いわきアッセンブリー教会ブログ 

恵みをシェアするブログ

2016-06-27 | イベント

先日、ある講義の中で、マズロー(心理学者)の欲求の5段階の話しが出ていました。
そういえば、マズローの5段階は社会福祉士の受験対策本にも出ていました。
、、、そういえば、違う人は6段階の人も。。

ともあれ、人間というのは欲求が満たされたいと思っているようだ。
その欲求願望は、状況に左右されるもののようだ。


先進国である日本では、災害のようなことがなければ多くの人々は「自己実現の欲求」が満たさるために歩んでいるのでは。。。
人々はどんな自己実現欲求を持っているのだろうか。。。

地域のために何かできないか。。。 ある人は、子どもの未来のために。。。 いわきのために。。。 問題解決のために。。。

色々とあるのだろう。

身近で自己実現のために熱く語り合えるような場に出て行かなければ。。

実は、私も実現したい夢がある。

自立支援学校を立ち上げて学校に行けない子どもたちの支援を実現させたい。。
親の転勤で学校になじめない子ども、、、親の期待に応えられずに不登校、、、
学校で教師や生徒とおりあいが悪い、、、協調性がない子ども、、、
いじめ、、、等、そういう子どもたちが、社会からレッテルを貼られ、見捨てられてゆくことが
私の心を燃やして止まない。

子どもには、希望の未来がある。。。必ず、変われる。。。
だから、そういう場所である自立支援学校を立ち上げたいのだ。

勿論、私のこの夢は信仰が基盤にあってこその欲求に違いありません。

私の夢は実現するかはわかりません。
でも、まず熱く語りあって行くことからです。。

あなたはワクワクするような夢を持っているでしょうか。。。
是非、誰かに語ってみたらいかがですか。


祝福





あきらめない










真の知恵

2016-06-25 | イベント
人は生きる上で何かを獲得しようと懸命に歩みます。

しかし、真に大切なものは「与えられる」ものかもしれませんね。


J.K. ローリング(「ハリ・ポッター」シリーズ作家):2008年に行われたハーバード大学卒業式スピーチより抜粋
「逆境に立たされるまで、人は本当の自分自身を知ることもないし、自分を取り巻く人たちとの絆にも気づかないでしょう。もしそうしたことを本当に知ることができたとき、そのような知恵こそが痛みを伴う真のギフトであり、今までに獲得したどんな資格よりも価値があるものなのです。」

格言

2016-06-18 | 日記
日本の格言に「遠くにいる家族より、近くにいる隣人」、というものがありますが、

どうも、これも聖書から来ているものと思われます。

聖書では「近くにいる隣人は、遠くにいる兄弟にまさる」と日本の格言と違いますが、意味は同じでしょう。

約2900年前のソロモン王の時代に記された「箴言」という書物に記されています。
2900年前ということ自体にただただ感服します。他にも多くの格言があり、
それは現代人にも通ずる普遍的であるから面白い。


例を挙げてみます。。。
○鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる

○顔が、水に映る顔と同じように、人の心はその人を映す

○憎む者は、くちびるで身を装い、心のうちでは欺きを図っている

○人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、そのくちびるによる収穫に満たされる

○人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ

○熱心だけで知識がないのはよくない

○急に得た財産は減るが、働いて集める者は、それを増す

○歩き回って人を中傷する者は秘密を漏らす。しかし真実な心の人は事を秘める

○高ぶりが来れば、恥もまた来る。知恵はへりくだる者とともにある。

○一切れのパンがあって平和であることは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる

○わきまえのない者は何でも言われたことを信じ、利口な者は自分の歩みをわきまえる

○なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ

他にも、政治的な事柄や夫婦、親子間等、また金の貸し借りのことなど、生活全般の格言が詰まっているのが箴言なのだ。
一読必見の価値あると。。。

祝福


父として

2016-06-16 | イベント
19日は父の日を迎えますが、多くの家庭では、「母の日のついでに父の日も祝ふ」なのでしょうか。。

この俳句は、母に比べると父は「ついでに」とか「ちらり」としか思い浮かべられない存在だと言われています。
母と父の違いがあるのでしょうがないと思いつつ淋しさを覚えますが、
それでも、子が授かった父として、その役割をしっかり果たさなければと思っております。

最近、もてはやされている「イクメン」なる言葉。。
誤解していけないことは、母親と同じことをするという意味ではないということ。

母性とは違い、父性の役割をしてゆくことがイクメンパパの元来の意味なのです。

父親の役割とは何でしょうかね。
秩序を教えるとか、、家族を守る、、他にもありますね。

これから父として役割を果たす責任がある身として、いつも大切にしたいことは、
教育ではなく、誰かが言っているように、「共育」です。
いつも正しいとは限らないですし、都合よく一貫性がないことも知っています。


欠けたところ、弱さがある、未熟な者であることを自覚しつつ、子が真に「益」に
なる役割を果して行きたいものです。


すべてのお父さんに祝福がありますように!!




願い

2016-06-03 | イベント
人は様々なことを願うものです。
しかし、良い願いばかりではないようです。
人の不幸を願う人もいるのです。

その心にあるのは、妬み、恨み、嫉妬、、、許せない思い、、悪意・・。
自分の思うようにいかないから、他者に対してこのような願いを抱いている人も多いのです。

聖書には、神様との関係の中で、すべての人々が幸福に歩むことを願うことを教えられています。

神様ご自身がそのように願っておられるからです。

クリスチャンは、神様の心に沿わせ、人の不幸を願ったり、呪ったり、
誤った苦々しい願いは決してしないのです。

願いの基準が私であるか、、神様であるかの違いです。

神様の心に沿わせることが、私を幸せにしてくれるものと知っています。

そして、今日も心から願います。
あなたが幸せであるように。。。