
長年の念願叶って(評判は以前から知っていました)、ようやくその美味を味わうことができ、大いに満足しました!
常盤軒の隣には、上述のとおり、廃止された天北線に因んだ、「天北線資料室」があります。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
資料室の前に、畳敷きの待合スペース。
宿泊禁止ですが、列車を待つ間、横になることもできるのは、嬉しいですよね。
「天北線資料室」へ入り、展示を見学します。
資料室へは、入場自由となっていました。
天北線の路線図です。
音威子府から、宗谷本線が日本海側の幌延(ほろのべ)や豊富(とよとみ)を経由して稚内へと至っているのに対し、天北線はオホーツク海側の浜頓別(はまとんべつ)や鬼志別(おにしべつ)を経由して稚内へと至っている(天北線は南稚内で宗谷本線と再び合流しています)のが、分かります。
この図には、天北線と同様に、かつて営業していた幾つもの路線が、点線で表記されています。
平成29年(2017年)現在、この路線図にある地域で現存している鉄道路線は、宗谷本線のみです。
「天北線資料室」には、天北線の歴史や撮影された多数の写真、天北線にあった駅の設備等が、展示されていました。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
天北線で使用されていた、今や大変希少な存在となった、タブレット閉塞による信号保安システムに必要な、通票(タブレット)や通票閉塞機も、展示されています。
かつて使用されていた、行先票(サボ)等。
先代の、音威子府駅舎の写真もありました。
天北線には、札幌と稚内を結んでいた急行「天北」が、1日1往復運転されていました。
今日では、かつての天北線沿線から旭川や札幌方面への都市間連絡の役割は、バスに引き継がれています(札幌へは、音威子府で乗り換え)。
先程お昼にいただいた「音威子府そば」も、展示されています。
生そばと乾麺とが、販売されているようですね。
この日は昼食にいただいたのみで、お土産に購入してもよかったと、後で後悔しました(^^;)
音威子府の駅前の駐車場の奥は、雪捨て場となっているようでした。
通路?の両側が、「雪の壁」となっていて、見慣れない者の目には、圧巻に映ります。
画像は静止画なので、実感がありませんが、この頃には、風が強風を通り越して暴風ともいえる位に勢いを増していて、じっと立っているのも困難になりつつありました。
何より、身を切るような冷たい暴風で、とても寒かったです;;
見えている赤いカラーコーンは、風に翻弄されて、転げ回っていました。
あまりの風の強さと冷たさに、再び駅舎内へと退避。
駅舎から、ホームを望みます。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
時間は経過して、14時を回りました。
次の列車の到着までは、あと1時間半程…列車を利用する人には、まだまだ長い待ち時間です。
訪れる人もなく、駅全体が午睡に微睡んでいた音威子府駅で、ノンビリと休息した、充実の小1時間もの滞在でした。
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